公演がはじまり、
私も毎日劇場へ通って「cocoon」を観ています。
慌ただしく始まったものの、
回を重ねるごとに、演出も修正されてきました。
そして、毎回、終わるたびにもの凄い拍手にカーテンコール。
号泣する人、嗚咽する人、
スタンディングオベーションをしてくださる方も
いらっしゃいました。
評判もほとんどが絶賛です。
でも、わたしはずっと
何かが違う、これじゃない、と思っていました。




このままじゃだめになる。2日目のこと。
これはマームとジプシー版の「cocoon」です。
原作とはもちろん違う表現やテーマになっていいのですが、
最も私が避けようとしていたことが起こっていると思いました。
それは、「かわいそうな戦争作品」として
受け取られてしまうことです。
わたしたちは、戦争ものを見聞きするたび、
「戦争で死んでしまった悲劇の少女達、かわいそう」
と自動的に涙を流してしまいます。
そういうことが嫌で、
マンガ『cocoon』にいろんな仕掛けをつくったのでした。
もちろん被害者には変わりないけど、
本当に、彼女たちは
「かわいそう」と思って欲しかっただろうか?
砲弾の飛び交う中を必死で走りながら、
戦争反対とか、平和なんて祈っていただろうか?
「走ってる身にもなってみてよ! もう、無理!」
「なんでわたしだけがこんな目にあわなきゃいけないの!」
「私を撃ったお前が死ねって思って死んでいくんだよ!」
「とにかく、私だけは、死にたくない!」
そんな鋭い言葉を想像します。



だから、原作では、
主人公は一見「かわいそうな少女」でありながら、
随所に無自覚なずるさを発揮していきます。
戦争なんかより、
目の前の好きな子と手をつなぎたい気持ち、
もう助からない友達にも
「がんばろう!」と言えてしまうこと、
そして、
死んでいった友達を踏み越え、生き続けること‥‥
戦争なんか関係ないように
くだらないエゴ、欲、自分を通していくこと、
そしてその痛みをひきずりながらも生きていくこそ、
小さなわたしたちが
戦争に打ち勝つことなんじゃないかな、と私は思います
(マンガ『cocoon』のあとがきでも
 『砂糖で鉄は錆びるのか』と書きました)。



もちろん5年前に描いた作品ですから、
誤解も多かったし、
伝わりにくかった部分がたくさんありました。
だからこそ、マームとジプシーに託したのです。
評価は高いけれど、
狭い場所で賞賛されてぬくぬく腐っていくだけだ。
嫌われてもいいから、その上の表現にいってほしい。
2日間つづけて、藤田さんにダメ出しのメールをしました。
3日目の夜はもう、お互いに、
けんか別れするんじゃないかという空気になりました。
でも、この2年間、一緒に過ごしてきた。
絶対に、できるはず。あきらめるもんか。




2013-08-13-TUE