第4回 強みは、波動性。
谷川 糸井さんの文体というのは
もう、完全に「電子メディアの文体」として
成り立ってますよね。
我々、印刷メディアから出発しているので
どうしてもそこが捨てきれない。
糸井さんも、出発は
印刷メディアだったと思うんですけど、
いま書かれているものは
電子メディアとしての文体になってますよね。
糸井 はい。
谷川 あの、物理学の世界では、
ものの存在に粒子性と波動性が
あるというのが常識らしいんですけど、
言語にもね、やっぱり、粒子性と波動性がある
というふうにぼくは思っていて、
活字メディアというのはどっちかというと
やっぱり粒子性なんですよ。
ひとつひとつの活字から成り立っている。
ところが電子メディアというのは
同じように文字を扱いながらも、
たとえば「ほぼ日」の1ページを見ると、
波動性のほうがずっと強く伝わってくる。
たぶん、自分で意識して
そうしているわけじゃないと思うけど、
糸井さんの強みは、波動性を
すごくうまく使っていることだと思うんです。
っていうより、波動性そのものとして
生きているといえばいいのかな。
粒子性に引っ張られてないというところが
ぼくはすごくいいと思うんです。
ぼくもね、本当はそうしたい(笑)。
そうしたいし、ある程度は
そうできていると思うんですけど、
どっかでやっぱり粒子的なものに引っ張られて、
「一編の詩」とか「一冊の詩集」という発想から
逃れられないところがあるんですよ。
糸井 ああ、なるほど。
谷川 本当はね、詩も、本も、ことばも、
どんどん消費されていいはずなんです。
自分のことばがその時代に
どういう影響を与えているかみたいなことは
まったく考えないで、
ひとつの流れとして、波として、
ずーっと生きていくっていうのが
この時代に合っているはずなんです。
糸井 あの、やっぱりぼくは
しゃべりことばでスタートしているんですね。
谷川 はい。
糸井 で、コピーライターの文体っていうのが
昔からあったわけじゃないんですけど、
山口瞳さんにしても、開高健さんにしても、
コピーライターをやっていた時代があって、
彼らは、しゃべりことばを
すごくうまく使っていたんです。
野坂昭如さん、あと伊丹十三さん、
もっとさかのぼっちゃえば
落語にまで至るんですが。
しゃべりことばを使って表現すると、
むつかしい漢字は使えないし、
困ることも多いんですけど、
広告のコピーをつくるときには、やっぱり、
しゃべりことばでコミュニケーションしないと
大勢に対して成り立たせられないんです。
だから、ぼくは、広告のことばを考えるうちに、
無意識のところで、しゃべりことばで
ほぼ全部のことを言いたいっていうふうに
考えるようになったんだと思います。
谷川 うん、うん。
糸井 そういう下地のある人が
インターネットをはじめたわけですが、
インターネットってまず
文字数の制限がないんですね。
で、原稿料も発生しない形だったし、
テーマが与えられてもいない。
そこで、「全部自由です」と言われたときに
それがなにに似ているかっていったら
友だちとダベっている状態だったんです。
で、友だちとダベっている状態というのは、
考えようによっては、
世界のすべてを語れるわけで。
谷川 そう、そうですね。絶対そうですよね。
糸井 はい。そこがけっこう早い時期に、
ぼくの頭の中で、
ある種のユートピアとしてできたんですね。
ですから、残んなくたって構わないと思うし、
「難しい話なんだよ。こういうと近いかな」
みたいなことも探して言えるようになった。
この表現法は、大げさにいってしまうと、
「大衆の武器」として
とっても効果的だと思うんです。
谷川 うん。
糸井 それはみんなが使うことができるし、
みんなに読んでもらうこともできる。
なにかを伝えたいときの方法として
すごく自然なんです。
たとえば、あの、養老孟司さんの本だって、
自分で原稿を書いていたときには
さほど売れなかったんですよ。
谷川 ああ〜、そうか、そうか。
糸井 そうなんですよ。
で、編集者を相手にしゃべって、
それを文字に起こした
『バカの壁』を出したら売れたんです。
谷川 それは、ぼくがひらがな表記で詩を書くのと、
ほとんど同じことなんですね。
糸井 ああ、そうですね。そうだ、そうだ。
谷川 ぼくの場合は、その元になっているのは
幼児用の絵本なんですけどね。
絵本って、子どもが相手ですから、
さらに独特の難しさがあって、
ひらがなにすればいいというわけでもないんです。
たとえば絵本のなかで幼児に
「社会」というものを伝えようとするときも
「しゃかい」とは書けないわけ。
いくらひらがなにしても無理なんです。
じゃあ社会を5歳児にわかるように、
なんて言やいいんだ? 
っていうのは、これ、大難問なんですよ。
糸井 そうですね。
谷川 誰も答えられないのね。
もともとの原因がなにかというと、
明治維新のころに輸入した
西洋的な観念、概念というものをね、
日本人は便利だからというので
いったん全部、漢語に移したわけです。
でも、意味は体感できてないから、
根なし草のようになってしまった。
それは現代日本語の大きな問題点の
ひとつだとぼくは思っているんだけど。
で、その根なし草のようなことばも、
外国語みたいにしてとにかく使うことによって
暮らしとか体に根づいたことばとして
ようやく馴染んできたんだと思うんですね。
つまり、西洋から輸入した
観念的、抽象的な概念が、140年後になって、
ようやく暮らしと体に即してきた。
というときに、糸井さんのやっていることは、
具体的、現実的な細部からはじめて
抽象的なものを伝えているから
すごいし、新しいんです。
糸井 なるほど‥‥と、他人事みたいに、
感心しながら聞いてますけど、
自分がそう意識しているかどうかはさておき、
あの、すごく、うれしいです(笑)。
谷川 (笑)
  (続きます)

2008-04-23-WED



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