ITOI
緊急再掲載
なんでいまごろ、
サイババなんだよ?!

プロローグ---精神の埋蔵金を掘りに行くとか言っちゃった。

_____出発の前_____
腸内異常発酵的に、
期待は腹部に膨満した。

こんどは精神の埋蔵金を掘りに行くんだよ、
というヤマッ気の強い私のホラが効いたのか、
TBSから「やりましょう」という連絡がきた。
テレビ局という、好奇心の権化のような商売人が、
この企画を見逃すテはない。
ただ、このところテレビ局の好奇心が衰弱しているように
思っていたから、ダメかもしれないとも思っていたのだが、
さすがは「埋蔵金のTBS」、反射神経がにぶっていない。

不景気の時代には倍働いて帳尻をあわせるという、
原始的な景気対策をしている私は、
春過ぎまでの仕事の予定をバリバリ入れようとしていた。
あと半月遅れて「インド、行きましょう」と言われても、
物理的に動きづらくなっていたろう。ナイス・タイミング。

早速、ニューエイジ本のカタログを入手して、
サイババ関係の本やらアーユルヴェーダ
(インド式生命科学といったところか)の資料を集める。

サイババ関係の本は、ほとんどひとつの出版社から
発行されているので、一気に集まった。
本には二種類があって、
ひとつはイエス・キリストの言行録としての聖書のように、
サイババが語ったり言ったりしたことを「誰か」がまとめて
「聖典」として出版されているもの。
もうひとつは、
サイババの「奇蹟」をレポートしてるという形式で
「神の伝記」を語っているものである。
「聖典」のほうは、信者でないものに読めというのは、
ちょっと無理だろうという構成で、ヒンドゥ教の基礎知識を
現代の人々に通じやすく語っているといった内容。
斜め読みした印象では、キリスト教の概念がツナギとして
ずいぶん含まれている。
早い話が、「LOVEっけ」が強いのだ。
もう少し気になるのは、
欲望の抑制についてかなり多くの発言を
していることである。カーマ・スートラの国で、
禁欲を訴えることの違和感が気になったわけではない。
こだわるようだけれど、
金や宝石を材料にした指輪やネックレスを
「物質化」して分けあたえる神が
「清貧の思想」みたいなことを
教義に組みこんでいることが、納得できなかったのである。
献花や献金をおよろこびにならないという神の化身が、
指輪を出すのはどんなもんでしょうねぇ、という気分だ。
私は欲望を否定する人々を怪しむ、
という性癖を持つ者である。
自分が欲望をコントロールすることは、
趣味としてあってもいい。
しかし、他人に強制しちゃいかんですよ。
世界中が「清貧」になったら、
GNPが激減して人類は滅亡するね、
乱暴な言い方だけど外しちゃいない。神の化身ってのは、
資本主義経済をひっくりかえそうとしているのだろうか。
信者でないものが信者用の本を読むと、
そんな不埒なことを考える。
もうひとつの、「奇蹟のレポート」本も、次々にサイババ様の
奇蹟を体験した人たちの報告が並んでいるだけ。
何かに似ていると思ったら、健康本のスタイル。
「野菜スープでガンが治った」(静岡県・医師62歳)みたいな
事例がこれでもかこれでもかとページを埋めつくす、
ああいう本とつくりが同じなのだ。
しかし、こっちのほうは読む気になる。
ライアル・ワトソンだって
コリン・ウイルソンだって、やり方は同じようなものだ。
「話はんぶんだとしても、たいしたものだ」と、
好奇心優先の私なぞは、すっかりいい気持ちになってしまう。
ただ、「話はんぶんだとしても」という感想を抱かせる
書き方というのが、オカルト本の定石だということも、
知ってはいるのが、
長年好奇心中心で生きてきたスレッカラシの
油断ならないところだ。ポルノ小説読みながら、
すっかり気持ちよく前をふくらませて、同時に
「こんなやつは、いねぇよ」と本を閉じるような、
だまされ上手の部分が、まだ残っている。

「話はんぶん」としても、という姿勢は、
もう、十分に積極的であるともいえる。周囲の人たちに、
サイババのことを語ると、
「ウソくさいなぁ」という苦笑とともに、
興味は大アリですぜという表情がはねかえってくる。
「月刊プレイボーイ」の
ムラマツが企画にのっかってきたのも、
私の事務所のマネージャーであるサイトーが
「私、行こうかな」と
言いだしたのも、
私自身が「話はんぶん」と言いながら発していた
熱のようなものに、心を動かされたものだろう。
おかしなもので、「話はんぶん」と語る私なのに、
相手が「話よんぶんのいち」くらいの反応をしてくると、
もうちょっとこっちへ来いよォと説得を開始する。
サイババが、単なるインドの超能力者という存在ではなく、
政府の中心的人物たちにも崇拝されている大宗教人とも
言えるらしいこと。近隣の村に、立派な学校や病院を建て、
インド再建の英雄的な見られ方をしているらしいこと、
寄付や献金を求めないこと等々を、まるで弁護人のように
言いつのって、疑似折伏のようなことをはじめる。
自身の、この心の動きは、なかなか興味深いものだった。
「ホンモノであってほしい(もんだぜ)」という願望が、
他者に対して
「せめて自分と同程度の信じ方」を要求するようになる。
考えを押しつけようとは思わないけれど、
ニュートラル(という名のヒイキめに)
なっちゃあくれないか、
とやっぱりソフトな押しつけがましい人になりはじめる。

サイババが、まったくの
大ペテン師でもかまわないとはいうものの、
こんなに何冊も本を読んだり、わざわざインドくんだりまで
出かけていくんだから、元本保証くらいしてほしいものだと、
欲が出てくるのだ。

大学
サイババは教育に非常に熱心で、
別宅の隣に大学を創設。
インド国立大学もその教育水準を
見習うくらい超優秀な
学生を輩出する。

だいたい、インドに行くなんてことほど、
私の思想信条に反することはない。
毎日ラクして遊んで暮らしたい。そう思って、
少しでもそうなればいいと考えて
キューキューしているのが私だ。
死体が流れてくる河で水浴をするような文化風土に、
なじむはずがない。
横尾忠則さんやら、細野晴臣さんなんかが
インドに行ったという話を聞いても、
「そうですか、そんなに下痢しちゃうんですか」というような、
生理的な危機意識の部分にしか心を動かされなかった。
下痢はいやだ。それにともなう腹痛も好まない。
ジョン・レノンだって、
下痢したせいかどうかは知らないけれど、
「マハリシもギータも信じねぇぜ!」って歌ってるではないか。
数学の「0」を発見した国だかなんだか知らないけれど、
オレなんか「0」があることくらい
生まれた時から知ってるもんね。
物乞いにとり囲まれて立ち往生したら、何かいい方向に
人生観が変化するのか! なんてことを考えている私が
「もうどうなってもイイ」とばかりに、
そのインドへ行こうというのだ。
決意だけでも合格点、指輪でももらって帰ってきた日には、
近所の人気者だね。あ、私は近所の人気者というあたりを、
いつもねらっている人間である。私の野心というのは、
近所の人気者の座を
ディフェンディング・チャンピオンとして
守りぬくということに帰結する。
「指輪をもらってきて、見せてね」
なんて女子供に言われたら、
いやがうえにも張りきってしまうのである。
そのために、ミイラとりがミイラになって、
菜食主義者になって
帰ってきたとしても、会議が紛糾しているときに
「神の声を聞こうではないか」などと落ちつきはらって言う
社長になったとしても、しょうがない。
それが好奇心を信条にして
生きる人間の覚悟というものなのだから。

インドに呼ばれる、というコトバがある。
インドという場所は、人を呼ぶのだそうだ。
サザエさんがカツオ君を呼ぶように、だろうか。
私がインドに行くということは、
つまり呼ばれたから行くのであって、自分の意志で
押しかけていくのではないということになるらしい。
神秘ではないか。謎ではないか。

インドに、神の化身サイババ様に、
おいでおいでと呼ばれているのだ。
私は、「物質化」した指輪をほこらしげにはめ、神に出会った
生き証人の一人として、
ご近所の人たちに「信じられないことが、
信じられるのだ」と、わけのわからない自慢をする。

否定はするわ、のめりこむわ、インドに着く前から
私の胃腸はおかしくなった。
たぶん腹にくる風邪をひいたのだろう。
私の下腹部は不健康に膨満し、
ガスが出口をもとめて内側から
肛門を刺激する。こんな状態で「下痢の聖地」へ向かったら、
私、生きて帰れないんじゃないかしらん。
みにくくふくらんだ私の腹には、インドの神秘ガスが、
きっとたまっているにちがいない。
そんなことを思ったわけではないけれど、
インドへの異常なまでの助走は、
「何かが起こる」と私に確信させるものだった。

アシュラム
ブッダパルティのアシュラムという
宮殿に集まった信者の前に
お出ましになるサイババ 。
朝夕2度、ダルジャンとよばれる
儀式がおこなわれ、
サイババは信者と交流する。
数千人は集まるという
このダルジャンの場で
いろいろな奇蹟をおこす。

その時期に、テレビスタッフによる
第1回にして出発前最後のミーティングがあった。

話題の中心になったのは、
口数の少ないディレクターの恩田さんだった。
彼は、かつてサイババを取材したことのある
オランダのテレビ局に行って、撮影の段取りについて、
そこで彼らの経験した不思議な現象について
インタビューをしてきたのである。

恩田さんの表情は硬かった、
小さな咳ばらいをくりかえしながら、
彼は取材の成果を報告した。
「まずは、サイババに会うということは、
ローマ法王に取材を申しこむのと同じような
ものらしいってことなんですよ」

あ、そう。そうなんだろうな。そうかもしれないねぇ。
「オランダのテレビとか、アメリカとか、イギリスとか、
何度か取材には成功してるらしいんですけどね。
けっこう、みんな信者になって帰ってきちゃうんですよ」

そ、それは、ホンモノの実力に
ねじふせられちゃうってことかいな。
「だいたい、トリックがあるだろうってことで、
カメラが入るわけですよね。
だけど、どうにもわからないってことらしいんです」
「だけど、信者になって帰ってきちゃうってのは、
曲がりなりにもジャーナリストとしては、
あんまり恥ずかしいんじゃないの。
信者でもなく、ガンコな科学万能主義者でもなくさ、
あホントなのかァ!? って立場はとれないもんかね」

ミイラになってもいいとさえ言っていた私なのに、
そういう反論をしたりもする。
「で、外国のテレビ局は指輪ももらってるのかな?」

オレって、そんなに指輪が欲しいのか。
恐竜の卵の化石を手に入れたみたいに、
空中から「物質化」された指輪を欲しいということなのか。
「全体に奇蹟の部分は減ってきてて、
全盛期ほどじゃないらしいんですけどね。
指輪とビヴーティ(聖灰)は、
毎日必ず出してるみたいですよ。
やっぱり、みんなビックリしちゃうらしいです」
「聖灰はいいや。灰はいらない。
オレ、そういう信仰じゃないもん。
聖灰を一俵あげようとかって言われたら、困るよ。
コシヒカリに交換してもらいたい」

ちょっと冗談を言ったら、恩田さんの顔がけわしくなった。
「イトイさん、この、いまの会議もサイババ様には
お見通しらしいんですよ。どういう気持ちでインタビューを
望んでいるのか、もうわかってるっていうんです」

だから軽率な発言に注意してほしいということらしいが、
口で信じているふりをしたって、
神様なら心のなかまで透けて
見えちまうってことだろう。
演技をしても、全部お見通しなら、
しないほうが正直でいいや。ラクだし、そのほうが。
「いろんな芸が、あ、いや、芸ってことじゃないや、
奇蹟があるんですけどね。その、まだウラをとってない
話らしいんですけど、すごいのがあるんですよ」

笑っちゃうくらいすごい話を、恩田さんは語った。

オーストラリアのテレビ局クルーのひとりのところに、
プッタパルティ
(サイババの居留地で修練場のある土地)から
本国に帰ろうって日に電報が届いた。
彼の妻が死んだという報せだ。
うなだれてサイババに別れを告げる彼に、神の化身は言った。
『おまえの帰る所はどこだ?』。
目の前の壁をサイババが叩くと壁に突然世界地図が現れた。
妻を失ったばかりの男は、『ここです』と、
オーストラリアを指さした。
『そうか』再びサイババは壁を叩く。
すると地図は、オーストラリア全図に変わっている。
『このどこだ』と尋ねるサイババに男は、シドニーの位置を
さし示した。こんどは、シドニーの地図になり・・・
何度目かの地図は、もう、彼の家の玄関になっていた。
驚くイトマをあたえず、
サイババは男を壁に向かって強く押し、
叫んだ。
『すぐに行ってやれ!』。
「で、その人は一瞬のうちに
自宅に着いてたっていうんですよ」

さすがの恩田さんも、
サイババ様にお見通しであることも忘れて、
苦笑いしている。
「サイババ様は、クルマのナビゲーション・システムか?
衛星対応か?」

ここまで信じろというのは、難しすぎる。

神か奇蹟かどうでもいいけど、そんな面白すぎる話は、
かえって信じたい人には邪魔になるのではないか。
「ウラはとってないっていうんですけどね」
「神様ならできるかもしれないってか。
それは、ちょっとなぁ」すごすぎるぜと、誰だって思う。
スプーン曲げ、というあの控えめな、
つつましやかとさえいえる
超能力を、笑い飛ばすようなダイナミックな伝説である。
ただの超能力ではないのだ。
神なのだ。比べちゃいけないのだ。
信じろとは言わないけれど、実際にアンタが
そういう奇蹟に立ち会ったら疑う余地はないだろう?
ってことなのだ。
「ほんとに、ウラはとってない話なんですけどね・・・」
「とれないよ、そんなウラ」
「オランダ人から聞いたんですけど、
全然冗談言ってる感じじゃないんですもん」

サイババの手
ダルジャンに出席していた
信者のなかには、
空中からとり出したという
指輪をもらった人も
数人いた。

うわぁ、許してくだせえサイババ様!
わしらは、あなた様のことを爪のアカほどでも疑いの心を持って
見ておりましただ。怖いよォ!
「お見通しなのか、この場も・・・」

ウソのカタマリのような話をされて、
笑った後で怖がったりもしている。
なんてお調子者なんだオレたちは!?
「神の化身って、こういう顔してるのかよ、マジに」

みんな気になっていたことを私が言ってしまった。
サイババの写真をはじめて見た人は、
誰でもインドの田舎の
魔術おやじぐらいのことしか思わないだろう。
ヘアスタイルは、篠山紀信型というか、つのだ★ひろ型。
どす黒い顔に、鋭いというよりオトロシイ目つき。
一般的な基準をそのままあてはめたら、
典型的な「悪人顔」なのである。私は、家人に、
「もしオレがインドから帰ってきて、すっかりサイババ様の
信者になっちゃってたらどうする?」と聞いたことがある。
「インドかぶれみたいな?」
「そう、お香をたいて祈っちゃうわけよ。
ゴキブリなんか見つけると、救っちゃうんだよ。
愛を! なんつって」
「いいけど、なんでも。だけど、この人の写真を
家に飾るんだったら考えちゃうなぁ」
「なんで? 神なんだぞ、私の信仰するところの」
「だって、コワイんだもん、顔が」。

縁なき衆生めと思って、その話はおわったのだが、
実は、私だってその気持ちはわかると、
ホンネでは納得していた。
いくらサイババ様に夢中になっても、
なんとか写真を飾らない
信仰生活というとこで手をうってもらえないものかと、
いらぬ心配をしていたものである。

ホンモノの神が、誰にでも好かれるような二枚目でも、
また、これはこれでありがたくないんだろうな。
ちょっと認めにくい悪人顔の男の身体を、
神が現世の宿として
選んだってところが、かえって奥深いのかもしれない。

男は顔だ、などと言うと、自分の墓穴を掘るようなことに
なってしまうが、私は私の友人たちの顔を、みんな好きだ。
信仰する神があの顔だってのは、悩んじゃうよなぁ。
だが、この難問については、
それ以上考えないようにしていた。
でも、時々ね、ふっと思いだすわけよ。
「先代のシルディのサイババ(今のサイババは二代目で、
初代サイババの生まれ変わりということになっている)は、
いい顔してるんですけどねぇ」
「聞かれてると困るから、この話はやめとこうや」
「さんざん、言っといて」

神に出会ってない人間なんて、こんなものなのさ。
それを、神は「馬鹿だなぁ、おまえは」と、
優しく包みこんでくれるのさ。
私はそう信じていたので、心からそう言った。

それにしても、
オーストラリアまでテレポーテーションかぁ・・・。
飛んだ本人は、どんな気持ちだったのだろう。
人工衛星から地球をながめた宇宙飛行士だって、
ずいぶんアッチの世界へ行っちゃってるみたいじゃないか。
説明できない力で、インドからオーストラリアに
瞬間移動させられたテレビ屋さんは、その後の人生を、
どう送ればいいのだ。それを想像すること自体が、
もう私にとってのトリップ体験だった。

腸内にたまるガスのように、サイババの奇蹟への好奇心は
異常発酵していった。
(つづく)   

インドの日々---夢のようなお家やお庭を拝見して、
マイケル・ジャクソンを思い出してしまった馬鹿。

聖地の馬鹿ども---煙草が吸いたいけど、吸ってもまずいのは ババ様の思し召し?

サイババ登場---ババ様ったら、ほんとに恋の駆け引きがお上手。

イイコをやめた馬鹿---赤城山の苦労に比べれば、こんなこと、なんてことないさ。

さよなら、生き神様。---神様っていったい、なぁに?

1998-10-05-MON

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