第9回 自分が変わる仕事


ぼくは
建物をつくって建てることが
とても好きなんですけど、
建築というのは、じつは、
「建たなくてもいいもの」でもあるんです。

「こういうことを考えました」
というビジョンにこそ、
価値があるわけで、それは、
コルビジェも、そうなんですよ。

彼の建築には、
建ったものも多いけど、
「建たなかった建築」も、
たくさん、あるわけです。
「建たなかったあの有名な案」も、あります。
あぁ、あるんでしょうねぇ。
建築の分野では、昔から、だいたい、
「コンペの一等をとるものはつまらない」
ということになっているんです。

一等は、実現できてしまうものですから、
「実際に、そのとおりにつくると
 ちゃんと建たないかもしれない
 二等案にこそ、おもしろみがある」
なんていうふうにも、よく言われています。

たしかに、
建てることが第一目標である、
という色彩があまり強くなってしまうと、
内容がおもしろくなくなるところはあります。

だから、
「建たないけどおもしろいもの」
というのも、建築として、充分にいいんです。

ただし……
実現に至ると、
実際に建ったときに、物議をかもすでしょう?
その「現実の世界で、物議をかもす」
ということが、だんだんたのしくなるんです。
ただ、そればかりになると、
そういう
「自己模倣」におちいりますよね。
「物議をかもすように
 操作をくりかえす」というのは、
株価のつりあげと変わらない病気ですし。
ええ。

世の中の全体としては、
だんだん、そういう
アナーキーな方向に向いてきていますけど、
ただ、建築の世界というのは、
これはもっとも保守的な部類なんですよね。

今どき、
「六年もかけて、ものをつくりあげる」
なんていうのは、あんまりないわけです。
だけど建築では、
そういうのがザラにある……。
時間がすごいかかる部類の職業なんですね。
その「六年」というのは、
何からかぞえての「六年」なんですか?
構想からかぞえて、ですね。
青森県立美術館の仕事では、
コンペに出してから、六年かかりました。
その時間のかかりかたはすごい……
そのあいだに、
自分も、変わっちゃいますよね?
つくっている期間で、
自分が変わっちゃう、というのも
それもまた、いいことなんですけど。
うわぁ……!
建築は、
六年間もかけても退屈しない
ひとつの仕事を
やりつづけなければならないし、
しかも、
建たなければ実現しないという
保守的な部分があるわけで……
そういうなかで
建築家がなにをやるのかというのは、
やはり、
「ルールをつくること」なんですよ。

「この建物は、
 このルールでなりたっている」

それを、まずは決めないと……。

ゲームをなりたたせる
ルールをつくるようなものです。

サッカーのゲームの内容は、
時代がかわれば変化してゆくでしょうけど、
サッカーのルールを変えてしまったら、
ゲームとしては、成立しませんよね。

時代がかわれば
サッカーのやりかたが変遷をとげていく……
それは、当然のことですよね。

だけど、
ルールは、かえなくてもいいわけで。
おもしろいルールを、
はじめに提案できればいいんです。

そういう、
ながくのこるルールのない建築なら、
何年も経つと
イヤになって退屈してしまう……

つまり、
建築をやりはじめのころに、
まずは、いいルールを見つけることが、
必要なんですね。
ルールを見つけるのは、
建築家の役割なんですか?

建物の計画に関わっている
アタマのいい人たちが
決めるルールではないんですか?
いえ、
建物のルールは、建築家が決めます。
うわぁ……そうなんだぁ!
「建物のルールは、
 建築家が決めます」
というのは、もちろん、
「建築をつくるためのルール」ですよ。

「美術館として、こう運営します」
「美術館のコンセプトはこうです」
そういうことは、
もちろん、ぼくは決めませんよ。
それは、また、
ちがうレベルのルールですし。
(次回に、つづきます)

2006-06-05-MON


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