第3回 がんじがらめを抜けだすために


建築は、
ぼくの好きな家ではなくて、
相手の好きな家を作る仕事です。
自分のワガママには、作れない。

あ……「好き」というと、
語弊があるかもしれない。

糸井さんの家を作るなら、
「糸井さんが
 生活をしていて、
 気持ちいいと思うこと」
が目標です。

糸井さんの気持ちいいと思うことと、
ぼくが気持ちいいと思うこととは、
絶対に、ちがいます。
おなじじゃない。

だから、悩む。

でも、ひとつずつ、
「このかたの、
 気持ちいいと思うことは、
 こういうことなんだ」
と、なんとなくわかってくる……。

目の前の人の気持ちよさに
合ったものを作っていくと、
それまで、
自分が気にいらなかったデザインや
気にいらなかった空間が、
なんだか、気にいってくるんですね。
へぇ……!
そうすると、
ひとつの家ができあがるころには、
その仕事をはじめたころとは、
だいぶ、自分が、変わっていくわけです。
(笑)おとなになっていくんだ。
(笑)昨日のぼくではなくなるんです。
「不快」が、減っていくんだ!
むしろ、「快」になっている。

そうなれば、
自分でも、たのしくなるんですよね。

というのも……自分が
「これがいいぞ」と思うことをやると、
「がんじがらめ」になっちゃうんです。
あぁ、わかります、それ。
「自分は、これがいい」
そればかりだと、
自分に、とじこもってしまう。

途端に、イヤになってしまう。

そこから
抜けだしたいけど、
抜けだすきっかけがない……
そうなりがちだけど、
建築の場合は、
相手がいるからそこがいいんですね。

自分とちがう方向に向かう仕事だから、
できあがった瞬間というのは、
完全に「自由」という感触があります。
それは、すごく、快感なんです。
性善説、性悪説とかいいますけど、
青木さんは、性「不快」説ですね。

なるほどなぁ。
はじめは「不快」だという
そういうやりかただと、どんどん、
「快」が増えていくわけですよね。
そうですね。
ぼくは、
青木さんのことを、
「キゲンよく仕事をされているかた」
と思っていたんですよ。
仕事やっているときは、
しかめつらしていますね。
できたー、
というときには「快」になると。
はい。

自由業には、ほかにも、
医者や弁護士がいますけど、
「人がこまったときに頼むもの」ですよね。

建築家というのは、
「人がたのしいときに頼むもの」ですから、
こちらはエンターテイナーでもあるわけで。

お金を払う人が、
最後までたのしくないなら
そういう家って、作る意味がないですから。

だから、最後まで、たのしく、いかないと。
つまり、
相手の不快に
つっこんでいく勇気も要るし、
当然、思いやりも、必要だし‥‥。
ただ、
これはぼくも含めてですけど、
どの人も、しばられています。

それまで経験した空間から来る
先入観は、なかなかぬぐえない。

「もっと、
 こういう場所に住めたらいいのになぁ」

思っていても、
それを言える人は、まずいないわけです。
いないでしょうねぇ。
こういうふうに玄関があって、
こういうふうに居間があって、
お風呂は、こうじゃなくちゃいけないし、
台所は‥‥と、希望は具体的にあるわけです。

でも、そのとおりを実現したら
よろこんでもらえるかというと、ダメなんです。

無意識の不快があるわけで、
「このかたは、
 じつはこういうふうに生活をしたいんだな」
というのが見えると、たのしいですよね。
(次回に、つづきます)

2006-05-26-FRI


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