#02 福島には別な現実があったんだね

手作りジェラート疑惑

「チェルノブイリの原発事故のときは7歳だったよ。
地中海に面したヴェンティミリアに住んでいた。
強烈に覚えているのは、ママにジェラートは
大きな工場で作られたものだけを
食べるように言われたんだ。地元の店はダメって。
フレッシュなミルクや果物が
放射線の影響をうけているかもしれないって」

1986年の記憶をこのように辿ってくれたのは、
ルッジェロ・ビアモンティさんです。
カンフェランスのビデオ編集や
レポートにするためのテープおこし作業などのチームを
オーガナイズしてくれました。
以前はある財団の広報で仕事をしていましたが、
今はフリーランスのライターです。
社会面や文化をフォローしています。

「やっぱり、原発はわけが分からなくて
怖いというイメージがあるね。
ぼくの母親の注意なんてまったく非科学的だけど、
そう思ったのは仕方ない」と語ります。

今回、ボランティアに近いカタチで手伝ってくれたのは、
お兄さんのミラノ工科大学の先生である
アレッサンドロ・ビアモンティさんが
カンフェランスの企画に関わってくれたからですが、
「福島の原発事故は酷い」という以外、
なにも知識がありませんでした。

カンフェランスで福島の高校生と早野さんの話を聞き、
福島には
「散々な現実とは別の現実がちゃんとある」
ことを知りました。
ヤクスさんのプレゼンに従えば、
ローマ字の「FUKUSHIMA」から
漢字の「福島」へ辿る道があるのに気がついたのです。

扇動的な情報を期待する友人たち

カンフェランスが終わり、
友人たちが好奇心旺盛に聞いてきます。

「カンフェランスはどうだった?」

自分たちが知らない福島のスキャンダラスな情報が
ビアモンティさんの口から出てくるのを期待していたのです。

「実はね、ニュースなんかよりも
もっと凄いらしいぜ」とでも言えば、

友人たちは身を乗り出してきたのですが、
「いや、福島第一原発はまだいろいろと
問題を抱えているけれど、
福島という県全域がそうではないんだって。
検査をパスした食品はもちろん問題ない。
第一原発の影響を受けなかったんだ」と、

ビアモンティさんが仕入れたばかりの情報を伝えると、
ちょっと肩透かしを食ったようです。

「そんなはずはない!
実際、ネットにこんな写真がある!」

と反論してくる人には、
早野さんのスライドや動画を見るようにお願いしました。

「昔はね、バールで情報を交換して議論していたんだよ。
今は、それがインターネットに流され
一瞬にして世界に伝わる。
それもね、カンフェランスで発表した
ミラノ大学のステファノ・ヤクスさんが指摘したように、
タイトルだけみて文章も読まずに、
吐き捨てるようなコメントだけネット上に残していく。
それが一方的に拡散するんだ」

「バール」というのは
立ち飲みがメインでコーヒーなどを飲む、
イタリアの寄り合い所の性格をもっているところです。
街のコミュニティの役割を果たしてきました。
しかし都会では徐々にその機能が失われつつあり、
インターネットが代替になっているというのです。

もちろん、この同じ機能を使って良い情報も拡散します。
が、「めちゃくちゃなことほど広がりやすいんだ。
いつでも嘘だって真実になる」との真理を、
彼はコミュニケーションのエキスパートとして
認めざるをえません。
人は過激で極端な意見に引き寄せられやすいのです。

美味しいかどうかより安全

「美味しいものが好きなのは当然だけど、
食で第一に優先したいのは安全だね。
それから伝統的に認められた作り方かどうかも気になる」

とビアモンティさん。

カンフェランスのラウンドテーブルに参加した
ミラノ大学の食科学の専門家、デッロルトさんは
「どこの国の産物であるかよりも、
検査体制への信頼が大切」と強調していました。

ビアモンティさん
「それはそうだけど、
狂牛病やらいろいろな食安全を脅かす経験があって、
すべてを100%信じられるわけもないよね」

「そうなると、自分の手で作ったものしか
信用ならないよね、極論を言えば。
しかしミラノのような大都市では自給自足の生活が難しい。
その代わり世界中の食材が選べる。
かたや有機野菜で囲まれた田舎の一軒しかない
食料品スーパーの量産食品はどうなのか?
選択肢は都会と比べて圧倒的に少ない。
とするなら、どこに信頼をおくか?
何が信じられれば良いのか?」と、ぼくは聞いてみました。

「う〜ん、自分で信じられる人の手を
通ってきたかどうか‥‥かなり無理のある話ですよね」

無いものねだりなのでしょうか。
しかし、信頼関係のない社会で「食の安全」は成立しない。
ここにテーマのむずかしさが横たわっています。


インターネットは安全な社会を作っているか

福島の問題をイタリアの人に
同じように考えて欲しいなどと願うのは無駄なことです。
同じなどありえない。
しかしながら、福島の経験が何らかの点で
イタリアの問題に生きる可能性はあります。
かといって、世界各地には無数の経験があり、
福島の経験だけが優先的に
参照されるというものでもありません。

「80年代のチェルノブイリの事故と
福島のそれを比べたとき、
大きな違いはインターネットだよね。
危険なものが短い時間で露呈し、
それを広範囲の人が同時に知ることができる、
という仕組みがありますね。
これが福島のケースでどう生きたか? 
は問うことができる」と、ビアモンティさんは

カンフェランスで得た糧から思考を広げます。

インターネットはより安全な社会を作っているかどうかは
はっきりと言えないけれど、
多くの情報チャネルができたことで
マシになったところはあると、彼は主張するわけです。
ラウンドテーブルでも話題になりましたが、
フォルクスワーゲンのディーゼルエンジンの
排ガスデータを巡る大騒動は、
「マシ」の程度が大いに問われています。

「食の安全」は、科学的裏付け、信頼関係のある社会、
コミュニケーションの3つの要素から成立するはずである。
カンフェランスの準備は、この前提からスタートしました。
これらのどれ一つ欠けても、
「食の安全」は成り立たないとの確信は
より深まっていきます。

(つづきます)

2015-11-27-FRI