横尾忠則 アホになる修行の極意。 横尾忠則×糸井重里 対談
横尾忠則さんの新しい著書は
『アホになる修行』というタイトルの言葉集です。
アホになるとは、いったいどういう修行でしょうか。
ここ数年、横尾忠則さん主催の「合宿」で
夏の数日間をごいっしょしている糸井重里が、
改めてお話をうかがいました。
じつは横尾さんによれば、その合宿のテーマは、
「なにもしないことをする」というもので、
それはすなわち、アホになる修行の一環と考えられます。
82歳の横尾さんが最近元気になったという話題から、
人生のあみだくじ理論に至るまで、
一生をかけた修行の極意、うかがいます。


006 何が描かれているのかとか、何を意味しているのかとか、考える必要はないのである。
横尾
ピカソの「ゲルニカ」は、
牛の頭なんかから描き出したりしているうちに、
どんどんああなったんでしょう。
あの絵を描いていたとき、
ピカソの後ろで愛人ふたりが
大ゲンカしてたらしいです。
糸井
え(笑)? 
横尾
あの絵を描いてるあいだじゅう、
後ろでずっとふたりの愛人がケンカですよ。
ピカソは「嫌だな」と思いながら、
そのエネルギーで、ガーッと描いたのでしょう。
糸井
闘いそのものを‥‥背景にしながら。
横尾
だからあの「ゲルニカ」は、
ほかの作品とは違うエネルギーを持ってます。
あの絵は反戦がテーマだけれどもさ。
糸井
反戦というより、
後ろで生々しい闘いがあったわけですね。
横尾
しかもその喧嘩、毎日やってたんですよ。
糸井
その状況だと、
自分が怒鳴りたい気持ちなんかも、
すべて絵に入りますね。
横尾
ぜんぶ込めてしまっているんじゃないかな。
ほかに比べると、あの絵はそうとうすごいです。
いちど描いた線も消してしまったり、
いろんなことをやってる。
思想で描いたんじゃなくて、
女の情念で描いた絵じゃないかな。
あとづけで、いろんなパーツごとのデッサンを
いっぱい描いたりもしてる。
最初から想定して努力してしあげた結果の絵、
ということではないと思う。
それはやっぱり、彼のすごい戦略です。
糸井
ピカソはプロデューサーとしても、
優秀な人ですね。
横尾
すごいです。自分のプロデュースがね。
糸井
ピカソのその戦略的な性質も、
優れたアートですね。
横尾
それ自体が芸術です。
また、それはピカソの
サービス精神でもあるわけですよ。
評論家たちを喜ばせるサービス精神です。
糸井
「アビニヨンの娘たち」の発表も
センセーショナルだったろうし、
時代を動かす人としてのピカソは、
すごい才能の持ち主ですね。
横尾
そうですよ。
「アビニヨン」を発表したのは、
ピカソがあれを描いてから、
10年たった後なんだから。
糸井
描いてから?
横尾
彼は人を寄せつけないで、ただ描いてた。
あの絵はアトリエにあって、ある日
(ジョルジュ・)ブラックか誰か、
友達が来てあの絵を偶然見たわけです。
そして、
「ピカソはこの絵の後ろで首を吊って死ぬだろう」
と言った。
そのあと何人かが見にきて、
「あぁ、これは、ピカソは死ぬよ」
と、みんな言ったらしいです。
糸井
おかしくなったと思われたんですか?
横尾
そう。
だからピカソは、
「これはまずい。いまは発表できない」
とわかった。
そしてそこから10年待って発表した。
糸井
すごいですね。
横尾
その10年もの間、彼は誰にも
あの絵のことを言わなかった。
糸井
それは‥‥言いたくなりますよね(笑)。
横尾
なる、なる(笑)。
糸井
でも、ここで言っちゃまずい、
早すぎる、ということが
ピカソにはわかっていたんですね。
キュービズムが通じるか通じないか。
横尾
その10年の我慢はすごいです。
彼は10年間だまって、
違う絵を描いてたわけですよ。
糸井
10ヶ月だと、なんとかわかるけど。
横尾
わかる(笑)。
糸井
世間のようすを見ながら、10年後に、
「いまだったら、理解できるだろう」
というときに出したんですね。
だけれどもそのときだって、
世界中がそれでびっくり仰天した。
しかし、それが10年前だったら、
おそらく誰もびっくり仰天しないで、
ただやばい絵だといって終わったかもしれない。
横尾
「首吊るだろう」と言った芸術家たちは、
理解はしなかったけれども、
少なくとも何かを感じたんですね。
ブラックはピカソに近づいて、
ふたりでキュービズムをやりはじめた。
糸井
運動として。
横尾
同じアトリエで、ふたりで並んで描いて、
どっちが先にやったか、誰の絵だか、
最後はわからなくなっちゃった。
糸井
ピカソという人の、
その総合的なアートぶりはすごいですね。
横尾
うん。ただものじゃないです。
ゲルニカ爆撃には、実際
たいへんなショックを受けたのだろうけど、
ゲルニカはピカソのいたところからは離れていて、
住んでいた町が攻撃されたわけではない。
だいいち、彼はそれまで
ああいった絵は描いてないんですよ。
糸井
「ゲルニカ」までは。
横尾
うん。サーカスの絵や女性を描いていたのに、
あの1枚だけは、政治的な絵になったわけ。
あれ以降、二度とやってない。
ふつうの画家だったら、その後少しは
プロパガンダ的なものを描くんでしょうけど、
ピカソは一切ない。あのひとつだけ。
それはやっぱり、
後ろで女同士の闘いがあったからだと思うんだよ。
糸井
けれどもみんなの記憶には
「ゲルニカ」が強く残ることになりました。
横尾
そうね。まぁ、
怒りとか悲しみとか不安とか、
そういう絶望感を最初から
出そうとしたとは思います。
白黒でいったほうが悲壮感が出るから、
白黒にしようと決めて、
幸いだったかわからないけれども、
絵を描いているあいだじゅう、
後ろでふたりがケンカしていた。
戦争の悲壮感じゃなく、
女の悲壮感のエネルギーが絵を描かせた。
あの絵、けっこう速く描きあげてるんですよ。
そんなに時間がかかってない。
早く女から逃れたかった。
たぶんあるとき、後ろでケンカが
終わったんじゃないのかな。
その瞬間に完成。
糸井
横尾説では(笑)。
横尾
そう。
なぜなら絵の中に、塗り残しとか、
あきらかに未完の部分がいっぱいあるんです。
消さなきゃいけないところも残してたりする。
たぶん後ろのケンカが終わって、
「あぁ、やれやれ。
もうこれを描かなくてもいいんだ」
といって終わった。
彼の性格からすれば、
そうだったんじゃないかなと思います。
「ゲルニカ」にはピカソの、
アーティストとして持つべき資質が
ぜんぶ入ってると思う。
糸井
いやぁしかし、
絵の発表を10年待つなんて、
できることじゃないですね。
横尾
できない。
「ゲルニカ」はすぐ発表したけどね。
ぼくなんか、あんなのが描けたら、
明日にでも発表したくなるわ。
糸井
描いてもないうちから、
「こんな絵が描けたような気がする」と
言いたくなりますよ。
横尾
なるね。
糸井
ぼくは特にそうです。
こらえ性がない。
横尾
それが糸井さんの性格なんだから
いいんですよ。
その性格を前面に出しているのが糸井重里なんだ。
(明日につづきます)
2018-07-10-TUE
横尾忠則さんの新刊

『アホになる修行 横尾忠則言葉集』

(イースト・プレス 刊)
これまでの横尾忠則さんの
エッセイ、対談、インタビュー、ツイッターなどから
選ばれた言葉集が発売されました。
さまざまなメディアで発信されてきた、
横尾さんの名言がまとまった一冊です。
生活のとらえ方や創作にかかわる考えなど、
鋭い言葉が光ります。
見開き展開でスイスイ読めますので、
なんどもくりかえし味わい、
心の刺激と栄養にできます。
本を締めくくる横尾さんのあとがきには、
こんな一文が出てきます。
「アホになるというのは、
自分の気分で生きるという自信を持っている
ということ」
このたびの糸井重里との対談でも、
「大義名分より気分が大切である」
という内容がくり返し出てきます。
それはいろんな人びとの暮らしに勇気を与える
本質をついた言葉であるといえるでしょう。
いろんなものを捨ててアホになる修行は、
横尾忠則さんに近づく第一歩なのかもしれません。