17 筆跡鑑定人 根本寛さん
第2回 筆跡鑑定の科学性。
── 筆跡診断をする際のチェックポイントを
いくつか教えていただきましたが
総数では、どれくらいあるんでしょうか?
根本 横棒に頭がどれくらい突出するか、
偏とつくりの間の間隔、右払いの長さ‥‥など
文字そのものについては
50種類くらいの診断ポイントがあります。
── たくさんの人に会い、その人の文字を見て
それぞれに
ひとつひとつ意味付けをしていった結果。
根本 もうひとつの診断の軸として
「レイアウト」つまり「文字の配置」という
ポイントも、20種類ほどあります。
── 配置、というのは?
根本 たとえば、ハガキに住所氏名を書くとき、
「天」ようするに
「ハガキの上端ギリギリ」のところから
書きはじめる人がいるんです。
── ええ、ええ。
根本 これを「天つまり」と呼んでいるんですけど、
そんなふうに書くのって
ヤル気に溢れた、意欲的な人が多い。
── へぇー‥‥。
根本 ボクシングでいえば、
とにかく接近戦に持ち込んでブン殴りたい
という性格なんです。
── ‥‥つまり、イケイケであると。
根本 そして、その逆を「天アキ」と呼んでいますが、
こちらは
一歩引いて見定めようという慎重型
多く出る傾向があります。
── 言われてみれば、なんとなく、そんな感じが。
根本 もちろん、文字には個人内変動と言いまして
周囲の環境や体調・心境などによって
同じ人であっても、さまざま筆跡は変化します。
── ですよね。単に「腕が痺れた」とかでも。
根本 ですから、われわれは、
単に「文字の形状」というよりも
文字の表面から読み取れる「運筆」
より、注意を払っているんです。
── ウンピツ?
根本 ええ、筆記の際の「腕の動かし方」のことです。

単純に「一」という横棒一本でも、
「斜め上からグイッとひねって書きだす人」
「まっすぐ、水平に書く人」
「全体的に、ゆるい山なりで書く人」‥‥など
腕の動かし方は、人それぞれなんです。
── それが、文字にあらわれる?
根本 表面的な「個人内変動」にとらわれず、
文字の画線の特徴から
「筆記の際、どのような癖があるか」
見極めるということですね。
── そのような点に注目しながら
「同一人物が書いた文字かどうか」を判断するのが
筆跡診断に対し「筆跡鑑定」なわけですよね。
根本 文字の異同を調べるだけでなく
「文字の書き手を識別すること」
最終的な目的ですけれど。
── ここで、もうひとつの質問なんですが
その「筆跡鑑定」の「科学性」と申しますか‥‥。
根本 ええ。
── 裁判などにおける
筆跡鑑定書の証拠能力については
どう考えられているんでしょう。
根本 たとえば「DNA鑑定」などであれば
科学的に
かなり高い証拠能力を持ちますよね。
── はい。
根本 筆跡鑑定に、そこまでの証拠能力はない。

つまり、最終的には
鑑定人の経験的ノウハウによるものですから
100%の科学性・客観性は持ちえません。
── それは結局、鑑定しているのが
コンピュータではなく「人間だから」ですか?
根本 ある意味では、そうです。

これは、警察本部の科捜研が行う筆跡鑑定も、
われわれ民間が手がける鑑定も、同じ。
とにかく、
筆跡鑑定の科学性・客観性には限界がある。
── そうですか。
根本 たとえば、ふたつの文字を見くらべて
同一人物によるものかどうかを鑑定する際、
Aさんという鑑定人は
「ある特徴的な部分が一致している」ことを
何箇所も発見し、
結果「同筆性が高い」と、見たとします。
── 同筆性とは、同じ人が書いた可能性のこと。
根本 しかし他方で、Bさんという鑑定人が
「バカ言っちゃいかん」と。

この部分が、決定的に違うじゃないか、と。
── Bさんは、同じところではなく
異なる部分に重きを置いて判じたわけですね。
根本 結論を左右するポイントが
鑑定人の経験や考えかたによって
ちがってくるんです。
── どんな考えに依拠しているかが異なっていては
そりゃ、同じ鑑定にはならないですよね。
根本 どのポイントが、どのポイントに優先するのか。
統一的な基準が存在しないわけです。
── それは、つくることはできない‥‥のですか?
根本 体系化するのは、きわめて難しいと思いますね。

データ自体が膨大なことに加えて、
鑑定には、データのみには依拠しきれない、
人間的な判断も混じりますから。

経験則からくる直感が手がかりになることも
ありますし。
── たしかに、パソコンによる画一的な鑑定では
例外的なケースに対処できなそうな‥‥気が。
根本 もちろん、一定以上の水準の鑑定人ならば
ある程度、
結果は一致してくるものなのですけれど。
── でも、筆跡鑑定では
100パーセントの科学性を担保できないのは
わかるんですが、
それでも、信頼性を高めてきたからこそ、
裁判などでも
判断材料のひとつとして
提出が求められたりするわけですよね。
根本 そうですね。

ですから、できるかぎり科学的であるために
さまざまに工夫を凝らしています。
── それは、たとえば?
根本 ひとつには、
筆跡鑑定を確率論的に捉えたりとか。
── 確率論。
根本 たとえば「東京都」の「都」という文字がある。

このなかに、横棒の角度でも
偏とつくりの間隔でも、何でもいいんですが
「5人に1人くらいはこう書く」
という特徴があったとします。
── そういう「割合」が、決まってるんですか。
根本 ええ、筆跡の鑑定ポイントには
それぞれ
どのくらいの頻度で出現するかの割合が
経験則から求められています。

たとえば
「ハネを書かない」のは「2人に1人」だったり、
「偏とつくりの間隔が広い」のは
「5人に1人」だったり‥‥というように。
── なるほど、なるほど。
根本 で、先ほどの「都」という文字に戻ります。

資料Aと資料Bのなかの「都」について
「5人に1人」の特徴が
「3種類」、どちらにも見つかったとします。
── はい。
根本 「5人に1人」とは「20パーセント」ですから
それが「3つ重なる確率」は?

「0.2 × 0.2 × 0.2」で「0.008」ですね。
── つまり‥‥「1000人に8人」?
根本 そう、1000人に8人。

それくらいの確率では
資料Aの「都」と、資料Bの「都」とを
同一人物が書いたと断定できません。
── つまり、多すぎる?
根本 多すぎます。

1000人のうち8人も書くようでは
同一人物の文字だとは断定できないです。

── じゃあ、どれくらいなら断定できるんですか?
根本 「5人に1人」の特徴が、
もうひとつ見つかっても‥‥「0.0016」です。
── ええ。1万人に、16人。
根本 それでもまだ、難しいでしょう。

他の条件もあってケースバイケースですけど、
ふつうの民事事件では
「1万人に1人」程度まで絞り込めたら
同一人と特定できる水準でしょう。
── 共通する筆跡の特徴を積み上げていって
そこまでの確率まで絞り込めたら
同一人物だと判断でき、
そこまで追い込めなかったら、できないと。
根本 私は、そういう基準でやっています。

もちろん、特定しきれずに
「同一である可能性が高い」という表現に
とどまる場合も、多いですけど。
── みなさん、そうされているんですか?
根本 いや、そこまで突き詰めている鑑定人は
あまりいないのが現状ですね。

そもそも、こうして数値化せず
いまだに、経験則だけで鑑定している人も
けっこういるようですから。
── そのあたりは、鑑定人によるんですか。
根本 科学性・客観性を重要視しない鑑定人は
残念ながら、
まだまだ多いと言わざるを得ません。
── そうなんですか。
根元 でも私は、同一人物だと判じるのであれば
誰もが、そう納得できる根拠を、
別人だと判じる場合でも
同じように説得力のある根拠を
提示する必要性が、あると思っています。
── ええ、ええ。
根元 フランスなどでは難関の国家資格なのですが
現状、日本には
「筆跡鑑定人」という資格は、ないんです。
── そうみたいですね。

取材の前にいろいろ調べていたときに知って
ちょっと意外でした。
根本 だからこそ、
どんな人にも納得してもらえるように
業界全体で、できうる限り
科学性や客観性、
高い倫理性やプロとしての技術の向上を
追い求めていかなければとならないと
強く感じています。
<つづきます>
2013-02-27-WED
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