糸井重里のコラム
2025-10-13
うちなんかすっごいかわいいのが
いるんだぞ。

・毎日毎日、こうしてなにか書いているのだから、もうだいたいのことはひと通り書いてしまっただろう、と思われるかもしれないけれど、そんなこともない。書いたことよりも、もしかしたら、まだ書いてないことのほうが多いのではないだろうか。うまく書けないからそのままになっていること。思っているが、他の人には言いたくないこと。だれかの秘密に関わるようなこと。あまりにも個人的でそのままにしておきたいこと。そういうことは書いてないし、これからも書かないだろう。だが、書いてもないしメモもしてないのに、ずっと心に残っていることも、たまにはあるものだ。なんだか、ずいぶんと大きく心に残っている小さなことだ。

ぼくの娘は、たぶんぼくよりも怒らない人だと思う。人間ができているというわけでもないが、あまり怒らない。まぁ、おおむね温厚な性格ではあるのだが、どこかのおやじに怒ったという話があった。内容は忘れたけれど、ほんとうに悔しかったのだそうだ。「で、言い返したのか?」とぼくは訊いた「がまんして、黙ってたけど」と彼女は言った。そして、こう続けた。 「うちなんか、すっごいかわいいのがいるんだぞって思った」娘に娘が生まれて間もないころのことだった。「うちなんかすっごいかわいいのがいるんだぞ」とは、なんだろう、彼女のものすごい自信になってるというか、大きな誇りになっているというか、よくわからないのだが、世界のあらゆる悪意に対して対抗できる力なのだろう。ぼくも、そんなよくわからないすごいことを言ってみたい。

「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝 子にしかめやも」は山上憶良である。その「思い・考え」も理解できるけれど、「うちなんか、すっごいかわいいのがいるんだぞ」という「なりたての母」の具体的な心の叫びのほうが、ぼくの身体にずしんと響いて、ずうっと憶えている。 言った本人は、言ったことを忘れてるかもしれないし、その赤ん坊ももちろん知らないことなのだけれど。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。世界平和と同じくらい、すべての子どもの幸福を祈りたいよ。

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