糸井重里
・「ほぼ日」の金曜日は「インディペンデントデイ」
ということになっている。
ミーティングを入れずに、何をするかをじぶんで決めて、
じぶんなりに「したほうがいいこと」をする。
映画を見るなり、マンガをまとめ読みするなり、なんでも。
いっそ公園でぼーっとするにしても、じぶんで決める。
ぼくは、わりと金曜に対談の予定とかが入りやすいので、
インディペンデントをやる機会がなかなかなかった。
しかし、昨日は人に会う予定もまったくなかった。
よし、いかにも金曜日な一日にしてやろうと、
渋谷区立松涛美術館に向かった。
「井上有一の書と戦後グラフィックデザイン」という展示。
じぶん自身も、少々関係している企画だけに、
いつかは行くつもりではいたが、ここで腰が上がった。
井上有一という人の書を、
大きな敬意を持ってみていたつもりだったが、
いまの時代に、いまの年齢になって目の前にすると、
いやぁ、もっとずっとすごいものだ、ずしんときた。
書いた作品がそこにあるというよりも、
人の魂が動いているところを映像で見ているような。
特に、この日は、世界に知られるきっかけとなった
「愚徹」という書につかまってしまった。
大きな「愚徹」の書の、墨の黒いところに、
それを見ているじぶんが反射して写っていたのだ。
ぼくが「書」のなかにいて、さらに、
ぼくの背後の壁にあるふたつの「書」が写り込んでいる。
そこに書かれていた文字は「母」と「哄」だった。
もちろん、そんなことを意図しての展示ではないだろうが、
「愚徹、俺、母、哄」の重なりあう画像が、そこにあった。
撮影禁止なので、それは記憶のなかだけに残ったのだが、
おもしろかったなぁ、井上有一の書いた世界に、
ぼくだけの身勝手なドラマが生まれていた。
松濤美術館、混雑もしていないし、建物の雰囲気もいい。
もし、行ける身体と時間があるなら、ぜひおすすめしたい。
ぼくは、おそらく展示替え後の後半にも、また行きます。
帰りは、松濤から歩いて渋谷パルコに向かうのもいい。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
展示のなかに、ぼくのあの時代の仕事の痕跡も見られました。