糸井重里

・いま気仙沼にいます。
 立川志の輔さんの落語会があるからです。
 「ほぼ日」から、地元の人たちに引き継がれて、
 こんなふうにしっかり続いているのは、実にうれしいです。
 客席の人として、あのすばらしい高座を堪能します。
 落語会がはじまる前には、「ほぼ日」から参加している
 比較的新しい乗組員たちに、気仙沼の人たちが、
 「気仙沼さんま寄席の歴史」をリレー形式で
 語ってくれるのだそうです。これは、ぼくも聞きたい。
 いやぁ、落語、志の輔、気仙沼、いいなぁ。

 ところでお話変わって。
 最近お会いした人から「多読多聴」のことを聞きました。
 これは(主に英語だと思うけれど)外国語の習得法です。
 辞書を引かないでもわかるような簡単な英語の本から、
 とにかくたくさん読んでいく。
 わからないところは、わからないままでいいから、
 いちいち日本語に直さないで読み進めるらしいです。
 その本を、少しずつ上級向けのものにしていく。
 いやだったら、読むのをやめてもいいということです。
 こうやって、少しずつ英文を英文のままで多読していくと、
 だんだんと自然にステップが上がっていくらしいのです。
 高度な本になってきたら、辞書を使ってもいいけれど、
 それは「英英辞典」でやるらしいです。
 ぼくも、その話を聞いたばかりの受け売りなのですが、
 とにかくすっごく興味を持ちましてね。
 ぼくなりの考えとして、この「多読多聴」という方法は、
 赤ん坊から子どもになり成人になっていく過程で、
 人が母国語をおぼえていくのと、同じだと思ったのです。
 赤ん坊は、「まま」とか「まんま」とか「あっち」とか、
 いくら大人が話しかけても、わかることばしか使えない。
 やがて、知らなかったことばがわかってきて、
 そのことばが使えるようになってくる。
 大人になってからだって、わからないことばや表現を、
 適当に飛ばして「読めた」と思いながら読むわけです。
 英語で、この赤ん坊から読書家への道を行けば、
 たしかに、ことばは身についていくと思えるんです。
 ほぼ日の學校でも、その門前の授業とかできたらいいな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
子どもは辞書を使わずに、けっこう達者な日本語を話します。

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