横尾さんのインターネット。
横尾忠則さんが、横尾忠則さんを解説するって?

「カタストロフィ」の部屋、
「メッセンジャー」の部屋
内面を表現しようなんて考えない。
こんなに近くで絵を見るからこそ、
いろんなことを思えるんだね、ぼくらは。


ほぼにちわ。
横尾忠則学芸員+ひとり生徒darlingによる
ほぼ日紙上「森羅万象」のご案内、
お楽しみいただいてますでしょうか。
展覧会会場である東京都現代美術館では、
来る10月5日(土)に
「横尾忠則、森羅万象を語る」 
と題したトークショーが行なわれますよ。
自らの関心のおもむくまま、
制作活動をつづけてきた横尾さんが
そのすべてを語るのだそう!
午前10:00より整理券を配布し、定員は200名。
入場時に「横尾忠則 森羅万象」展観覧チケットもしくは
半券の提示が必要です。
くわしくは、東京都現代美術館のホームページ
をごらんくださいね。
さて、今日は「カタストロフィ」の部屋からスタートです。
絵を見るときに
もっとも注目してほしいところについて、
横尾さんご自身が語りますよ〜!



糸井 しっかし、おもしろいよねぇ、横尾さんの絵は。
こうやってまとめて見ていくと、
一見突拍子もないような変遷があるね。
ふしぎだなぁ。
横尾 そうかな?
わかりやすいほうじゃないの、ぼくのは。
糸井 いやいや、
横尾さんにとってはそうかもしれないけど、
見ているぼくらは、
この流れは、ふしぎでしょうがないですよ。
横尾さんは「自己模倣」を
まったくしないでしょう?
だから、くり返しがほとんどない。
横尾

うん、そうね、くり返さないけれども、
以前に描いた絵の痕跡が、
あっちこっちに飛び散ったり
横断したりしてるんですよ。
それは、けっこう自分で、好きなところなの。
この部屋に入っても、
少しずつ前の部屋のイメージが残ってるんですよ。
そこに、サラリーマンみたいな男が
ジャングルのようなところにいる絵があるでしょ。



以前描いたマッコウクジラみたいなものが、
ここではこういう、
怪物みたいなものになっている。

糸井 パラダイスのときにいたクジラが、
ここにまたいるんですね。
横尾

うん。異界的な感覚が
ぼくの中に入り込んできたのは、このころからだね。



あ! これ、なんだか
ベッカムみたいな頭してるね!

糸井 これはベッカムですね。
悪魔くん、ともいいますけどね(笑)。
横尾 ・・・これ、いま思うと、
いらないね・・・この赤の天使。
糸井 そ、そうですか(笑)。
横尾 あってもなくても、どっちでもいいよね。
まぁ、違和感を出したかったのかな?
天使じゃなくてもよかったのかもわからない。
糸井 当時の横尾さんは、
ご自分でなんだか足りないものを
感じたんでしょうね。
横尾 まぁ、この絵には「救い」がぜんぜんないから(笑)、
ここに象徴的な天使を
持ってきたかったのかもしれないね。
糸井 うーん。はあぁ。
(じぃぃーっと絵を見まわして)
「実際にあるもの」や、
「写真で見たことがあるもの」
ではないものを
こうやって見せられることに
ぼくら、慣れてないですねぇ。
横尾 このへんの作品に関しては
まだ発表したことがないんだよ。
糸井 あ、そうなんですか。
横尾 たぶんみんな
見るのははじめてみたいなもんよ。
長い間、倉庫に入ってたの。
糸井 ところで横尾さん、
この絵なんですけれども。

横尾 なに?
糸井 ここのところ、いったいどうしたんですか?
女の人のアゴが途中で溶けてますけども。

横尾 ああ、ねぇ(笑)?
これはたんに、むずかしくって、
中断したんだろうねぇ、描写を。
糸井 中断した!
ここだけを(笑)!
横尾 これはたぶん、完成した作品じゃないよ。
途中で描くことを放棄したものだと思う。
そういうの、ぼくの作品には多いんですよ。
糸井 ところで、こういうことを
横尾さんに聞くのはどうかと思うんだけど、
例えばガラスならガラス、木なら木を描くときに
「そう見える」ための筆力って、
必要ですよね。
横尾 ああ、ぼくね、
それは自分のなかでいちばん欠けている、
未熟な部分だと思っているんだよね。
糸井 技術、ということですか。
横尾 それが、これからの修練です。
糸井 そうなんですか?
横尾 技術に関しては、ぼくはいつも
未熟だと思っている。
それに、描いていると、
「また一からやりなおし」みたいな経験が
何度もある。
糸井 ピアノの練習みたいに。
横尾 うん。ピアノやバッティングの練習と、
そんなに変わらないと思う。
糸井 技術というものは、
無限にほしくなるものなんですか?
横尾 技術がありすぎても困るけれども。
技術があって、
いざ、っていうときは描けるだけの筆力は持ちながら、
それは出さない、っていうのが
いいのかもしれないね。
いずれにせよ、
ある程度は、技術のことは知っておかないといけない。
糸井 うん。
横尾 ただ、「描けない」のに、
「描かない」フリをしている作品も
このなかにはありますよ。
糸井 そこまで正直に言う人はあまりいないと思うけど(笑)。
横尾さんの絵って
質感みたいなものが保証されている気がするから、
やっぱり技術ってすごいんだなぁって
ぼくらは思うんですけどね。
横尾 !!!
その「質感」ということが
いちばん大事なんだとぼくはいま思っているわけ!
糸井 そうなんですか。
横尾 作品というのは、
あくまでも「外面(がいめん)」なんですよ。
ぼくはそう思うの。
「内面の描写」とか、
「内面の表現が足りてないとかどうとかこうとか」
いう人がいるけども、
あれはぼくはまちがってると思うの。
内面なんか表現する必要は、ぜんぜんない。
質感、すなわち、
おもてに見えるものをただただ描くだけでいいんです。
もしかしたらそれは
内面に到達するものかもしれないし。
だから、最初から内面を表現しようなんて、
ぼくはいっさい考えない。
糸井 内面って、
外面から合成されたものですよね。
横尾 そうですよ。
糸井 こんなに近くで絵を見るからこそ、
いろんなことを思えるんだね、ぼくらは。
印刷されたものなんかで見ちゃうと、つい、
「描かれた意味」を語っちゃうんですよ。
横尾 ぼくの絵に関してだけじゃなくて、
美術や絵画でいったい
何を見て欲しいかというと、
外面や質感だと思うんですよ。
「この絵がいい」とか「悪い」とか、
「感動した」とかいうときって、意外と
質感を感じているんだと思うんですよね。
糸井 そうですねー!
横尾 例えば、この絵にとって、
かばんはどうでもいいわけですよ。


この絵の左下の部分に、赤いかばんが描かれているのです。

赤いスペースと、形をあらわすだけで、
なーんでもないものなの。だけど、
これをいかにかばんらしく描くか。
ぼくはそれが、美術のなかで、
大切なところだと思うんだよね。
糸井 「ここにあるぞかばんが」のかんじが、
きちんと集約されているわけですよね。
横尾 うん。そういうところが、いまの美術では
問題にならないんだよね。
だから、この絵のメッセージ性だとかいうふうに
すぐなるんだよ。
糸井 テーマ主義になっちゃうんだ。
それは、
テーマ主義になったほうが解説しやすい人たち
のための理論ですよね。
横尾 そうそう、
それはなんだか知的だしさ(笑)。
糸井 そういうお話を聞いて絵を見ていると、
なんだかちょっとしたデコボコやほころびが、
どうしようもなく目につきますね。

横尾 これは取るべきか、
このままにしておくべきか、
現実に、どうしようって思うわけですよ、ぼくは。
糸井 思うでしょうね。
横尾 考えますからね、かなり。
そして決定を下すわけですよ。
その決定の中に、
その美術のもつ、作品のもつ
質感につながるものがあるんだよね。

「ただ描くこと」の大切さや質感について
熱〜く語りながら、
「カタストロフィ」「メッセンジャー」の部屋を
まわっていくふたりでした。
次回は「芸術と芸術家」の部屋。
アンリ・ヨコオのサインの絵ではじまる、
おもしろい空間ですよ〜。どうぞお楽しみに。

2002-10-04-FRI


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