横尾さんのインターネット。
横尾忠則さんが相談があるって?

第8回 アンディ・ウォーホール。



糸井 それにしても、今のはらまきの話とか
いろんなもののデザインを頼む時に、
失礼だと思わないで話せるアーティストって、
世の中にあんまりいないと思うんですよ。
横尾 (笑)あはははは。
糸井 (笑)いないんですよ。
やっぱり、みんな、どこかのところで
アートってまつりあげていて、変なんです。
横尾 日本のアートって、
もともとデザインじゃないですか。
最初は、額縁入りじゃないんですよ。
そこを、戻すべきだと思う。
生活のなかに呼び戻したほうが、むしろいい。

ウォーホールのものなんかは、
ウォーホール自体は
生活にどれだけ戻したかはわからないけど、
やっぱり、ずいぶん
生活の中にアートを取り入れたのは、
最初はウォーホールなんじゃないかと思います。
糸井 おとなになるにしたがって、
ウォーホールのやったことはすごい、
と思うようになりましたね。
横尾 彼自身は、あんまりつくっていないと思うけど、
彼の生き方とか様式からヒントを経て、
いろいろなものができたじゃないですか。

いろいろなものができたという点では、
ウォーホールだけじゃなくて、
ビートルズなんかも、そうだけど。
ビートルズが出てこなければ、音楽は
どうなったかわからないって感じもあるし。

そう思うと、変だなとか、
こちらも変だなと思わないとダメですよね。
こちらも恥ずかしいなとか思いながら、
なんかやっちゃっていかないと、
ただ単にイっちゃった人になるから。
糸井 やっぱり、どこかのところで
アートには「おしつけがましさ」が
あると思うので、おしつける以上は
「俺は自信があるぜ」って言ってくれないと、
受け取る側としては、絵でも何でも、
変なものを受け取ってるわけですから、
気持ちの持って行き場がないわけですよ。
横尾 その気持ちは、残ってるよね。
糸井 純粋絵画に行っても、
おおぜいに伝えたい、っていう気持ちは、
心のどこかに入るじゃないですか。
「わかる人が5人わかればいい」っていうよりは、
「5人わかるなら5万人わかれよ!」みたいな。
横尾 そうね。
ぼくなんかでも、絵は、
子どもの頃に体験したもの、
そこから抜け出せていないんですね。
糸井 あぁ。
横尾 ぼくなんかだと、
江戸川乱歩と南洋一郎なんですよ。
そうすると、絵は、
冒険絵物語じゃないとダメなのよね、
どっかでは。

だから、冒険絵画みたいになるの。
あ、アヴァンギャルドじゃなくて。
だから、物語の挿し絵になるの。
何となく、ペーパーマガジンみたいなものに
近づいてくるんですね。

アンディーウォーホールとか
リキテンシュタインとかは、
ちょっと思想的にそういうことを
考えたところがあると思うんですね。
消費社会のなかで、とか、
でも、そういう思想的なものでは
ないところで、やりたいですよね。
糸井 たぶん、
思想的なことって、
あとから考えたんじゃないですか?
ほんとうは、ただ、
やりたかったんでしょうね。
横尾 そうかもね。
恥ずかしいなあと思いながら、
思想的なものをつけて。
糸井 そうそう。
「マリリン・モンロー描いちゃいたいな」
みたいな。
横尾 よく描いたと思うね。
糸井 とんでもないですよ。
横尾 ただ、デザインの世界では、
注文に応じてやっていたから、
とんでもないとは思っていないかもね。
彼はもともとデザイナーで、
そういう世界にいたわけだから。
ちょっと切り替えた話なのかもしれない。

ただ、彼はもともとの
自分がデザイナー出身だということを、
伏せておかないといけなかった。
「これはデザインだ」って言われるのを
防ぐために、彼は一時、自分の
デザインの出自を、消してしまったよね。
いまの時代は、
隠さなくてもいいかもしれないけど。

ウォーホールは、
MOMAで個展をやりたかったけど、
イラストレイターやっていたものも
出てきちゃったから、
できなくなっちゃったもんね。

だけれども、MOMAは
死ぬと同時に展覧会を開いたから、
あとの人はやりやすくなったよね。
糸井 そこで何を展示するのかも、
決めるのはほんとは自分であって、
展覧会場では、ないんですよね。

(つづく)

2001-10-15-MON


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