横尾さんのインターネット。
横尾忠則さんが相談があるって?

第5回 未知に出会う、失敗に出会う。



横尾 ぼくの中では、
インターネットって
まだ完全に未知なものだから、おもしろいね。

ほかの人がもう既に発見したり、
実践したりしてるかもしれないけれども、
自分にとっての「未知」っていうのが
生まれてくるのは、いいね。

ほかの人がたとえやっていたとしても、
自分にとっては未知なわけだから。
糸井 はじめて富士山に登った、
みたいなものですよね。

もともと、横尾さんが
未知な世界をきりひらいてきたことに
ぼくも影響されて仕事をしているわけで・・・。
横尾さんみたいな人にとって、
インターネットという媒体は、
おもしろいんじゃないかと思います。

横尾さんがちょうど世の中に出てきた時に
ぼくはまだ小さい子どもだったけれど、
「そんなの絵にしちゃって、いいの?」
みたいなショックがあったんですよ。
それで、最初は「イヤだな」と思った。
その「イヤだな」が魅力だったわけです。
横尾 それはたぶん、ぼくに、
ほかの人がどう言うかは知らないけど、
自分はこれだ、というものが
しっかりあったからだと思うんです。

いまは、自分がこうだ、と言っても
「俺もそう」「わたしもそっちです」
みたいな人がたくさんいるからさぁ。
糸井 あ、そうだ。
横尾さん、いま、自分のみのまわりに
起こったことをいっぱい書いていますよね。
あれで原稿料になったり
本になったりするものをぜんぶ足しても
そんなに大きな金額にならないと思うんですよ。
横尾 日記書いたって、あんまり売れないよね。
糸井 それを「タダでいいや」ってことで、
自分のページにいくらでも書いていくなら、
自分がすごく解放されますよ。

「毎回400字を2枚書くぞ」
ということならツラいけど、
ネットで書く日記なら、
時には膨大であってもいいし、
時には1行でもいい。
そういう自由さが、
「自分のメディア」ですから。
横尾 自分自身にしたがうというなら、
妙な取引がないから、
自分に忠実になっていくだろうね。
自分と取引をすればいいんだから。
糸井 たとえば、本にしたって、
ほんとうは、分量を決めるのは
自分たちでいいはずなんだよね。
本の厚さって、割と決まっているけど、
でもだいたい、いいところって、
3行くらいだと思うんですよ。
横尾 そんなもんだよね、正直に言うと(笑)。
糸井 (笑)ですよね?
だったら、3行の本を出しても
いいんじゃないかと思うんですよ。

買う人がいて、
売る人がいるんだったら、
たった3行の本でも
出しちゃっていいんだと思うんです。

どこかの枠にあわせるんじゃなくて、
価値を自分で決めて、わかってくれる人が
その価値を認めて買う、というか。
横尾 売れるか売れないかを度外視すれば、
それで、いいわけだからね。
糸井 今度、そういう考えで、
「ほぼ日ブックス」っていうのを
立ち上げようとしてるんです。
おもしろければいいという本のシリーズ。
横尾 そうなんだね。
ただ、売れなくなったらコワイよねぇ。
ネット発で売るつもりが、
売れないからって言って
どこかを駆けずりまわるようになったら、
何をしてるんだか、
わかんなくなっちゃうじゃない。
それって、コワイよ。
糸井 でも、ぼくはもう、
そういうこともやってしまっても
おもしろいと思うんです。
そこでまた、未知の世界と触れますから。
横尾 糸井くんみたいに、
切り換えて考えられる人は、幸せだよね。
大部分の人は、
「それもおもしろい」
というようには、考えられないもの。
糸井 失敗してから、
「・・・じゃあ、どうする?」
っていうのが、好きなんです。
いや、もちろん、失敗しないように
ちゃんと考えますけれども。
横尾 でも、失敗するときはするんでしょ?
糸井 しますします、それは。
イチローだって、
スランプの時期があるぐらいですから。
横尾 そんなこと言うと、
絵なんて、1枚の絵のなかで、
いくどとない失敗に出会うんだよ。

・・・で、もう
「この絵を描くのやめようかなぁ」
とまで思う。

だけど書きつくすんです。
つまり、最初のプランを変えちゃうわけ。
最初は「極彩色の絵を描こう」って
決めて取りかかったんだけど、
やってくうちに色が混ざって
グチャグチャになっちゃって、その結果、
この絵はモノクロの絵に切りかえてしまおう、
とかって、なっちゃうの。
・・・それは、失敗なんだけどね。
糸井 へえー。
横尾 1枚の絵に、2、3回は
失敗が襲ってくるね。
失敗と「出会う」って感じかな。
糸井 その時、横尾さんは、めげないわけでしょう?
すごいわ。
横尾 そういう時は、その絵に対して
自分がどう距離が取れるかですよね。
その絵に対して「何が何でも」っていう
執着があると負けるけれども、そこで
スタンスを変えられるかどうかというのは、
非常にスリリングだね。

そのギアチェンジが
すごくうまくいった時には
「やった」って思えるし、
そういう風に切りかえられる失敗なら、
大歓迎だよ、という風になっちゃうんだよ。

そういうことをくりかえすうちに
覚悟ができるんです。

つまり、
いつも失敗に出会うのなら、最終的には
完成図が見えないってことになるでしょう?

そうわかると、ぼくなんかは、もう逆に、
「見えちゃってるものはおもしろくないな」
っていう感じになるんです。
見えているものを描いちゃうと、
どんどん職人的に描くだけになっちゃうから。
糸井 職人さんの手仕事に狂いがないみたいに、
「間違いがないように」
っていう姿勢で絵を描いちゃうんだ。

なるほど・・・。
「失敗に出会う」って、いいですねえ。



(つづきます)

2001-09-27-THU


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