第1回
   
── いま「ほぼ日」では
「ほぼ日手帳」を販売中なんですが、
これは昨年7万部を売り上げた
大人気商品なんですよ。
山田 なるほど。
「ほぼ日」は、サイトの物販でも
ちゃんと収益をあげていますよね。
それに、本も直販して
いらっしゃったりするでしょう。
「ほぼ日」で扱っているものは、
確実に売れるものばかりですから、
「在庫が余ってしかたがない」
という状況は、ないんじゃないですか?
── しょっぱなから、公認会計士っぽい発言ですね。
山田 (笑)そうですか?
── 「ほぼ日」は、糸井重里を含めて、
制作畑の人間が
集まってできたようなところがあったので
ものを売るときに「在庫が発生する」ということを
昔はきちんと認識せずにいたんですよ。
山田 在庫というものは、ふつう、
山のようにあるものなんです。
「全体の1割しか売れなかった」なんてことは、
世のなか、ざらにあるんですよ。
ふつうはみなさん、
そういうところで苦労をするんです。

不良在庫がほとんどないということが、
「ほぼ日」が販売分野で
利益を出している秘訣じゃないかと、
まずは思いますよ。
糸井さんは、みなさんに
どんなことをおっしゃっていますか?
── 糸井は、「ほぼ日」を
街のようにたとえることがあります。
「ほぼ日」という街の人通りや、
人気のお店、コンテンツとの時間のすごし方、
というように。
山田 それはものすごい、商売のキモですよ。
「ほぼ日」では
いろんなビジネスがあると思いますが、
そのなかのひとつに、
サイト上で直に何かを売る
ということがありますね。

ものを売るときに、
「あるものがある人たちに気に入ってもらえる」
として、
それにあたる人が
10人に1人いるかどうかわからない
状況だとします。
でも、100人いれば、絶対2、3人はいる。
商品を売るのであれば、
絶対に、人が多ければ多いほどいいんです。

糸井さんの「人通り」「街」という発想は
まさに商売の要諦です。
そして、もうひとつ付け加えるとすれば、
売れるものをつくる方法は
低価格か、差別化か、のふたつです。
「ほぼ日」は、まず
コンテンツは無料で読めるでしょう。
── はい。
山田 コンテンツがいわゆる「フロント商品」なんです。
フロント商品がちゃんとそろっていて、
バックヤードにあるものが、差別化された、
ほかにはない商品である。
そこをひとつとってみても、
経営学のお手本のようなことを
なさっていると思います。
── うーん、なるほど。
山田 「ほぼ日」は、
ハーバード大学の経営学の教授が
分析していっても
おかしくないくらいのことをしているな、
と思いますよ。
── 山田さんは、公認会計士でいらっしゃいますが、
なぜ、会計士になろうと思われたのですか。
山田 僕は、大学を出たあと、
予備校の職員として就職したんですけれども、
五月病ですぐに辞めてしまったんですよ。
── そうなんですか!
山田 入ったばかりの職場をすっぱり辞めました。
職を離れて、すぐに思ったのが
経営に関する勉強がしたいな、
ということだったんです。
僕は大学時代に、
経営者の横にくっついて歩く
「かばん持ち」のようなアルバイトを
4年間やっていたんですが、
そこでの経験が動機のもとになりました。
── そのアルバイトで、何が見えたのでしょうか?
山田 楽しそうだな、と(笑)。
なんだか、経営者って、
イキイキして楽しそうだな、と思ったんです。
── アルバイト先の経営者の「イキイキ」が、
山田さんの心に残ったんですね。
山田 そうですね。イキイキ‥‥イキイキしてたな。
「泣いて笑って怒って」みたいなね(笑)。
── はははは。
山田 経営の勉強をするならば、
経営の勉強ができる学部がある大学に行くとか、
MBAという海外の経営学修士号を
とりに行くとか、
いろいろ方法があるんですけれども、
MBAはもちろん大学入試も
英語力が必要です。
僕は、英語がすごく苦手なので、
英語なしで経営に関することが
勉強できないかと探して
会計士という職業を見つけたんです。

調べてみると、日本のいろんな勉強のなかで、
会計士には「経営学」という試験科目が
あることがわかりました。
勉強もできて、
資格もついてきたらいいなと思って。
── 職場を辞めて、経営者をめざし、
英語が苦手だから会計士、
それが経営の勉強ができる、
うってつけの分野だったのですね。
山田さんは合理的に
考えを切り替えられるタイプのようなのですが
それは、会計士さんの特性なのか、
もともとお持ちだった性格だったのか‥‥?
山田 僕は、いいように言うと合理的ですけれども、
逆に言うと、
見切りやあきらめがすごく早いんです。
忍耐力もないし、意見もよく変わります。
撤退の早さはすごいです。
僕の、こういう見切りのはやさは、
どうしてでしょうね。
‥‥やっぱり、阪神大震災の影響ですね。
── 震災ですか。
山田 震災以降、どうしても
僕には生き急ぐ傾向があるんです。
ちょっとカッコつけて言うと、
「生き急いでるから、
 そんなに同じことをしていられないし、
 同じ場所にいられない」
という心境が自分のなかにあるんだと思います。
── 震災のときは、
現地にいらっしゃったんですか?
山田 はい。家が全壊しました。
それまでは、ずっと、
「まったり」とした人生を
送っていたんですけれども、
それからは、なんだかあわただしくなりまして。
18歳のとき、高校3年生でした。
(つづきます!)

2005-09-21-WED
次へ
もどる
©2005 HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN All rights reserved.