小さな巨人
「ちいさなクッションのようなものないかしら」
ソファーに腰を降ろしたとたん
緒方さんはつぶやいた。
そばに居た外務省の職員があわてて部屋を出て、
椅子の上に敷く薄いクッションを借りてくる。
緒方さんは
「ありがとう」と言って受け取ると、
ふたつに折って腰の後ろに置いた。
小柄な緒方さんがソファーの前のほうに座ると、
自然と背もたれとの間にすきまが開いてしまうのだ。
「こうしないと安定しないんですよ」
彼女はそう言ってにっこりと微笑んだ。
緒方貞子さんにインタビューしたのは、
国連サミットのさなかだった。
国連ができて60年目となる今年、
記念するサミットが開かれた。
世界170カ国を超える首脳が一同に会し、
今後の国連のあり方を話し合うためだ。
緒方さんは国連のアナン事務総長の招きで
ニューヨークを訪れていた。
彼女はアナン事務総長が
2003年11月に選んだ諮問機関
「ハイレベルパネル」のメンバーのひとりだった。
ハイレベルパネルは、
タイのパニャラチュン元首相を議長に、
アメリカのスコウクロフト元大統領補佐官、
中国の銭キシン元外相など
世界の政治家、外交官、
国際機関のトップなど16人で構成され、
日本からは緒方貞子さんが加わっていた。
翌2004年12月、ハイレベルパネルは
国連をどう改革するかの提言を発表、
国連サミットは、これを元に
「成果文書」と呼ばれる改革案を
採択することになっていた。
緒方さんの今回の旅は、
成果文書にきちんと提言が生かされているかを
見届けるのが目的だった。
前日にサミットの冒頭で
アナン事務総長が行った演説は、厳しいものだった。
かみくだいて言うとこんな具合だ。
「世界はバラバラ、このままでは
脅威に対して力をあわせて
立ち向かうこともできないので、
ハイレベルパネルに
大胆な提言をしてもらった。
必要な抜本的な改革はいまだできていない。
各国が激しく対立しており、
これでは改革は達成できない。
最大の失敗は核不拡散・軍縮で、
これは許しがたい。
安保理改革についても、
必要性はみなわかっているのに、
結局何も決まらず先送りとなった」
その口調はわずかに
苛立っているように思えた。
アナン事務総長が「分断されている」と
警告する国際社会、
さらに合意された成果文書を
緒方さんはどう見ているのか。
それがインタビューを
申し込んだ目的だった。
「さあ、なんでも聞いてください」
緒方さんは静かにこちらを見据えた。
41歳のとき、緒方さんは国連と出会った。
学者の道を歩んでいた緒方さんは、
参議院議員だった市川房枝さんの誘いで、
国連総会に政府代表団の一員として参加。
その後1975年に日本で初めてとなる
女性の国連公使、79年には
インドシナ難民視察団の団長として現地を視察、
これが彼女の難民との関わりの始まりとなった。
そして91年に国連難民高等弁務官に就任。
そのとき緒方さんは63歳、
普通の人がそろそろ一線から退こうという年齢に、
彼女はまったく初めての大きな仕事を
引き受けることになった。
国連難民高等弁務官事務所は、
1951年にできた。
23人の職員からスタートしたこの組織は、
緒方さんが就任した当時、職員2500人、
年間予算5臆ドルの規模にまでふくらんでいた。
そして緒方さんがトップをつとめた10年間、
組織はさらに大きくなり、
問題はより複雑になっていった。
もともと東西冷戦で共産圏から逃れてくる
ヨーロッパの難民を保護するために
作られた国連難民高等弁務官事務所は、
冷戦が終わるとともに
役割が薄れていくと思われた。
ところが実際は逆だった。
緒方さんが就任した91年に
まさに東西冷戦が終わり、
それまで押さえ込まれていた民族対立が
世界中で起きた。その特徴は、
かつてのような国と国の争いではなく、
国内の紛争だった。
そして多くの場合、凄惨な殺し合いを伴った。
難民の数は多いときで
2600万人にまでのぼった。
だが緒方さんの仕事の本質は
こうした数の大きさではない。
難民条約によって、難民とは
「国境の外に出てきた人」と定義されている。
国連の難民高等弁務官事務所の仕事は、
こうした難民を保護することにある。
それでは、もし国境を越えていないが
事実上の難民となっている人が居たとしたら、
国連は彼らを救えるのだろうか。
その問いを緒方さんに突きつけたのが、
クルド難民問題だった。
湾岸戦争後のイラクで、
弾圧を逃れたクルド人がいっせいに国境に向かった。
うち40万人がトルコ国境を目指したが、
トルコは国境を閉ざした。
彼らは行き場を失い、
国境内で飢えと寒さに苦しむことになった。
従来のやり方では、
国境を越えていない彼らを救うことはできなかった。
しかし緒方さんは救済に乗り出した。
難民高等弁務官事務所内でも
意見が分かれたこの問題について、
彼女はこう記している。
「私の判断の拠りどころとなったのは、
ただひとつ、彼らを
『救わなければならない』ということであった。
この基本原則(プリンシパル)を守るために、
私は行動規範(ルール)を変えることにした」
その後も、緒方さんは
従来の枠を超えて難民援助を続けた。
緒方さんは何より現場の人だった。
サラエボに防弾チョッキで乗り込んだ
緒方さんの写真は有名だが、
10年の間に31回アフリカを訪れた。
「仕事の8割は現場にある」と
緒方さんは言う。
「成果文書には大事な点が
いくつか入っています」
成果文書の評価を訊ねると、
緒方さんはこう答えた。
「これが実現したのは
非常に喜んでいるのですが、
『平和構築委員会』
ピースビルディングコミッションというのが
盛り込まれました。
今までこうした平和の構築については、
安保理、あるいは安保理以外の
経済社会討議機関など
幅広い協力の上に成り立っていたんですけど、
中心的な任務を持つ委員会、
コミッションというものはなかったんですね。
ハイレベルパネルがかなり
具体的なものも踏まえて提案し、
これが受け入れたのは、
国連も国際社会も必要性を
充分認識したんだと思います」
彼女は続けた。
「もうひとつ、戦争と平和の問題で言えば、
国内の平和と安全というものは
国家の責任なんですが、
実際は国内における平和と安全は脅かされ、
人権は侵害されて、ひどい時には
大量虐殺にまで至る状況があったわけです。
これをどう解決するのか、
これまでは主権の問題などで
難しかったのですが、
今回、国際社会、国連のメンバー国は、
場合によってはこれに関与する、
と成果文書ではっきりと打ち出したことは、
今までと比べるとかなり大きいと思います」
また成果文書には、
日本にとって長年の懸案でもあった
敵国条項の削除が打ち出された。
敵国条項は、国連がいかに時代に合わないかを
示す例としてよく取り上げられる。
第二次大戦で連合国の敵だった国が、
国連憲章に違反した行動をとった場合、
連合国の構成国は
この国々に無条件で制裁を課すことができる、
と国連憲章に定められているのだ。
昔の話ではない。
今もそれが残っているのだ。
もちろん日本も「敵だった国」に含まれる。
「これは日本にとっては
非常にセンシティブな問題だったんです。
敵国条項が残されているのに、
一生懸命加盟国として努力するのはおかしい
という議論もありました。
それから、これも時代錯誤だったんですけど、
信託統治の元にある国というのは
もうほとんどないにもかかわらず、
国連に信託統治理事会というものは
残っていたんですね。
これも廃止するということが決まったことは、
過去の60年の整理の意味では
とても大きいと思いました」
外交の場ではよくあることだが、
妥協が重ねられると
文書はどうにでも取れる中味となる。
各国の国益が入り混じる国連の場では、
なおさら妥協の産物となりがちだ。
しかも採択されても拘束力がなければ、
実現する保障はどこにもない。
今回の成果文書も、メディアからみると
大きなニュースにはならなかった。
「成功したとは言えないでしょうが、
失敗したとも言えないでしょう。
私どもが努力したものが、
成果文書に充分に入っていない点は
もちろんあります。
ですが、大事な点もいくつか
取り上げられている感じがします」
緒方さんは繰り返した。
日本のメディアにとって、
国連改革で最大のテーマは、
安全保障理事会の常任理事国に
日本が入るのか、という問題だった。
国連の最も重要な機関として、
国連総会と安全保障理事会がある。
おおざっぱに言うと、
総会は大きな方向付けをするところ、
安保理は急な事態が起きた際に
すぐ対応できる機関だ。
平和と安全の問題、紛争などの対応は
安全保障理事会が中心となる。
現在この安保理の常任理事国は5カ国。
アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国だ。
第二次大戦の戦勝国からなるこの構成は、
時代に合わないと言われ続けてきた。
この問題も、ハイレベルパネルの提言で動き出した。
それまで漠然とした議論だったのに対して、
ハイレベルパネルはA案、B案という形で
具体的な選択肢を示したのだ。
これを元に日本は、ドイツ、インド、ブラジルと
組んでG4と呼ばれるグループをつくり、
常任理事国入りを目指した。
ところが、既得権益を守りたい今の常任理事国、
また各国の思惑が入り乱れて、
結局何も決まらいまま時間だけが過ぎた。
「これも先送りとなりましたね?」
私は正直、緒方さんの批判の声を求めて
質問をしていた。
彼女はこう答えた。
「残念は、残念です。
ですが、日本が国際社会に貢献している
大国であるという意見の一致が
あったと思います」
さらに彼女は続けた。
「安全保障理事会というのは、
自分の安全を確保するために入るんじゃなくて、
みなの共通の安全を図るために
工夫をする相談をする、
そういう場だと思うんですよ。
そう思ったときに、
日本が入りたいという気持ち、
私も充分理解しますし、
それが当然だと思うんですけど、
それじゃあ、今回それが最終的に
決まらなかったから
そっぽを向いていいかというと、
そうはいかないと思います。
やはり、それに次ぐようないろいろな可能性のある
貢献は続けていくことによって、
まだ(国連)改革は
絶対やめたわけじゃありませんから」
何のために安保理に入るのか、
そもそも安保理に入る必要があるのか、
という議論がいまだ日本では続いていた。
「国連の中枢は安保理です。
その中にいるということは、そこに
大きく貢献できる立場にいるということです。
日本はアメリカに次ぐ大口の分担金拠出国です。
これだけ大きな国が安保理に入っていないことは
国連にとってもよくない。
日本のためだけでなく、
世界のためにも必要なんです。
地域で考えても、そうだと思います。
大きい国は自分の国だけでなく、
影響が大きいわけですよ。
アジアの地域というのは地域機関が
一番少ないところなんですね。
そのアジアのなかで、
前からアジアを代表してとか
おっしゃってたけれど、
アジアを代表するとは言いませんけども、
アジアの重要な国であるのは間違いないわけで、
日本がアジアにおけるいろいろな立場であるとか、
交渉、協力であるとか、そういうことを
今度は世界でもよく反映させるには、
日本は大きな役割があると思いますよ。
そういうことが一番はっきり言えるのは、
安全保障理事会なんです」
「常任理事国入りが果たされなかった。
日本は当面
どう国連と付き合っていけばいいと?」
「なるべく始終、安保理に出ているように、
いま安保理のメンバーですよね。
非常任理事国で。任期は来年もありますから、
その間にどっぷりとつかって
いただきたいと思いますね」
緒方さんの口調は穏やかだった。
成果文書の中味は、サミットが始まる直前に
各国が合意しまとまった。
それまでには水面下で
さまざまな駆け引きが行われたが、
アメリカの姿勢に
みなが唖然とさせられる場面があった。
各国が半年かけて
まとめてきた成果文書の草案に対して、
アメリカのボルトン大使が
クレームをつけたのだ。
500箇所以上の修正を求め、
およそ40ページの成果文書草案を
3ページに大幅に縮小するよう要求、
そこには国連に縛られるのを嫌う
アメリカの姿勢がはっきりと示されていた。
アメリカと国連の関係は冷めていた。
それはイラク戦争で決定的になっていた。
ところが緒方さんは
その関係に変化の兆しを見ていた。
「ブッシュ大統領もアナン事務総長も、
演説でともにルーズベルトに
言及しているんです。
これはとても面白いことだと
私は思いました」
サミット初日、まずアナン事務総長が演説、
続いてブッシュ大統領もスピーチを行った。
確認すると確かにふたりとも
演説の締めくくりで、
国連創設に力を尽くしたアメリカの
ルーズベルト大統領に触れていた。
ブッシュ大統領は次のように述べた。
「新しい世紀がスタートした今、
世界はその理想を実現し、
使命を達成するため国連を必要としている。
国連の創設者たちは、世界の安全が
人権擁護の推進にかかっていること、
またそれには多くの人の力が
必要なことを知っていました。
1945年、国連創設の理念をつくるなかで、
ルーズベルト大統領は宣言しました。
世界の平和を築くのは、
ひとりの人間、ひとつの党派、
ひとつの国で出来る仕事ではない。
平和はすべての国の、
すべての世代の責任だと」
60年の節目であり、
ルーズベルト大統領を引用するのは
不思議なことではないだろう。
だが緒方さんは、アナン事務総長だけでなく、
ブッシュ大統領がルーズベルトに
触れたことに、何かを感じていた。
「ルーズベルトは大国内の合意、
協調で戦後を経営しようと思ったんですね。
戦争が始まる前から、そういう風に
やろうと思って国連作ったんですけどね。
自分が国連を中心的に動かすとは
思っていたと思いますよ。
ですけど自分だけでなく
大国間の協調で動かそうと思って、
その道具として国連を考えたんですね。
そうした意味で、今回ブッシュ大統領も
ルーズベルトに言及したのかなと。
確信はありませんが、
非常に興味を持ってうかがいました」
「アメリカにとっても国連は必要なんだと?」
「アメリカはやっぱり自分だけじゃあ、
平和と安全の問題は完全にはできない、
どんな超大国でもほかの人がいなければ
出来ないことはたくさんあるんですよ。
それに対する認識というものが
ブッシュさんの演説に
やや滲み出ているんじゃないかと
私は聞いていましたけど」
「イラク戦争のころと変わったと?」
「と私は思ったんですけどね」
緒方さんからさまざまな話を聞いているうち、
ふと友人が教えてくれた話を思い出していた。
飢餓と貧困の問題に取り組んでいる、
ビル・ショアという人物の言葉だ。
「飢餓や貧困となどという社会問題は
あまりに大きすぎ、根が深すぎて、
途方に暮れることもある。
自分がどうがんばろうが、
こんなものはバケツのなかに一滴、
水をたらすようなものだと
感じることもままある。
でも僕はこういう社会事業というものは、
教会の大聖堂を建てるようなものだと考えている。
バルセロナのサグラダ・ファミリアや、
ニューヨークの
セント・ジョーンズ・ディバインなど
巨大建築を思い出して欲しい。
あのような建築にかかわる職人や、
建築家やアーティストは、
自分が死ぬまでの間に建物が
完成することは絶対ないことを知っている。
絶対にだ。でも、それでも彼らはやめない。
完成を見届けられないとわかっていても、
彼らは毎朝起きて仕事に行き、
毎日毎日レンガをまたひとつまたひとつと
重ね続ける。貧困や飢餓と闘う、
社会の不正義をなくすためにがんばる、
というのは、そういうことなのだ。
僕らはレンガを積み重ねる職人なのだ。
僕も、君も、最終的な大聖堂の姿を
見ることはないまま死ぬだろう。
それなのになぜやるのか。
それが正しいことだと知っているからだ」
インタビューの最後まで、
緒方さんの口からネガティブなことは
一言も聞かれなかった。
彼女はいいところ、
少しでも前に動いたところを
見ようとしているように思えた。
しかも決して無理して
そうしようとしているのではなく、
驚くほど自然な振る舞いだった。
紛争をなくしたり
世界の平和をつくる仕事というのは、
まさに自分が生きているときに
成し遂げられるようなものではないけれども、
それでも少しでも前進することが
必要だということを、
緒方さんは無意識で感じているように思えた。
国連幻想、国連信仰、国連不要論、
国連をめぐる議論の中でときに使われる言葉だ。
確かに国連が充分機能しているとは言えない。
それはイラク戦争を見ても明らかだろう。
大国は都合のいいときだけ国連を利用し、
小国は平等に1票を与えられる国連から
国益に合う何かを引き出そうとし、
日本はせっせとお金を出し続けている。
歴史的成り立ちも決して無垢ではない。
戦勝国が国連を自国に有利になるような
システムにするよう躍起になったし、
その背後ではスパイ活動も行われていた。
国連加盟の各国の批准書は
アメリカ政府に
寄託されることになっていたが、
そのアメリカも国連加盟を議会で批准し、
1945年8月8日批准書を
自国政府に寄託した。
日本時間では8月9日にあたるが、
同じ日長崎に原爆投下。
恒久平和という理想を掲げた
国連加盟の手続きを進める一方で、
アメリカは広島、長崎と
続けて原爆を投下した。
2代目の国連事務総長
ダグ・ハマーショルドの表現を借りれば
「国連は人類を天国に近づけるために
作られたのではなく、
地獄から救済するために作られた」ものなのだ。
それから60年。
巨大な大聖堂のレンガを積む作業は
いまも続けらている。
「少し早いですが、
誕生日おめでとうございます」
1時間のインタビューを終えた後、
お祝いの言葉を述べた。
その日は緒方さんの誕生日の前日だった。
彼女はかすかに驚いた顔をした後、
「ありがとうございます」と言って、
少し照れくさそうに微笑んだ。
翌日、緒方貞子さんは78歳になった。
今も現役、
JICA(国際協力機構)の
理事長をつとめている。 |