『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者のみなさまへ>
ご無沙汰しています。
久しぶりの原稿を
こんなテーマにしたくなかったのですが・・。



地獄の黙示録

おととし公開された『地獄の黙示録・完全版』に
こんなシーンがある。
24年前のオリジナル版にはなかった場面だ。

カーツ大佐(マーロン・ブランド)を
暗殺するために砦に向かう途中で、
ウィラード大尉(マーチン・シーン)は
フランス軍兵士たちに遭遇する。
彼らはインドシナ戦争でフランスが撤退した後も、
ジャングルの中に家を建て家族らと住み続けていた。
夕食のテーブルを囲んで、
彼らはアメリカ兵であるウィラード大尉に
フランス撤退の歴史を無念のうちに語り、
強い口調でアメリカを告発する。

「カーツ大佐が怒るのも無理はない。
 この戦争は四つ星のお偉いさんが演出している道化芝居だ。
 アメリカは第二次大戦後
 インドシナからフランスを追い出すために、
 ベトミン組織を植え付けた」
「つまり?」とウィラード大尉がつぶやく。
「ベトコンの育ての親はアメリカなのだ」
フランスの兵士はこう言い放ち、さらに続ける。
「我々がなぜここにとどまるのか。
 それは持っているものを守るために戦っているからだ。
 だが君たちアメリカ人は、
 『大いなる幻影と実体のないもののために』戦っている」

戦地に居座り続けるという無惨な設定の
フランス軍兵士たちが見せる狂気。その彼らに
自分たちよりもアメリカは意味のない戦いをしていると、
ウィラードは正面から指弾される。

もともとベトナム戦争は、第二次大戦後
フランスが再びインドシナに侵略したことが発端だった。
これに対して反植民地主義を掲げていた
アメリカのルーズベルト大統領は、
フランスの植民地主義をことさら嫌っていた。
この結果アメリカはベトミン組織に同情し、
中立的な立場をとり、その後は無関心を装う。
同盟国であるフランスが
無謀な戦争を始めるのを止めも助けもしない。
つまり傍観したのである。フランス側から見ると、
アメリカが自分たちを追い出すために
ベトミン組織を育てたと映ったとしても無理はない。

ところが中国革命が起きるなど、共産主義がドミノのように
拡がっていくのではという恐怖感がもたげてくると、
アメリカは態度を変えていく。
最初は対仏援助を通じて、つぎにフランスにとってかわって。
その後は言うまでもないだろう。

漠とした共産主義への恐怖だけではない。
自分たちが介入するしかベトナムの人々を救えないという確信と、
軍事的優位への盲信が、
戦争への躊躇を指導者たちから消し去っていく。
「アメリカ人は
 『大いなる幻影と実体のないもののために』戦っている」
映画の中でフランス兵が口にした台詞は、
コッポラ監督が映画の台詞を借りて発した言葉でもある。
映画を見直し、ふと考え込んでしまった。

ブッシュ大統領は、イラク攻撃の理由について、
『イラクはアルカイダと関係がある』と主張した。
ところがアルカイダを支援していた証拠が見つからないと、
それを引っ込め、
イラクは『大量破壊兵器』廃棄に応じず隠し持っていると
改めて強調するようになった。
さらに最近では、イラク国民を解放するために
フセイン政権を打倒しなければらない旨を声高に叫び、
中東の民主化を持ち出した。

ブッシュ大統領にとってどれが本当の理由なのか。
まず最初にフセイン政権打倒ありきなのか。
元をただせば湾岸戦争にまで遡らなければならないが、
ブッシュ政権を大きく加速させたのは
9・11の同時多発テロであることは間違いないだろう。

アメリカを代表するジャーナリスト、
ボブ・ウッドワードの『ブッシュの戦争』によると、
テロ攻撃を受けた後すぐに
イラク攻撃が政権内で具体的に検討されている。
ビンラディン氏が首謀者だという見方が支配的だったにせよ、
まだ断定もされず、しかもイラクとアルカイダの関係も
まったくわかっていない時期にだ。
このときは、まずアルカイダとそれを守るタリバンへの攻撃に
集中することを国民が望んでいるという意見が勝ち、
イラク攻撃はいったんはひっこめられる。
だが同時にブッシュ大統領は、
イラク攻撃の方法の検討は継続するよう指示を出している。
アルカイダの片がついたら、
つぎはイラクというシナリオは政権内で維持され続けた。

9・11のテロは、
アメリカ国民の心に想像を超える大きな傷を負わせた。
アメリカ繁栄の象徴であるワールドトレードセンターが
2棟とも崩壊しその映像が世界中に流れた。
テロから5日後にニューヨークを訪れた日々を思い出す。
取材の最中、何度も真珠湾攻撃とだぶらせる意見に出くわした。
やられたのは海を挟んだハワイではない。
まさにアメリカの政治と経済の心臓部を叩かれたのだ。
さらに死者の数も真珠湾攻撃を大きく上回った。
歴史上これほどの攻撃を本土に受けた経験は
むろんアメリカにはない。

真珠湾攻撃であれば、
相手は日本というはっきりした国家だった。
しかし今回は姿の見えないテロリストだ。
そこにブッシュ政権の強いいらだちと焦りがある。

ブッシュ大統領は今年の一般教書演説の中でこう述べている。
「9月11日以前は、世界の多くの人々が
 フセインの封じ込めは可能であると思っていた。
 だが、化学兵器や殺傷能力の高いウィルス、
 姿の見えないテロリストのネットワークの
 封じ込めは容易ではない。
 9月11日の19人のハイジャック犯が
 別の武器と別の計画、
 今度はフセインの武器を持ったと想像してほしい。
 たったひとつのガラスびん、小さな筒、そして小さな箱が
 こっそりと持ち込まれるだけで、
 この国はこれまでに経験したことのない
 恐怖の日を迎えることになる。
 そのような日が来ることのないよう、
 われわれは全力を尽す」

フセインの武器がテロリストの手に渡る可能性が
少しでもあるならば、
それを防ぐための行動を起こさなければならない、
つまりフセイン政権を打倒しなければならないと読み解ける。
さらに言えば
「事が起きてからでは遅い。
 未然に防ぐためにはテロリストとの関係を示す証拠など
 待っていられない。アメリカ国民を守るためには、
 その芽はすべて摘まなければならない」
というロジックに、テロ後のブッシュ大統領は
とりつかれているようにさえ見える。
アメリカの安全保障のためには
単独で行動することも厭わないという発言も
こうした考えからきているのだろう。

ベトナム戦争当時、ドミノ理論が幅を効かせていた。
アメリカにしてみれば、ドミノ倒しのように
世界に共産主義が拡がっていくのではという恐怖だ。
だが、当初ドミノ理論は決して確信を持って
肯定されていたわけではない。
『否定できない以上は』、
その理論に従って軍事的にコミットするべしという信念から
軍事行動が始まった。

それでは今回はどうだろう。
確かにフセイン大統領は査察を妨害し続けている。
だがそれが
すぐに攻撃しなければならないほどの脅威かと言えば
国際社会がそうは思っていないのは、
国連の大半の国が攻撃に反対姿勢をとっている状況からも
明らかだ。
さらにイラクがテロ集団に武器を渡したという証拠も確信もない。
だがフセインの武器がテロ集団に渡る可能性が
『否定できない以上は』、軍事行動は正当化されると
ブッシュ大統領は考えているのだろう。

『地獄の黙示録』のフランス兵士は
決して古ぼけた言葉を発しているわけではない。
いまアメリカはまさに
『大いなる幻影と実体のないもののために』
戦いを始めようとしているのかもしれないのだ。

ブッシュ大統領は『神』という言葉を頻繁に使う。
アメリカの大統領はヨーロッパの指導者よりも
よく使う傾向にあるが、ブッシュは特に好んで口にする。
信仰に厚く、ホワイトハウスでは聖書研究会が活発に開かれ、
閣議も祈りで始まるという。

やはり一般教書演説の中でブッシュはこう言っている。
「われわれが尊ぶ自由は、
 米国が世界に与える贈り物ではなく、
 神が人類に授けた賜物(たまもの)である」
世界で圧倒的な軍事力を持ってしまった国のリーダーが、
一種の宗教的信念も相まって
フセイン打倒に向かっていくようにさえ見えるのだ。

アラブ世界が心の中では
フセイン大統領をやっかいものだと思っていたとしても、
アメリカの攻撃によってイスラム圏で反発が拡がり、
新たなテロに結びつく導火線になる可能性もある。
目に見えない、しかも長期に渡る惨劇の応酬が
始まらないと誰に言えようか。

ブッシュ大統領は
ボブ・ウドワードのインタビューに答えてこう述べている。
「私は教科書どおりにやるような人間ではない。
 直感で動く人間なのだ」
ブッシュのアメリカとどう向き合うのか。
世界はいま大きな問いを
突きつけられているのかもしれない。

きょうのコラムは、僕の大好きなアメリカの作家
ポール・オースターの言葉を紹介して終えようと思う。
ニューヨークに住むポール・オースターは
テロから一年を迎えるにあたり、
ニューヨークタイムズに長い文章を寄稿し、
彼の友人でもある柴田元幸の訳で
朝日新聞に掲載された。
その中からの抜粋だ。

「最近ニューヨーカー同士で話していると、
 政府のこれまでの行動については
 もっぱら失望の声しか聞こえてこない。
 ジョージ・W・ブッシュに投票したニューヨーク市民は
 ごく少数であり、
 大半はブッシュのやることを懸念の目で見ている。
 彼はどう見ても我々にとって民主的ではない。
 ブッシュとその側近たちは、
 現在アメリカが抱えている様々な問題に関し、
 開かれた議論を進んで行ってきたとは言えない。
 イラク攻撃をめぐる報道が盛んに行われている今、
 懸念を抱くニューヨーカーはどんどん増えている。
 爆心地から見ると、地球規模の惨事への準備が
 着々と進んでいるように思えるのだ」

「民主主義がアメリカの根底にある心情なのだ。
 個人の尊厳を信じ、互いの文化・宗教の違いを認めあう。
 現実にわれわれが何べんその理想に達しそこなおうと、
 それこそが最良のアメリカだ」

アメリカだけではない。
個人の尊厳を信じ、互いの文化・宗教の違いを認め合う。
これからの世界のキーワードでもあり続けるだろう。
何べんその理想に達しそこなおうとも。

2003-03-19-WED

TANUKI
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