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<ほぼ日読者のみなさま>
ほぼにちは。
スペインへの旅の続きです。
43分間のジダン(2)
試合開始は夜の9時半。
日本の感覚からするとずいぶん遅い。
でもこちらは9時頃にならないと日が暮れないし
楽しむのが大好きな国民だから、
明るいうちは別の楽しみがあるのだろう。
ホテルにチェックインして時計を見ると
まだ午後1時すぎだ。試合までずいぶん時間がある。
とりあえず近くを散歩してみることにした。
白壁の家が続く街並みは
強い日差しがよりまぶしく感じられる。
近くの教会では結婚式が終わったばかりなのか、
着飾った人々が大勢出てくる。
祝いの席の高揚した華やかさがあたりに広がる。
タキシード姿の花婿と
ウエディングドレス姿の花嫁が出てくると、
みな順番に抱き合い笑顔を交わす。
2人は花飾りがつけられた白い車に乗り込む。
人々は車が見えなくなるまでずっと見送っていた。
教会と小さな通りを挟んで「Bar」という看板が見える。
スペイン読みではバーではなくてバルというらしい。
ガイドブックには
「スペイン人にはバルはなくてはならない存在だ」
と書いてある。確かに街を歩くと
この「Bar」という文字はすぐに目に入る。
レストランのように大きいものから、
立ち食いそば屋のようにこじんまりした店まで様々だ。
日本のバーとはちょっと趣が違う。
ガイドブックにはこう続く。
「バルは食堂であり、居酒屋であり、
社交場であり、コンビニでもある。
老若男女が利用するまさに心のふるさと、
オアシスである。
スペインではどんな小さな町にも、
どんな辺鄙な村にも教会とバルだけはある、
と言われるくらい数は多い」
とある。
心のふるさとというほど大げさなものかどうかは別にして、
確かに教会とバルだけはどこにでもあるというのは頷ける。
まさに教会のそばにあったバルに入った。
ビールを頼んで
店の外の歩道に並べられているテーブルに座る。
外から見るとカフェといった風情だ。
店のおじさんが近づいてきて
何か食べるかと言っている(と思う)。
メニューはないかと英語で聞いたがもちろん通じない。
コロッケが食べたかった。
高田馬場のワインバーで食べられる
ポルトガル風のタラのコロッケがとびきりうまいので、
おそらくスペインのコロッケも
似たようなものでないかと勝手に考えたのだ。
コロッケはスペイン語では
「クロケッタ」と言うと聞いたので
おじさんに「クロケッタ」と言ってみた。
最初首を傾げていたおじさんも、
僕が指で輪を作ってボール状であることを示し
「クロケッタ」「クロケッタ」と繰り返すと、
わかったという顔をして大きくうなずいた。
5分後に出てきたのは「肉団子」だった。
なんてことのない普段の土曜日だった。
今夜は地元のチームと
あのレアル・マドリッドの試合があるのだ。
もしかしたらお祭り騒ぎのような雰囲気、
とまではいかないにしても
大きなイベントを予感させるような華やぎが街にあるのでは
とわずかに期待していたのだ。
「ベティスとの試合観に行くの?
いいなあ、
それスペインで最も攻撃的なサッカーをするチームだよ」
サッカー元日本代表の水沼貴史が言った。
ゲストとして毎週番組に出てもらっているため、
立ち話で旅の計画を話したのだ。
「本当はマドリッドにあるサンチャゴ・ベルナベウで
観たかったんですけどね」
と僕は言った。
サンチャゴ・ベルナベウは
レアル・マドリッドの有名なホームスタジアムだ。
どんなスタジアムなのか一度観てみたいと思っていたのだ。
「いや、でも、ベティスのホームで観るほうが
かえって楽しいかもしれないよ。
地元ファンが熱狂的だから」
水沼はそう言って、いいなあ、いいなあと繰り返した。
元日本代表選手の言葉は、
セビーリャは遠いためちょっと面倒だと思っていた自分を
納得させるに充分だった。
しかもセビーリャなんてこんなことでもないと
おそらく一生行くことはないかもしれないし、
かえって面白い試合が観ることができるかもしれない。
そう思えるようになった。
攻撃的なベティスに、熱狂的なファン。
昼間から華やぎが街にあるのではと勝手に期待したのは、
そんなイメージを持っていたからだった。
バルを出て、幾つかの観光名所によってみることにした。
スペイン最大の聖堂「カテドラル」の周りには
観光用の馬車が何台も並んでいる。
それはいいのだが、馬の糞があたりに散らばって、
かなり強烈な臭いが漂っている。
大勢の観光客も顔をしかめて鼻をつまむ。
僕はいつのまにか早足になっていた。
1402年から1世紀をかけて
建設されたというカテドラルは、
600年前に建てられたとは思えぬほど巨大だった。
当時の建築技術のレベルの高さに驚かされる。
薄暗い部屋の中をゆっくりと歩く。
初めてニューヨークを訪れたときのように、
いつの間にか見上げる姿勢のまま歩いている。
ひとめぐりするころには首が疲れていた。
隣にあるヒラルダの塔に登る。
階段はなく、
大人がようやくすれ違えるほどの狭いスロープが
円をえがき回りながらあがっていく。
当時の王様が馬にまたがったまま
登れるためにということらしい。
かなり息が切れて太股を押さえるようになるころ、
高さ98メートルの展望台にようやく着いた。
街を眺める。下からはわからなかったが、
あちこちのホテルの屋上にプールがあり
そこで人々が優雅に日光浴を楽しんでいる様子が目に入る。
目の前にあるのは大きな闘牛場だ。
探してはみたがサッカースタジムは目に入らなかった。
サンタ・クルス街を歩く。
かつてユダヤ人街で17世紀以降は
セビーリャの貴族が住みついたというこの一角は、
白い壁の瀟洒な家が建ち並ぶあか抜けた雰囲気だった。
狭い路地を進むと、
どこからともなくカスタネットの音が聞こえる。
フラメンコの音色だ。
あたりを見渡しながら歩くと、
こちらに向かってくる女の子の右手に
カスタネットがあった。
お父さんに左手をひかれた6歳から7歳くらいの少女が
リズミカルにきれいな音色を奏でている。
道行く人々がみな振り返る。
ちょっとしたスターだった。
土産物屋でカスタネットを見つけ
僕も真似してみたがただの騒音だった。
日が暮れないと時間の感覚が失われていく。
時計をみると8時前だ。
試合まであと1時間半あまり。
混むだろうから少し早めに行った方が無難だ。
何か少しおなかに入れてから向かおう。
こんどこそコロッケをと思い、
メニューに写真がついているバルに入った。
ビールとコロッケとサラダを注文する。
冷たいビールが食道を通り
空きっ腹に流れ込むのが感じられる。
コロッケをつまむ。
予想に反してうまくない。
油っこさばかりが口に残った。
店を出るとバルの外のテーブルに、
カラフルな民族衣装を着た7人の男たちが
ギターを持って集まり、ビールを飲んでいる。
じきに誰からともなく演奏をはじめ歌い出す。
男たちの声が重なり合い、
夕暮れを迎え始めた街に響き渡った。
さあそろそろだ。
僕はタクシーを拾ってスタジアムの名を告げた。
通じないので財布からチケットを出して見せると
運転手はにやっと笑って頷いた。
(続く)

『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円
「言い残したことがあるような気がして
口を開こうとした瞬間、
エレベーターがゆっくりと閉まった」
「勝ち続けている時は、自分の隣を
神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」
余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)
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