|
<ほぼ日読者の皆さまへ>
ご無沙汰しています。
お元気でいらっしゃいますか。
僕はなんとかやってます。
新作です。(こう皆さんに言えるのがうれしいなあ)
きょうはずっと気になっているテーマです。
天才が天才になる日
ジョン・レノンは子供の頃から
自分は天才だと確信していた。
なぜ天才である自分を誰も発見してくれないのか。
学校で誰よりも賢いのは自分なのに
なぜ皆はわからないのか。
先生は馬鹿だということもどうして理解しないのか。
自分には知識など必要ない。
その不必要な知識しか持ち合わせていないのが先生なのに
それに気づく人はいないのだろうか。
少年ジョン・レノンはそうした状況に
激しい怒りを覚える。
高校に進んだころのこと。
「自分の書いた詩を捨てると
将来自分が有名になったとき後悔するよ」と
彼は何度も伯母に言う。
たが、伯母は彼の詩を捨てた。
ジョン・レノンは自分を天才として扱わなかった伯母を
大人になっても決して許さなかった。
少年時代からすさまじい自我と
確信を持っていたのには驚くが、
天才というものがあるとすると、
そして彼の残した数々の作品を思うと
やはりジョン・レノンは天才だったのだろう。
天才は生まれながらにして天才なのだろうか。
いや、それともある日天才になるのだろうか。
忘れられないインタビューがある。
偶然テレビで見たのだが、
松坂大輔の横浜高校時代の野球部監督、
渡辺元智の言葉だ。
「松坂は50年にひとりの選手です。
私の人生で最初で最後でしょう」
渡辺が目を細めて言う。
そして渡辺は「しかし」とつぶやいて続けた。
「驚きを隠せないですね。
松坂は1年生で入ってきた時は
たいした選手じゃなかった。
あの少年がなぜ3年後には
あそこまでの選手になったのか・・・」
野球の名門横浜高校には
大勢の新入部員が入ってくる。
しかもほとんどは腕に自信のある野球エリートたちだ。
その中において松坂は少なくとも1年生の時には
なんということもない選手だったというのだ。
渡辺は本当に不思議そうに首を傾けた。
それでは今をときめくイチローはどうか。
子供の頃からのチチローとの2人3脚は有名だ。
高校時代も甲子園に2度ほど出場している。
しかしこの頃、ここまでの選手になると誰が思っただろう。
プロに入る際も、注目され期待されていたわけではない。
オリックスに4位指名でなんとか入ったのだ。
そして2軍を2年経験してようやく一軍にあがる。
そこからはもはや言うまでもない。
中田英寿はどうか。
高校時代から優れた選手で
アンダーやユース代表として活躍、
日本サッカー界の将来を嘱望される若手のひとりだった。
が、今のように傑出した存在になるのは
イタリアに渡る前後からだ。
天才は天才として生まれるのか。
それとも、ある日天才になるのか。
才を持ってうまれたとしても、
それだけでは不十分であることは言うまでもないだろう。
もし天才と呼ばれる人たちが持つ共通点があるとすると
自分を信じきる力であり、
肉体だけでなく頭で考え抜く力であり、
自分のイメージを追い求め
リアルにしていく力であるように思える。
おそらく天才は生まれながらにして天才なのではない。
ある日天才というにふさわしいものを獲得し
天才と呼ばれようになるのだろう。
だが考えてみると天才という言葉は、
僕のような凡人が、
及びもつかないほど遠くに行ってしまった人たちのことを
勝手にそう呼んでいるだけかもしれない。
本人にはどうでもいいことだろう。
イチローはいつイチローになったのか。
そして松坂はいつどのようにして松坂に。
渡辺監督の疑問を解くことは、
ある一線を越える人間とそうでない人間を隔てる何かを
知る手がかりになるかもしれないのだ。

『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円
「言い残したことがあるような気がして
口を開こうとした瞬間、
エレベーターがゆっくりと閉まった」
「勝ち続けている時は、自分の隣を
神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」
余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)
|