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<ほぼ日読者の皆様へ>
新宿の火災現場
発生後と日曜日と
二日続けて行ってきました。
外から見るとこげた窓が見えるだけで
44人が亡くなったなんて信じられないほどです。
隣のビルは何事もなかったかのように
もう普段の歌舞伎町でした。
さてきょうは、
陸上界の歴史を変えた
アスリートの話です。
47秒89
「あんな状態になったのは・・・生まれて初めてです」
為末(ためすえ)大は
至福の瞬間をゆっくりと思い出した。
2001年8月11日。
日本陸上界の歴史が塗りかえられた。
男子400メートルハードルで為末大が
銅メダルをとったのだ。男子トラック競技で
日本人がメダルをとったのは初めてだった。
為末の身長は169センチ。
世界最小のハードラーと呼ばれた男が
世界の頂点に届く場所までたどり着いた瞬間だった。
しかもシドニーオリンピックで
転倒して敗れた男という過去が、
勝利をさらに劇的なものにしていた。
その為末が番組に生出演してくれた。
スタジオにハードルを用意し栄光のアスリートを迎えた。
テレビ番組のインタビューは活字の世界のそれとは異なる。
しかも収録のインタビューと
生放送のインタビューもかなり違う。
収録のインタビューがじっくりと聞き出して、
いいところをつまんで編集できるのに対して、
生放送では限られた時間の中での勝負。
視聴者にあきられないように、
いかに早く盛り上げるかを考えることになる。
この日はスポーツの担当者がいくつかの小道具を用意し、
女性キャスター陣と3人で訊いた。
為末はTシャツとジーパン姿だった。
ベルトに鎖をじゃらじゃらとぶらさげていた。
私服の為末はどこにでもいそうな23歳の好青年だった。
右手には黒いリストバンドをしていた。
「どうしてリストバンドを?」と訊ねると、
「かっこよくありません?」と
独特のイントネーションで答えた。
為末がハードルのそばに立つとハードルが高く見えた。
ハードルは91、4センチ。為末の腰のあたりにあった。
「背の高い選手にとってはハードルですが、
僕にとっては幅跳びのようなものなんです」
そう言って為末は後ずさりしながら
踏み切るあたりの場所に立った。
ハードルからは大きく離れていた。
「僕の場合かなり前の位置からジャンプして、
頭を下げて前傾姿勢で飛び込むんです」
400メートルハードルの場合、
10ものハードルを跳ばなければならない。
「高いハードルを次々と跳ぶ。
こんなめんどくさい競技をどうして選ばれたんですか?」
失礼な質問にならないように笑いながら訊ねた。
為末も微笑んで答えた。
「勝負できるからです」
「え」と私は言った。
「日本で何番と言うんだったら走るだけの競技でいいんです。
ですが世界を狙いたいと思ったからハードルを選んだんです」
為末は少年時代、
100メートルと200メートルの選手だった。
天才少年。彼はこう呼ばれた。
中学時代の200メートルの記録は
未だに破られていないほどだ。
「外国の選手はハードルを嫌う傾向があるんですよ」
と言って為末はちょっと面白がるような口調で続けた。
「勤勉さが必要な競技なんですよ」
「じゃあ、日本人にあってる?」私は訊ねた。
「そうなんです」為末は笑った。
このあとスタジオには、『たこわさび』が用意されていた。
銅メダルをとったあと
「いま一番何がしたいですか」と訊かれて
「たこわさびが食べたい」と答えたのを受けたものだった。
為末が大好きだというワインも用意され
銅メダルを祝って乾杯した。
こうした段取りをこなしながら、
私はどうしても訊きたいことがあった。
彼が走りながら見た風景だった。
「シドニーオリンピックでは転倒した。
今回の世界陸上では銅メダル。
シドニーの時の自分と今回の自分と何が違ったんですか?」
為末はちょっと考えてからきっぱりと言った。
「言葉は悪いですが、なめてかかれたということだと思います。
シドニーの時は必要以上に相手を強いと思っていた。
今回はなめてかかれたんです」
「メダルへのランのとき、どんな風景を見て、
どんな音を聞き、何を考えて走っていたんですか」
私は訊ねた。
「決勝は特別でした。音が消えた状態になったんです」
為末は大事な瞬間を思いだすようにゆっくりと続けた。
「僕は頭の中で歩数を数えながら走るんですが、
タンタンタンという自分の足音だけが響いていて、
あとは何も聞こえない状態になったんです。
その感覚だけは今も残っています。
あとは何も覚えていないんですよ。まさにゾーン状態です。
その感覚を味わったのは初めてでした」
私はもっと訊きたいという衝動に駆られたが、
インタビューは別の話題に移った。
為末の鍛え上げた腹筋を見せてもらい、
次の大会の抱負を語ってもらった。
予定時間が来てコマーシャルに入った。
次はお天気コーナー。私の出番はしばらくない。
私はそのままソファーに座ったまま為末と話を続けた。
「シドニーでは9台目でハードルにひっかけて転倒しました。
実は4台目でダメだと思いました。
踏みきりの位置がかすかにずれたんです。
背の高い選手ならそのずれを修正していける。
ですが僕のように小さい選手は修正が難しいんです。
最初はわずかなずれでもそれがどんどん広がり、
9台目には取り返しのつかないほど
大きなものになったんです。その結果が転倒でした」
「へたすると最初のハードルを跳んだ瞬間に、
ダメだとわかることもあるんですか?」私は訊ねた。
「あります。でも調子のいいときはこんな感覚です。
足の毛がすうっと流れるようにハードルに触れるんです。
右足で踏み切ってまず伸ばした左足で越えて、
次に右足を曲げてハードルを越える。
足の毛がハードルにぎりぎりで触れる。
まず左足から、そして右足の毛にすっと流れていくんです」
「ほとんどミリの世界なんですね」
「そうです。調子のいいときはですが」
「銅メダルをとった走りの時もですね?」
「もちろんです」為末は言った。
「決勝で初めて味わった感覚を
もう少し話していただけませんか」
「言葉にするのはとても難しいんです」
と為末は言ってしばらく考えてから口を開いた。
「まるで電車に乗っているような感覚でした。
動かされているというか、自然にどんどん進んでいく。
でもよく覚えていない。不思議な感覚です」
わずか47秒89のメダリストへのラン。
だが為末にとっては生まれて初めて
味わうかけがえのない瞬間になった。
そこには永遠が宿っているように思えた。
「本当に気持ちがよかったんです」
為末は遠くを見るようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「何度も味わえるものではありません。
これからのレース人生で2度か3度味わえたらいい。
そのくらいだと思っています」
番組のエンディングで
為末はもう一度腹筋を披露し
みずからチャームポイントという、うなじを
茶目っ気たっぷりにカメラに向けて見せてくれた。
いつのまにかメダリストは普通の若者に戻っていた。

『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円
「言い残したことがあるような気がして
口を開こうとした瞬間、
エレベーターがゆっくりと閉まった」
「勝ち続けている時は、自分の隣を
神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」
余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)
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