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| 『ぼくは見ておこう』 松原耕二の、 ライフ・ライブラリー。 |
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<ほぼ日読者の皆様へ> キャパへの旅はずいぶん長くなってしまいました。 最後まで読んでくれた我慢強い方に 心から感謝します。 どうもありがとうございました。 さて、 ベトナムの次はアラスカの旅です。 <自分の居場所> その人が見た風景を自分の目で見てみたい。 そう思わせたカメラマンがもうひとりいる。 アラスカの自然、動物を撮りつづけた星野道夫だ。 私は彼の写真に導かれるように、 あるときアラスカを旅することになる。 最初の出会いはもう15年前にさかのぼる。 その日、私はつきあっていた女性と 食事をする約束をしていた。 渋谷の書店で待ち合わせた。 どちらが遅れようが本があれば いくらでも時間をつぶせるという私の勝手な言い分から、 待ち合わせはたいてい本屋だった。 何の理由だか、 その日私は大幅に遅れて書店に走りこんだ。 遅刻したときの心理とは不思議なものだ。 歩いてきても最後だけは早足になる。 相手にはお見通しなのに かすかに息を切らせてごめんと言ったりする。 その日も駆け足で書店に飛び込んだ。 ところが書店は広いし、客は多いし、 彼女の姿をすぐに見つけることは出来なかった。 携帯電話をひとりひとりが持つなど 想像すら出来なかった時代だ。 どのくらい遅れるか、 自分が今どこにいるかも連絡する手段はない。 相手が見つけやすいように、 入り口近くの新刊や雑誌のコーナーで待つことが 暗黙のルールになってはいたが、 なにしろ30分以上待たせているのだ。 全く別のコーナーで本を手に取っていても なんら不思議はない。 それどころかわざと見つかりにくい場所に身を置き、 相手が不安になって探しまわることで 遅刻のさささやかな代償を 払わせようと思うかもしれない。 彼女はそんなタイプの女性ではなかった。 あるコーナーで写真集に夢中になっていたのだ。 遅刻をわびると、そんなことより素敵な写真よ、 と肩透かしをくわせるような言葉が返ってきた。 どれどれと私も覗き込み、手にとった。 次第に私は、我を忘れてページをめくっていった。 それが星野道夫との出会いだった。 私は毎日のように写真集を開いた。 アラスカの大自然とそこに住む動物たち。 グリズリー、カリブー、ムース、ドールシープ、 キツネ、ザトウクジラ、アザラシ、アシカ。 どれもがいきいきと撮影されている。 動物の息遣いが聞こえてきそうなほど 距離を縮めた写真があるかと思えば、 カリブーが大移動する壮大な写真もあった。 どれにも動物への愛情と自然への敬意が感じられた。 それだけではない。 すべての写真にも星野の「眼差し」が感じられた。 そこには深い何かが横たわっているように思えた。 その「何か」を感じたいという思いを抱きつづけた後、 私はアラスカに向けて旅立った。 96年の7月の終わりから8月の初めにかけてだった。 星野が見ている風景に少しでも近づくことで、 その何かを理解するヒントになるのではと思ったのだ。 アンカレッジからデナリ国立公園に向かう。 デナリ国立公園はアラスカで最も有名な自然保護地域で、 北米大陸最高峰のマッキンリー山がそびえ立つ。 天気がよければ半そでのポロシャツでも大丈夫だが、 いったん雨になると厚手のセーターが必要だった。 実際、山の天気は気まぐれだった。 シャトルバスに乗る。 一般車両が入れるのはほんの入り口付近までで、 それより先はシャトルバスに乗らなければ入れない。 車内は観光客で込みあっていた。 アメリカ人のお年寄りが半分くらい、 残りは各国の若者たちだった。 動物を見つける度に、観光客が声を上げる。 こう書くとサファリパークを想像される方も いらっしゃるかもしれない。 確かに巨大なサファリパークと言えなくもないが、 規模が違う。 デナリ国立公園は日本の四国ほどの大きさがあるのだ。 大自然の中につくられた長い一本道を バスが走ると言ったほうがイメージが湧くだろう。 バスは針葉樹林が茂るうっそうとした森の中をひた走る。 タイガの森を抜けると木々は次第に背を縮めていき、 あっという間に広大な景色が開けた。 樹木の育たないツンドラ地帯だ。 ちょっとした標高差で これほどまでに風景が違うことに驚かされたが、 夏場のツンドラ地帯は見渡すかぎり緑が続いていた。 はるか遠くには山々が連なり雲が降りてきている。 間を川がぬうように流れている。 グリズリーと呼ばれるアラスカのヒグマの親子が戯れる。 皆一斉にバスの中から望遠鏡やカメラを向ける。 カリブーやムースも目に入る。 動物たちはこちらを見ようともしない。 途中に景色のいい休憩所のようなポイントが いくつかあった。降りてみる。 かすかにひんやりした空気は透き通って何よりおいしい。 大きく深呼吸する。とそのときだった。 トナカイの一種であるカリブーの親子が すぐ近くに寄ってきているではないか。 木の枝のような角が真近で見るといっそう巨大に見える。 じっとしているとさらに近づいてきて、 何歩か歩くと届きそうなくらいの位置で立ち止まる。 目が合う。しばらく見つめ合う状態が続く。 私は飽きなかったのだが、 向こうはあまり興味なさそうに目をそらし、 スタスタとどこかに行ってしまった。 レンタカーを借りて アンカレッジからフェアバンクスまでの道路を 走っていた時のこと。 整備された道路が大自然の中を真っ直ぐに続く。 何時間運転しようと疲れを感じない。 走っているだけでワクワクするのだ。 その時、前方にヒグマの親子の姿が見えた。 ゆっくりブレーキを踏む。 彼らから5メートルほどのところで停止する。 親熊がゆったりと道路を渡り、 後ろから子熊が必死でついていく。 子熊は渡りきる前に首を傾けてこちらに顔を向けた。 不思議なものを眺めるような好奇心に満ちた瞳だ。 そのまま親子は悠然と道を横切り森の中に姿を消した。 15秒ほどの出来事だった。 完璧な静けさだけが残る。 窓を開けてひんやりした空気を吸い込む。 胸の鼓動がしばらくおさまらなかった。 なぜか自分だけが置いてきぼりにされた気持ちになった。 星野の世界をかすかに垣間見たように感じた。 星野は写真集だけでなく文章も著している。 繊細な言葉で思いが綴られる。 何よりも表現したい中味を明確に持つ強さが感じられた。 その中に記されたエピソードで 最も惹かれものがふたつある。 ひとつは彼の中学校時代の話だ。 星野は電車通学中、よくクマのことを考えていたという。 自分は電車に乗っている。 その瞬間にも北海道の山の斜面には クマがいて何かをしている。 今という時間を自分とクマが共有している。 自分が全くいない消えた状態で 山の中を歩くクマを見てみたい。 そんな思いが浮かぶと頭から離れなくなった。 それは星野の生き方を決定づけた資質のように思える。 長い長い時間の流れの中で、 今の時代のこの瞬間にぽつんと自分がいる。 同時に動物たちも時代と時間を共有して生きている。 中学生が友達や宿題のことを考えたりするように、 星野は少年時代からそんな想像力も働かせていたのだ。 彼はカメラマンになって アラスカを旅する中で感じたことをこう書いている。 「この4,5年、 私は南東アラスカの自然に魅かれて撮影を続けていた。 道のないこの土地は海を旅するしかない。 深い原生森林と氷河におおわれた 南東アラスカの世界は美しく、 フィヨルドに沿った多島海には 夏になるとたくさんのザトウクジラが 豊かな海の幸を求めて戻ってきた。 人気のない入り江で夜を過ごしていると、 今が一千年前だと思えば、タイムトンネルを くぐり抜けるのに何の想像力もいらなかった。 手つかずの原生自然はそれほど神秘的だった」 少年時代に電車の中で感じたクマの話と、 1千年の時間を超える感覚は 本質的には同じであるように私には思える。 悠久の時間のなかで 人の一生は長い連鎖の中のほんのひとつであり、 大きな自然の単なる一構成員に過ぎないかを 星野は本能的に感じ、それを確認していくプロセスが 撮影する作業だったのではないか。 同時にそうした感覚に身を置くことが いかに人の心を平穏にするものか 星野は心得ていたのではないだろうか。 16歳で星野はひとりでアメリカに行き ヒッチハイクで旅をする。 その後たまたま見たアラスカの小さな村の写真に 惹かれて村の代表者あてに手紙を書いた。 すると「来なさい」という返事が来る。 19歳の彼は単身乗り込んで3ヶ月間、 村の家族と過ごした。 学生運動華やかりしまさにその頃、 彼はまったく別のところに心を奪われていたのだ。 慶応大学経済学部を卒業してするも、 頭の中にはアラスカしかなかった。 彼はアラスカに住むためにカメラを選んだ。 何よりもまずアラスカありきだったのだ。 考えてみれば不思議なことだ。 私たちは生まれた瞬間から 否応なく社会の一員として組み込まれ、 そのシステムの中で生きることを余儀なくされる。 選択肢も社会の枠の中にしかない。 社会にうまく適応したものが成功者と言われ、 適応できないというだけで 失敗者の烙印を押されてしまう。 星野はいとも簡単に日本社会を抜け出す。 アラスカで暮らしたいというただそれだけの動機で。 私は電車の中でクマのことを 考えるエピソードが大好きだ。 カメラはあとからついてきたという 職業選択の実に不純な動機もだ。 心の奥底から湧きあがるシンプルな思いこそが、 人を突き動かし社会の枠を超えさせるのだ。 もうひとつのエピソードは銃にまつわるものだ。 撮影に行くのに通常はセスナをチャーターする。 ブッシュパイロットと呼ばれる専門の人に 連れて行ってもらい、 どこか撮影にふさわしい場所を選んで降ろしてもらう。 たとえば湖の水面や雪の上、 氷結した湖面などに着陸する。 そこで食料や機材をおろして、 例えば2週間後に迎えにきてくれるように頼む。 カメラマンは近くにテントを張り、 そこを拠点に歩き回って写真を撮るのだ。 一度行くとセスナ代だけで 20万円から30万円がふっとぶ。 星野も生活していくのがやっとだったという。 未開の地で動物を撮影するとき、 クマから身を守るために カメラマンは銃を持つのだろうか。 アラスカでもふたつの考え方があるという。 銃を持たないなど非常識という立場と、 銃を嫌うという考え方だ。 星野は絶対持たないというわけではなかったが、 実際には銃を持たずに 撮影旅行に出るケースがほとんどだった。 よほどのことがない限り クマは人を襲わないと星野は信じていた。 クマと共生したいという思いは相手にも通じる。 イヌ嫌いはイヌにすぐに見抜かれる。 逆にクマと出会っても緊張せずに自然にしていることだと 星野は経験上からも察していた。 もともと彼は銃を好まなかった。 ましてやアラスカの大自然では闖入者である自分が、 生活者であるクマを撃ち殺すなど 彼の流儀ではなかったのだと思う。 また銃を持っていると鈍感になるのが嫌だと 星野は言っている。 持っていなければ周囲に対して敏感になるが、 持っていると最後は殺せるから安全だと どこかズボラになっていくという。 狩りとは動物の気持ちになって行動することでもある。 動物が何を求めどう行動するかを察知して仕留めに行く。 カメラマンも似たところがある。 動物の習性を知ることで 待ち伏せして優れた写真をものにすることもあるのだ。 彼はそうした緊張感を失いたくなかった。 そんな星野も銃を持って入りたいところがあると インタビューで話している。例えばデナリ国立公園。 野生動物は人間に対して自然の距離を保っている。 ところが国立公園では クマもその距離感が狂ってきていて、 道路に出てきて車の前を通り過ぎたりしてしまうという。 やすやすと人間に近づく行動をとろうとする。 私の車の前に出てきたクマも そうした距離感を失ってしまったのかもしれなかった。 デナリ国立公園を北に車で3時間の所に フェアバンクスの街はあった。 中心部に入っても人通りは少なく 静かな佇まいをみせていた。 そこは星野が住む街でもあった。 売店に入る。様々な土産品とともに 星野の写真集も販売されている。 なぜかちょっと自慢したいような気持ちになった。 私の旅も終わりに近づいていた。 星野に会うために来たわけではなかった。 彼が魅せられたアラスカを 少しでも感じられたらそれでよかったのだ。 フェアバンクスの通りを歩きながら思った。 今ごろ星野はアラスカのどこで写真を撮っているのだろう。 あるいはこの街のどこかを歩いているかもしれない。 が、そんなセンチメンタルな思いとは 全く関係ない世界に星野は居た。 私がアラスカに入ったころ入れ違いになるかのように 彼は旅に出ていたのだ。 それは死への旅だった。 帰国して数日後の8月8日。 夜のニュースを見た友人から電話がはいった。 星野道夫がカムチャッカ半島の南にある クリル湖畔で死亡したという。信じられなかった。 そのあと友人の口から告げられた事実は さらに私に言葉を失わせた。 原因は就寝中のテントでクマに襲われたこと。 さらにそれはTBSの番組の取材中の出来事だという。 私は気持ちの整理がつかなかった。 まだ43歳という若さで。 しかも銃を持とうとしなかった彼が、 よっぽどのことがない限り人を襲わないと 信じていたクマに襲われたというのだ。 しかも自分が勤める TBSの仲間が制作する番組の取材中に。 あれほど見つづけていた星野の写真を 私はしばらく直視することができなかった。 それから2ヵ月後、死亡した前日までのVTRが 遺族の了解を得て放送された。 私は祈るような気持ちでテレビの前に座った。 番組は大型ヘリで降りる場面から始まった。 テントをはる星野の姿があった。 星野はスタッフが過ごした小屋の傍に 小さなテントを張って寝泊りしていた。 それが星野の流儀だったのだろう。 撮影風景は 星野のクマに対する距離の取り方を示していた。 クリル湖にはその時期600万匹ににものぼる鮭が 卵を産みにやってくるという。 クマたちが競って鮭を捕まえるのだ。 冬ごもりに備えて100キロ近く体重を 増やさなくてはならないクマたちにとっては 最も命が輝く瞬間でもあった。 星野は提案する。ひらけた場所に陣取って、 危害を加える気がないことをクマに示して撮影しようと。 星野は静かにカメラを構える。 安心したクマはレンズの前に現れ 思い思いの方法で鮭に食らいつく。 時には星野から2メートルほどの位置にまで近づく。 そんなとき星野はじっと身じろぎもしない。 クマの前では緊張せず自然にしていることだ という彼の言葉を思いだす。 クマはのそのそと星野のそばを通り過ぎていく。 ある時は寝ているクマを、 手が届きそうな位置で撮影している。 大胆に見えるが、 星野にとっては経験で培った方法なのだろう。 彼は自分のやり方に自信を持っているように見えた。 同時にクマに仲間であることを示せば 決して襲っては来ないという確信が感じられた。 夜10時。沈まぬ太陽の光の中で 夕食を食べるシーンでVTRは終わる。 そして次の日の午前4時、クマが星野を襲うのだ。 星野にはアラスカの人と動物のルーツを探る というライフワークがあった。 カムチャッカ半島を取材したのもそのためだった。 それでもなぜ カムチャッカという慣れない場所でという思いが残った。 さらに、なぜ鮭も豊富にある時期に クマはわざわざ人を襲ったのか。 アラスカの経験とは違う何かが カムチャッカには潜んでいたのだろうか。 あれから5年近い歳月が流れた。 時々、星野の写真集を開く。 最初に見た時に感じた星野の「眼差し」。 そこには深い何かが横たわっていると感じた。 それはなんだろう。 まだ言葉にするまでは熟してはいないが、 ひとつだけ言えるとすれば、 星野の写真に私は「死」を見ているように思う。 人間の入り込めない自然と動物の「生」を 描いているように見える。 だが星野の眼差しは 決してファインダーに写る対象を向いているのではなく、 その対象が置かれている「時間の流れ」に 注がれているように思える。 象徴的な写真がある。 彼の有名な写真のひとつだ。 オスのムース2頭の角と頭蓋骨だけの写真だ。 2頭の角は絡まったまま 浅い川の流れの中に置き去りにされている。 そこに星野はひとつの物語を見る。 かつて800キロもの重さの2頭のオスのムースが 死闘を繰りひろげた。メスを獲得するためだ。 何のはずみか角が絡まってどうしても取れなくなる。 おかしいと感じながら 2頭はそのままの状態で疲れ果てて死を迎える。 そこへクマやオオカミが現れて肉を食べ、 鳥も残りをついばむ。 絡み合った角と頭蓋骨だけが 何事もなかったかのように残った。 角はこれから 長い時間をかけて土に戻っていくに違いない。 一枚の写真からこれだけの物語と 「時間の流れ」が感じ取れるのだ。 さらに星野の写真のなかでより印象的なのは、 動物のアップではなく、 動物も含めた自然全体をとらえようとする引きの写真だ。 彼は動物を回りの自然ごとフレームに入れる。 最もよく表れているのが動物たちの移動だ。 めったに会えないというカリブーの大移動の写真を 星野は何枚もものにしている。 広い画角で狙う。 移動するカリブーの大群が点の連続のようにも見え、 周りの広大な景色全体が物語にいざなう。 カリブーの来た道、これから進む先も 想像の射程内に入ることはもちろん、 毎年繰り返されているこの季節の移動が 悠久の時間の中に 溶け込んでいくようにすら感じられるのだ。 まぎれもなく星野の興味はそこにあるように思える。 「時間の流れ」を描くことで、 彼の写真は普遍性を帯びていく。 それは「生」の連続性を示している一方で、 コインの裏表のように はっきりと「死」を描き出している。 生と死の絶え間ない連続の中で自然は続いていく。 死は決して大仰なことではない。 ごくあたりまえのことなのだ。 そう星野の写真は語りかけてくる。 日常的に死と向かい合う自然界と比べると 都会では死を感じる機会はほとんどない。 我々はある種の緊張感を失ってしまっているのだろう。 自然に対する星野のあくまで謙虚な眼差しは、 生物としての自分の居場所を教えてくれるのだ。 私はこれからも星野の写真を開きつづけるだろう。 ![]() 『勝者もなく、敗者もなく』 著者:松原耕二 幻冬舎 2000年9月出版 本体価格:1500円 「言い残したことがあるような気がして 口を開こうとした瞬間、 エレベーターがゆっくりと閉まった」 「勝ち続けている時は、自分の隣を 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」 余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。 (ほぼ日編集部より) |
2001-06-05-TUE
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