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| 『ぼくは見ておこう』 松原耕二の、 ライフ・ライブラリー。 |
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<ほぼ日読者の皆様へ> お久しぶりです。 まずキャパへの旅を共にしてくれた 安藤彩英子さんのことを知りたいという 反響が多くありましたので、 彼女自身や、彼女の作品を見ることができる ホームページをご紹介します。 彼女はまもなく日本で個展を開く予定です。 http://www1.linkclub.or.jp/~yaksa/ (ベトナム文化研究院のホームページ時事欄−日本個展の紹介) http://www.artmania.com/TuDo/ (ホーチミン市TuDoギャラリーのホームページ −現在ギャラリーで販売されている作品を中心に 画家の略歴、過去の作品を紹介) キャパの命日である5月25日は 先週の金曜日でした。 そしてキャパへの旅は今日が最終回です。 前回までのおさらいをしますと、 「ロバート・キャパは40歳の時 ベトナムで地雷を踏んで死亡した。 40歳になった私は、ふとキャパの死亡した場所を訊ね、 彼が最後に見た風景を見よう思い立ち、ハノイに飛んだ。 ベトナムはその日くしくも独立記念日のお祭りだった。 キャパの亡くなった場所を探すため詳しい地図を探したが ベトナムにはそんなもの存在しなかった。 東京でもほとんど手がかりはなかった。 キャパと行動を共にした記者の記事と キャパが最後に撮影した写真を頼りに歩き回るしかない。 ベトナムで暮らす画家の安藤彩英子さんが 通訳をかってでてくれた。 そして出発の日が来た。 キャパ最後の日の記事を頼りに進む。 ナムディンという街のはずれの船着き場で 渡し船に乗った。 キャパが50年近く前に渡った紅河は どこまでも紅く広大だった。 渡し船は対岸に滑り込んだ。 地元の人の証言に頼った結果、振り回され、 なかなか行き当たらない。 気が付くとタイビンという大きな街に入っていた。 安藤と私は遅い昼食を食べるためにレストランに入る。 残された時間は少なくなっていた」 というような内容でした。 それでは続きを。 <キャパが最後に見た風景(6)> 時計を見るとまもなく午後3時になろうとしていた。 店はがらんとしていた。 2階のだだっ広い個室に通された。 若い女性がけだるそうに注文をとる。 肉入りの温麺を頼み、ビールを注文した。 ラベルにはタイビンビールと書いてあった。 味はさっぱりしていて美味しかった。 生き返ったような気がした。 午後3時だ。 季節は違えども、この時刻この地域で キャパは亡くなったのだ。 温麺を待つ間にもう一度、 位置関係を整理してみることにした。 キャパの伝記にはこう記されている。 「<ナムディン>から<タイビン>への道に沿って 20マイル東にある<ドアイタン>と<タンネ> というふたつの要塞を引き払い・・」 待てよ、20マイルってどのくらいだ。 1マイルは確か1.6キロだ。計算すると32キロだ。 ナムディンから東に32キロか。 入手したアメリカ軍の地図で見ると、 タイビンをはるかに超えた場所になってしまう。 メクリンの記事などからすると、 キャパが亡くなった場所は、 <ナムディン>と<タイビン>の間であることは 間違いないだろう。 とすると20マイルという数字が 間違っていると考えるのが自然だ。 <ドアイタン>と<タンネ>を知る人が 見つからない以上、残された時間の中で 要塞の名前にこだわって探すのは得策ではない。 とすると、ナムディンとタイビンの間の道路沿いで、 メクリンの記事の描写にあう場所を 見つけるしかやはり手はないだろう。 そしてキャパが最後に撮った写真をよく見ることだ。 ビールを飲み、お腹にものを入れると、 いらいらしかけていた気持ちも 穏やかになったような気がした。 さあもう一度。 まだ時間はあると自分に言い聞かせた。 車でタイビンの街を出た。きた道を戻る。 こんどは冷静に街並みを眺めている自分に気づいた。 タイビンの街並みに入るあたりで 道が二股に分かれている場所があった。 車を降りて眺めた。 ナムディン側から来ると、道が左にカーブをきっている。 来るときは右手の川が広がっていくことに 気を取られていたため見逃していた。 真っ直ぐ行く道と、 左にカーブする道の二股に分かれていた。 V字形だった。 メクリンの記事ではこうだ。 「道は水田から3フィートから4フィートの高さで、 右側を流れる小川の堤防をかねていた。 50ヤードあまり先で道は左に曲がり、 小川に沿った<堤>とV字形を作っていた」 左に曲がる道は確かにあった。 ただメクリンは小川に沿った<堤>と V字形をつくっていると書いているだけで、 真っ直ぐな道が続いているとは記していない。 道があったのをメクリンが<堤>とだけ描写したか、 道は後に出来たか、 それともこの場所ではないかの3つのうちのひとつだ。 それにどうも引っかかっていることがあった。 左に大きく曲がる道を境に、 風景ががらっと変わるのだ。 左に曲がる道の手前は水田地帯。 ところが道を横切った途端に街の風景になるのだ。 キャパの写真では、 左に曲がる道を境に風景はそれほど変わらない。 歳月が風景を変えたことも充分考えられた。 だが、別の場所ではないか。そんな思いが抜けなかった。 もう少し、戻ってみることにした。 今度はゆっくりと車を走らせて 両脇の風景を注意深く観察しながら進んだ。 影の長さで太陽が少しづつ斜光になっていくのがわかる。 時間は待ってはくれない。 「ちょっと止めて」と私が声を上げた。 住宅の向こうにかすかに見えた景色が、 キャパの写真でみた風景のように思えたのだ。 急いで道を「降りて」水田地帯に入る。 道は川の堤になっているので一段高くなっていた。 あぜ道を進み、 振りかえって車の止まっている道を見あげる。 道の高さと広さ、水田との位置関係が、 キャパが撮った 『牛と農民、 そしてそのバックの道路に車両と兵士がいる写真』 と似通っている。 水田地帯を見渡す。 「これだ」私は思わず声を上げた。 『腰までの高さの稲穂をかき分けて、 多くの兵士が進む場面』。 それを横から撮影したキャパの写真の風景だった。 兵士が進む方向、水田の広さ、はるか彼方に見える村落、 すべてがほぼそのままの風景なのだ。 吸い込まれるように細いあぜ道を進んだ。 これ以上行けないという場所まで行った。 「これだ」と、もう一度静かにつぶやいた。 これがキャパが見た風景ではないのか。 緑はどこまでも広がり、空は限りなく青かった。 私はA4版のオリジナル写真を手に 何度も何度も見比べた。 ふうっと息を吐いた。 安藤が写真を覗き込んでは風景を見て、頷いた。 少し角度が異なっているように思えたため、 車で進んでは何度も水田地帯に降りた。 キャパが写真を撮ったまさにその位置に 少しでも近づきたかったからだ。 中年女性ふたりが座って話し込んでいた。 そのひとりタンム・ブイティという名の女性が 親切に話をしてくれた。 25年間この土地に住んでいる彼女は、 1967年頃からこのあたりにも家が建ち始めたが、 道路の配置はずっと変わっていないという。 「近くにはフランス軍が駐屯していた要塞の跡が 残ってますよ。私たちはロボと呼んでます。 ひとつは数キロ手前にあります。 最近ようやく壊して道にしようということになりました。 看板とか目印はありませんが、 石が積んでありますから、行けばわかりますよ」 彼女はひとつひとつ丁寧に答えてくれた。 「<ドアイタン>や<タンネ>と いう名前ではありませんか」 「名前は知りません。 でもタンネという場所はありますよ」 「どこですか」私は訊ねた。 彼女は指差して言った。 「この先の左に曲がる大きな道をずっと行った先の方です」 それが本当なら、ピタリとあう。 手前が<ドアイタン>の要塞。 そこを出て進む途中でキャパは 『腰までの高さの稲穂をかき分けて 多くの兵士たちが進む写真』を撮った。 そして<タンネ>の方向に行く、 左に曲がる道の先の三角地帯で地雷を踏んだ。 要塞跡を確認したかったが、もう時間がなかった。 日が暮れる前にキャパが亡くなった場所に 少しでも近づかなければと思った。 女性にお礼を言って、車の待つ道路に向かった。 途中の民家から歌声が聞こえてくる。 ボリューム一杯あげている。 耳を澄ましていると家の人が招きいれてくれた。 テレビの番組だった。ハノイに着いた日の夜、 オペラハウスで開かれた独立記念日の催しを 録画で放送していたのだ。 数日前なのに、もうずっと昔のことのように思えた。 哀愁を帯びた悲しげな男性の歌声が、 日が傾き始めた水田地帯に響いた。 キャパはどんな思いで亡くなったのか。 それは誰にもわからない。 しかし当時キャパの置かれていた状況は 決して幸福なものではなかった。 第二次大戦を境にキャパの人生は大きく変わる。 連合軍が勝利した後、 彼には撮るべき戦争がなくなったのだ。 キャパはこう述べている。 「人生の終わりの日まで戦争写真家として 失業のままでいたいと願った」 キャパは一転して平和にカメラを向けた。 スタインベックとソ連に行き、 アーウィン・ショーとイスラエルを訪れた。 写真家集団マグナムを設立して 企画のアイデアを出しビジネスにも精を出した。 朝鮮戦争には行かず、ピカソとマティスを撮った。 その間にイングリッド・バーグマンと恋もした。 しかし決して満足は得られなかった。 キャパは結局、戦争から逃れることはできなかった。 その悲劇は、自分が輝く場所が戦場であることを 本人が一番よく知っていることだった。 平和をいかに撮ろうとも、 伝説のキャパを超えることはできなかったのだ。 今後の人生を迷っていた頃、 「カメラ毎日」の依頼で日本を訪れて市民の姿を撮影。 日本に滞在中、キャパは突然 インドシナ戦争の仕事の依頼を受けてしまう。 そんな状況のなかで、キャパは運命の日を迎えたのだ。 道が左に大きく曲がっている地点まで 車で急いで戻った。 地元の何人もの住民が、 道路の地形は当時からずっと変わっていないと証言した。 それならば<ナムディン>から<タイビン>の間で、 道が左に曲がっているのはやはりその場所しかなかった。 道が分かれる所に再び立つ。 そしてもう一度、キャパが地雷を踏んだ場所についての メクリンの記事を読み返してみる。 「道が左折している地点で、 兵士は道の彼方を指差して立ち去って行った。 私たちは(水田から)道路によじ登り、 横切って小さな低地に飛び込んだ。 道が曲がってV字をつくっている堤のねもと、 爆発でできた土の穴から1フィートばかりのところに、 滅茶苦茶に左の足を吹きとばされた キャパが仰向けになって倒れていた」 キャパは<左に大きく曲がった道>は横切っている。 そして横切った先のVの字になっている地形に 降りて写真を撮り、そして地雷を踏んだ。 その場所は、いまはどうなっているか。 最初その場に立ったときに抱いた違和感が 再び頭をもたげた。 <左に大きく曲がった道>を横切る<前>と<後>では、 驚くほど土地が異なるのだ。 横切る<前>は水田地帯。 <後>は店や住宅街、あるいは工場。都会の一角なのだ。 その一帯はずっと前からそうだったかのように見えたし、 裏に入ってみると全く肥沃という感じではなく <荒地>に近い状態だった。 ところどころ だだっ広い沼地のようになっている場所もあった。 とても水田には向かない土地のようだった。 道を横切る<前>と<後>はもともと地層が違うのか。 それとも水の流れなどで 土の質が変わったのかもしれない。 キャパの写真をもう一度見つめる。 死ぬ前の最後の写真は、 道を横切った<後>のものだ。 それと横切る<前>の写真に、 いま感じるような違いはあるだろうか。 ぼんやり見つめても、 同じように緑が広がっているだけだった。 いや、と私は思った。 明らかな違いがあるではないか。 『腰までの高さの稲穂をかき分けて 多くの兵士たちが進む写真』をもう一度ひっぱり出した。 この写真は横切る<前>に撮られたもので、 明らかに水田地帯だ。 ところが、道を横切った<後>の死ぬ直前の写真は、 水田地帯ではない。 緑に覆われてはいるが、水田でもなく畑でもない。 草が生え茂る<荒地>ではないか。 <左に大きく曲がる道>をはさんで、 当時から土地の質が大きく異なっていたに違いない。 水田に適さない荒地は、その後、 住宅や商店といった街の風景に姿を変えたのだろう。 キャパはやはり目の前のこの道を横切って、 V字形に降りて地雷を踏んだのだ。 50年近い月日が 自分の中で一瞬にしてつながったような気がした。 抱えていた違和感がすっと消えていった。 もう充分、と私は思った。 もしかしたら間違っているかもしれない。 だが残された手がかりから推論すると この場所しかないように私には思えた。 V字形の根元は、いまはガソリンスタンドになっていた。 そしてキャパがのぼろうとして地雷を踏んだ<堤>は、 今は道路か、あるいは道沿いの店や工場になっていた。 少なくともいま私が立っている場所から見渡せる場所で、 キャパは地雷を踏んだに違いない。 私はその場所をじっと見つめた。 気がつくと安藤が、花束を持ってそばに立っていた。 「安藤さんが、花束を手向けてくれない」と私は言った。 なんだか照れくさかったのだ。 安藤は首を振った。「いいえ、これは松原さんの仕事」 「そうだね」と私は観念して言った。 白いペンキで塗られた一本の柱が、道沿いに 取り残されたかのように立っていた。 みすぼらしいものだったが、 緑に囲まれてまるで記念碑のようにも見えた。 その根元に花束をゆっくりと手向けた。 不思議と感慨は起きなかった。 キャパは亡くなるべくして亡くなったように思えた。 スペイン内乱、そして第二次大戦と、 戦争カメラマンとして最も幸せな時代を駆け抜けた。 40歳の死はもちろん早い。 だが彼はその後の「平和な時代」を どう生きればよかったというのだ。 残りの人生は彼にとって 無残なものにならざるをえなかったのではないか。 彼は少なくとも伝説のまま亡くなった。 望むかどうかにかかわらず生き生きとしてしまう戦場で。 キャパにとって40歳の死は、 幸せな結末だったかもしれないのだ。 手向けた花が風に揺れる。 突然、こんな思いも心をよぎった。 戦場に戻らず平和な時代を生きぬいていたとしたら キャパは残りの人生をどう生き、 どんな人間に変貌していたのだろうか。 時に、人生とは無残なものだ。 キャパの後半生がもし無残なものになったとしても、 それこそが人生を生きるということなのではないだろうか。 私は数時間前に見た田園風景を思い起こした。 キャパの写真と同じ風景が目に焼きついていた。 私はキャパが最後に見た風景を、確かに感じたのだ。 車に乗って帰途につく。 ふと隣を見ると安藤が座ったまま 静かな寝息をたてていた。 流れる風景をもう一度だけ眺めた。 田園地帯は夕日で赤く色を変えていた。 私はシートに身を沈めてゆっくりと目をつぶった。 <終わり> ![]() 『勝者もなく、敗者もなく』 著者:松原耕二 幻冬舎 2000年9月出版 本体価格:1500円 「言い残したことがあるような気がして 口を開こうとした瞬間、 エレベーターがゆっくりと閉まった」 「勝ち続けている時は、自分の隣を 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」 余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。 (ほぼ日編集部より) |
2001-05-29-TUE
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