『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。
<ほぼ日の読者の皆様へ>

私、縁あって「ほぼ日」に
参加させていただくことになりました。
松原耕二と申します。
夕方の「ニュースの森」という番組をやっておりまして、
「ほぼ日」のコラムでは
人々の生き方を中心に週に一本のペースで
書いていきたいと思っています。
気が向いたらよろしくお付き合いください。
第一回はひとりのスポーツ選手の物語です。


柔ちゃんに挑んだ人生

二十世紀が終わろうとしているころ、
ひとりの柔道選手が引退を発表した。
翌日のスポーツ新聞に小さな記事がのったが、
ほとんどの人は気にも止めなかったはずだ。
彼女は二七才でひっそりと競技人生を終えた。

「引退します。きょう発表します。
一応連絡しておこうと思いまして」
彼女のコーチが電話口で淡々と告げた。
わざわざ連絡をくれたことへの感謝の気持ちを述べて
私は受話器をおいた。
そうか、引退するのか。
様々な思いが胸をよぎった。

どんな選手でもいつかはこの日を迎える。
世界的な選手であれ名もない選手であれ、
いつかは幕を下ろさなくてはならない。
そしてたいていの場合、
競技生活よりはるかに長いその後の人生を、
現役時代の輝ける日々の記憶を糧に
生きていくことになる。

一度は柔ちゃんに勝ってから引退する。
長井淳子(あつこ)の最後の日々を支えたのは
そんな思いだった。
長井は九年前に初めて田村亮子と対戦。
それから十戦して十敗。
一本負けは一度もない。
ほとんどが僅差の判定だった。
田村とこれだけ対戦して
一本負けを喫していないのは長井だけだ。


負けるたび彼女は泣いた。
声を上げて泣いた。
テレビカメラは
インタビューを笑顔で受ける田村を映し出す。
皆が見慣れたその風景からわずかに離れたところで、
長井はいつも涙を流していたのだ。

永遠の二番手。彼女はこう揶揄された。
天才と同じ時代に生まれた悲劇と解説する人もいた。
柔道では国際大会に行けるのは階級ごとにひとりだけ。
四八キロ級に田村がいるかぎり
長井がオリンピックには行くことはなかった。
田村が参加しない小さな国際大会では、
長井が世界チャンピオンになった。
だが単にそれだけのことだ。
世界選手権とオリンピックで勝った者だけが
世界一と呼ばれるのだ。

いっそのこと階級を変えようと思った時もあった。
でも逃げたくなかった。
結局、階級を変えずに田村に挑みつづけた。
美しい顔立ちの彼女のどこに
そんな我慢強さがあったのだろう。
田村に勝つこと。それだけが彼女の目標になった。
もしオリンピックに出たら
長井はメダルを取れる力をもっている。
柔道関係者は口を揃えた。
だがそんな科白は何の慰めにもならなかった。

王者になるのは至難の技だ。
そして王者であり続けることはその比ではない。
それはわかっている。
だが一方で、想像してみて欲しい。
二番手がどんな心情でいるのかを。

シドニーオリンピックの日本代表に
田村が選ばれることを疑った人はおそらくいないだろう。
ひとりを除いてはだ。それが長井だった。
長井と田村の対戦を見るかぎり、
実力は拮抗してきているように見えた。

最も近い対戦などは、どちらが本当は勝っていたか
後で話題になったほどだ。
「長井が勝っていたと思います」
全日本の監督も努めた野瀬清輝は
私にはっきりと言った。
「ボクシングでもそうですが、
チャンピオンに勝つには引き分けではダメで、
はっきりとした勝ち方をしないと旗はあがらないんです」

オリンピック最終予選で田村に一本勝ちをおさめれば、
自分がオリンピックにいけるかもしれない。
長井はそう考え始めた。
彼女の練習はさらに熱を帯びるようになった。

ところがその思いが揺らぐのに、時間はかからなかった。
テレビをつけても新聞を開いても、
今度こそ田村は金メダルを取れるか
という話題でもちきりだった。
田村がオリンピック代表に選ばれるのは
既定事実のように思えた。
そればかりではない。
日本中が田村の金を待ち望んでいるように感じられた。

私が田村を破っても誰も喜ばないのではないか。
それどころか迷惑なのではないか。
おそらくこうした心情は本人にしかわからない。
そして長井は、つぶれた。
不安定になり、胃潰瘍をわずらい、
最終予選では田村と戦う前に一回戦で敗退する。
勝負は畳に上がる前についていた。

「もう疲れました。これまで・・やせ我慢の連続でした」
長井は言った。
「ずっと二番手と呼ばれ続けてきました。
二番手は他の選手にも負けられないし、
勝ちつづけている人とは違うプレッシャーがあるんです」
瞳から大粒の涙がぽたぽたとこぼれた。


シドニーオリンピック女子柔道、四八キロ級決勝。
相手が技をかけようとしたまさにその時、
田村亮子がわずか先に内股をかけた。
主審が一本勝ちを宣言すると田村はガッツポーズをとり、
顔を両手で覆って涙にくれた。
金メダルの瞬間だった。
私はその場面をテレビで見ながら、
長井のことを考えていた。
彼女はどんな思いでいるのだろう。

長井はオリンピック会場でその瞬間を迎えた。
目の前でライバルが夢をかなえたのだ。
「淡々と見ている自分がいました。
以前は、田村さんが勝つところだけは見たくない
という思いがあったのですが、今回は違いました」
そして彼女は思った。もういいかな、と。

田村に挑戦しつづけた九年が走馬灯のようによみがえり、
体の力がすっと抜けた。
初めての挑戦で田村からポイントをとったとき
観客が大歓声を上げてくれたこと、
自分に何の価値も見出せずやめたいと姉の前で泣いたこと、
負ける度もう一度と
無理やり自分の気持ちを奮い立たせたこと。
しかしもう火をつけることはできなかった。
 
「結局、私は自分を信じきれなかったんだと思います」
と彼女は私の目をまっすぐ見て言った。
「それが田村さんにはあって、
私にはなかったということです」
長井はごく普通の暖かい家庭で育った。
違ったのは父親が柔道をしていたことくらいだ。
小学二年のころから姉と、柔道教室に通い始めた。
大学時代の柔道部監督でもあった野瀬清輝は言う。
「非常に恵まれた家庭に育ったやさしい女の子が
あるとき柔道を始めた。
本当の競技者になっていくのには
時間がかかったのかもしれません」   

田村にとって長井はどんな存在だったのか。
訊ねると田村はあっさりと言った。
「長井先輩ですか。
そうですね、たくさんいるライバルのひとりです」
田村は微笑んで言い放った。
長井は田村を強烈に意識してきた。
しかし田村にとって長井は
けっして特別な選手ではなかった。
不思議ではない。王者以外は何者でもないのだ。

ふたりを分けたものは何だったのだろう。
勝利への飢餓感とでもいうべきものなのかもしれない。
だがあるものを獲得するということは、
何かを手放すということ。
そしてあるものを手放したとき、
人は何かを得ているはずだ。
長井は階級を変えることなく天才に挑み続けてきたのだ。
田村に一度も勝てなかったことを
彼女は今どう思っているのだろう。
そしてそれは
今後の人生にどんな影響を与えると思っているのだろうか。 
長井はすぐに答えた。
「もちろん田村選手に勝ちたかった。
勝てたら勝てたで、ものすごい充実感だったと思いますよ。
これまでの苦労がすべて報われたかもしれません」
でも、と言って少し考えてから彼女は続けた。
「もし勝ったらこれまでの悔しさを忘れてしまう
私はずっと負けてきたから、だから負けたままでいれば、
悔しさ、つらさをずっと忘れないでいられる。
負けて終わったほうが私らしいかなって」
長井はちょっと照れくさそうに微笑んだ。

彼女は今後はコーチとして畳の上にあがる。
人生の決着はまだついていない。

2001-02-27-TUE

TANUKI
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