ラストワルツを聴きながら。
あのすごさを、余すことなく語りあう。

第5回 ホンモノの技術。

糸井 『ラスト・ワルツ』のThe Bandの演奏、
どんなに緊張していても、
ギターを弾く指は緊張しない・・・技術がすごい。

「このDVDを見た気分で、
 若い子が文化祭とかをやったら
 いったい、どうなるんだろう?」
とか、ぼくなんかは、思っちゃうんです。
沼澤 いまの20代の連中、すっごいですよ。
ニール・ヤングも、バカ受けしています。

ぼくが、ぼくのローディーの子の誕生日に、
ニール・ヤング写真の入った自作のTシャツを
スッと出したら、「着れません、飾ります」とか。
ニール・ヤングは、
いまの若い音楽好きの子たちの教祖ですよね。
糸井 ニール・ヤングは不滅ですよ。
ジム・ジャームッシュの映画とのつながりでも
あの人は、ほんとうにおもしろいし。
(※ニール・ヤングは、
  ジャームッシュ監督の作品の中で、
  『イヤー・オブ・ザ・ホース』で主演、
  『デッドマン』で音楽を担当している)


それに、
「さすがおいらのニール・ヤングだ」
と思うのは、「ディーボ」っていう
テクノのバンドのプロデューサーを
同時にしていること、なんですよねぇ。

あんなに素で生きてるみたいな人が、
実はテクノとつながってるのもすごいし・・・
そもそも、ぼくがモノポリーっていうゲームを
あんなに一生懸命、はじめた理由は、
「ニール・ヤングがモノポリーを大好きだ」
って聞いたからなんですよ。

ニール・ヤングやその周囲を好きだった時代に、
ぼくにとって、いろんな分野の作品が
ホンモノかニセモノかを区別する方法は、
もう、わかった気がするんです。

「これ、他の誰かでも、できるじゃん」
っていうつまんなさが嫌で、どの分野でも、
「とんでもない人だけが好き」という・・・。
沼澤 そうか・・・
糸井さんはもう、ニール・ヤング小僧なんだ。
糸井 もう、ほんとにそうです。
沼澤 おととしのフジ・ロックに
ニール・ヤングが来た時も、若い人が熱狂して。
いま、若い子たちがウッドストック化してるんで。

いまの10代後半から20代の人たちは
みんな、自分たちで、70年代みたいなことを、
そのまま、やろうとしているんですよ。

このあいだ、幕張のイベントとかに
チョロッと出かけたりしたら、もちろん、
40代の人もほんとに少しだけいるのですが、
若い子たちが、飲みものは分けあうし、
踊っていると何かアメ玉をくれたり・・・。
もう、すごい、そういう感じなんです。
糸井 あったよなあ、そんな感じ。
沼澤 そこに、3万人が軽く集まってますからね。
照明からロウソクから・・・
ボランティアに近いかたちで
ものすごく大きなイベントが成り立っていて。
そこに子どもたちがワーッて集まっている。
いいですよ、いまの20代って、すごく。

みんな、The Bandみたいなの好きだから。
いわゆるスタイリストとか、ヘアメイクの子とか、
帽子職人の子とか、そういう関係のみんなが、
やっぱり、ジミヘンなり、そういうところから、
いまの音楽までぜんぶ聴いていて・・・。

マイルスも、サンタナも
その子たちのCDコレクションの中に入っていて、
ぼくらの髪の毛を楽屋で作ってる時には
そういう音楽を聴いて、みたいな。
糸井 もう1回、同じ時代を再現してるわけ?
沼澤 その時代のミュージシャンの姿を見て、
若い子は「すごいピースフルだ」と感じて、
やりたくて、やってることなんですよね。

音楽の世界では、いま、そういうところに、
めちゃくちゃ、エネルギーが集まっています。
「何? この盛り上がり」って・・・。
それは、見ていても、おもしろいですね。
糸井 集まることの中にも、
いろんな意味が入って来るし。
沼澤 ぼくらもそういうところに演奏で出るわけですよ。
音楽も、もちろん違いますけど。
そうすると若い子たちが、
もちろんぼくらの方が年上だってわかってるけど
ぜんぜんタメ口だし、サイッコウとか言う・・・。

「この子たちはこの後、
 どういうふうになるのかな?」
とかいうことにも興味があるけど、
いま、とりあえずすごい盛り上がってますよ。
糸井 そうか、じゃあその子たちが、
この『ラスト・ワルツ』のDVDを
買っている可能性は、すごく高いんだ。
沼澤 はい。だからこそ、
みんな、ニール・ヤングが大好きで。

他の年の
フジ・ロックの出演者たちを見ても、
エルヴィス・コステロ、
スティーヴ・ウィンウッド、
イギー・ポップ、パティ・スミス・・・。
糸井 何か、音楽史の年表を見てるみたいだねえ。
沼澤 そこに来るのは、みんな子どもたち。
もちろん、いま流行ってるバンドも出るけど、
外国から来るそういう人たちって、
彼らにしてみれば、ルーツロックですよね。

「いろいろ聴いてるし、
 流行りものもいろいろあるけど、
 ルーツはかっこいいよね」
と思ってる子どもたちでしょう?
だからもちろんレゲエも好きだし、
ルーツレゲエも好きだし・・・。
ぼくが見ていると、
そういう動きが、おもしろいですね。

・・・それにしても、いま一緒に見てる、
『ラスト・ワルツ』の特典映像の
マーティン・スコセッシ監督の話、すごいなぁ。
糸井 うん。
一発撮りで、つまり現場で演出できないぶんを、
ぜんぶ、言葉で指示しとくわけですよね。
沼澤 そう。
Aメロっていうところがあって、
その時にこのカメラの動き方のコメントとして、
「as tight as possible」とか書いてある・・・。
リハーサル、やってないわけだから。

「カメリハ、何回やれば済むんだろう?」
という状況になりがちの日本の音楽界とは、
ほんとにずいぶん違います。

カメラの動きを試すためだけに
何度も演奏させられたりすることは、
もう、平気でありますから。

こちらとしては、真剣に演奏するんだから、
「リハーサルだから、軽くこんな感じで」
みたいなのも、イヤですからね。
毎回、一生懸命やるわけです。
それで何回目かに本番があるんですけど、
リハーサルの時にあれだけやったことが、
しっかり映像に反映されていないこともあります。
糸井 要するに、
「ただ一通り映ってる」ってやつですか?
沼澤 「ここで何であの楽器に行っちゃうわけ?」
みたいなことが、別に自分の映っていない
音楽番組を見ていても、よく見受けられて・・・。
糸井 スコセッシの準備の技術も、すごいよね。
沼澤 このまえ、小沢征爾と武満徹の
『音楽』ってタイトルの本を読んでたんですよ。
すっごいおもしろかったのが、
「尺八や琵琶は、いわゆる西洋的な
 平均率(ドレミファソラシド)では教えない」
っていうところなんです。

そういう楽器の師匠は、弟子たちに
「ヴンヴヴヴ(尺八の音の真似)」とか言って
クチマネで教えるんだけれども、
弟子は音階のなかで理解したがってしまう。

尺八の音色に平均率が聞こえすぎる・・・。

「師匠は、言葉で教えるわけだから、
 弟子がよくないと、伝わらないよね」

というような対談が続く本なんですよ。

「習ったことを修得する時、
 どうやって修得するかによって、
 伝統の受け継がれかたの地金が出てくる」

みたいな話に、なるほどと思ったんです。
糸井 なるほど。
中国の書道の教室なんかは、
完全に指の運動ばっかりしてるらしいですよ。
思ったイメージを伝達するマシーンとして、
ちゃんと、手を鍛えておく
、という。
沼澤 へえ、すごい。
やっぱり技術がないとダメなんですよね。
糸井 そうなんです。技術なんですよ。

沼澤 インドに、タブラっていう
指で叩く太鼓があるんですけど、
あの楽器を演奏する人の現地での修行は、
1個の叩き方でいい音が出るまで、
何年間も、ずっと、やらされるんだって。

指だけで演奏する打楽器なんで、
指と手のひらで、ひとつの動きを練習する技術を
何年もやらされるんだって。
ある水準の音を出せるまで・・・。
糸井 きっと、それこそ、
「指に、ある神経が通るまで」なんだね。

・・・そういえば、
手で叩く楽器を演奏する時の薬指の立場って、
ものすごくおもしろくない?
沼澤さんは、あの薬指を、どうイメージしてるの?

薬指ってことについては
「苛立った」とか、「あってよかった」とか、
いろいろな思いがあるような気がするんですよね。
沼澤 ぼくらの場合は、小指よりも薬指が
スティックに触れてる時間が、多いんです。
薬指、かなり使いますねえ。
糸井 そんなことさあ、
教室でも薬指としては教わらないんでしょう?
沼澤 いや、もともと、
ぼくはアメリカでドラムを学んだ時、
先生には、自分から話に行ってるんです。

結局ぼくの先生たちも、アメリカ人ですから、
習う気がないヤツには何も教えないんです。

宿題やって来なくて怒られるのが日本ですけど、
アメリカは、宿題をやって来なかったら、
自分が単位を落としたり卒業できなくなるだけで、
「・・・それでどうするんだ? おまえ?」
っていうのは、誰も何も言わないですから。
糸井 技術の学び方って、そういうことですよね。
沼澤 だからぼくは、
教えてほしいって言いに行きました。

その先生が太鼓の上にひとつ音を出した時、
ぼくはアメリカについてから初めての授業で、
「何でこんないい音すんの? この人!」
と思えたんです。

彼は、学校では
そんなに人気のある先生ではなかったけど、
「なんであんなにいい音がするんだろう?」
と思った時に、ぼくは先生のところに行って、
「そういう音にしたいんですけど、
 どうやるんですか?」って言ったら、
彼のクラスに来い、ということになったんです。

「おまえ、ほんとに習いたいんだろ?」
「・・・だから、海を渡って来たんですけど」

まだ英語をぜんぜんしゃべれない時の、
そういうやりとりから、はじまるわけですよ。

で、ぼくの音や言葉を聴いているうちに、
「おまえは、習いたいらしいじゃん?」
ってことになる。

「ここをこういうふうに持って、こう叩いてみろ」
そういうとこから、まず、はじまるわけですよね。
「これを、こうなるまで、やってきなさい」と。

次の週、気合いでやっていくわけですよ。
そうすると、
「オレは、そこの角度がちょっと気に入らないなぁ」
「え、お手本とぼくと、どこがどう違うんだろう?」
そういう教え方なんですけどね・・・。
  (つづきます)

2003-05-12-MON

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