TBS徳川埋蔵金ライブに向けて。
ヘルメットをかぶった
経済番組をご一緒に。

第27回 泥と経済

こんにちは。お元気ですか?
明日は赤城山に出発です。
ほぼ日現地特派員に加え、
TKこと高坂剛師匠も来るんだから、ね、
こりゃもう赤城山にも関節技がこだまするぜ!

正直なところ、わたくし現在、
たいへんに興奮しはじめているのだよん。
なぜかというと、この番組との僕の関わりに、
とても大きな刺激を感じているからなのだ。
これは最近ようやく感じはじめたと言ってもいい。

ぼくは徳川埋蔵金番組の宣伝マンでもないので、
もしこれやっててつまらなければ、もちろん
さっさと終わらしてもいいわけです。
だけれども、今はちゃんと言えます。
この番組、たぶんおもしろいです。
少なくとも「やるという企て」は、おもしろい。
この時期に埋蔵金をやるというのは、すごくいい。

泥と経済のあわさるところで、
いろいろなものが少しずつ湧き出してきている。
ただ単に一つの番組のよさというんじゃなくて、
場所としてのおもしろさが湧き出してきてるみたい。
全身を動かして泥まみれになって考えたことと
あとは不十分な過去のデータだけで
何かを掘り当てようっていうのは、
「ほぼ日」とかのやろうとしていることと、
似ているかもしれないじゃん?
なーんにも信じるものなかったんだよ、幕末。
情報量も限られてて自信もなかったやつらが
必死になってやってたことを、おんなじくらい
行き詰まっている今の時代の野郎どもが
けっこう真剣に思い返しているわけです。
しかもそれを区切りの祭りとしてやっていることに、
ぼくは強く興味を覚えているのでした。

番組制作側は、祭りを仕掛けるプロなのでしょう。
この埋蔵金番組シリーズは、アイデアがすべて、
盛り上げがすべてというところで
生きている企画であるように見えます。
だから、番組を作っている彼らにとっては、
この時期にこの番組をぶつけることそのものが、
一つの「掘り当て」なのです。
当日に見つかる埋蔵金以外にも、不特定多数の
山師的・土木的・歴史的その他もろもろの欲望に
訴えかけようとしていますよね、たぶん?
この時期に新しい需要を生み出そうとしているよね。
そこでも、きちんと経済番組になっていると思う。
その、仕掛けてゆく発想そのものが宝なんだよ。
それで、新しい欲求としての「盛り上がり」が
生まれようとしてる。というか生み出されている。

ミレニアムに対して
「どうなるんだろうねえ」みたいに
見物者として考慮観察するのではなくって、
自分たちの側から仕掛けていく、
そういうの、嬉しいじゃん?
過去をひるがえって見て、過去にはたらきかけている。
過去を変えようとしているとも言える。
過去の客観的な事実というものが
存在するのかどうかはよくわからないけれども、
ぼくは、このような仕掛けによって、
過去が変えられてきていると思うのだ。
たとえばこの番組で問題とされているような、
明治以降の日本の歴史への意見でもいいですし、
他の例えば科学技術への見方でも何でもいのですが、
ぼくたちにとってのこういう過去に対する観点が
変わらなかったことってあるでしょうか? 
ぼくはなさそうだと思います
(っつうか、友達を嫌いになっちゃったら
 そいつの過去の行動も色あせて見えがちだとか
 そういう変化ってあるじゃん?)。

ぼくが「ほぼ日」に来たのはまったくの偶然からです。
でもたぶん、今までとはちょっと違う距離感で
何かをできそう、というのが、ここに来る
最も大きい誘発材料だったのだと思います。
その違う距離感への足がかりを、
ひと月ほど麻布鼠穴にいたあとの現在に
ようやくつかみかけそうな気持ちになってまして、
だからちょっと興奮しているというわけなのです。

インターネット上の距離感でおもしろいと思うのは、
仕掛けてそれを共有させて反応を得るという
繰り返しを、非常に早いスピードでできる点です。
ぼくはこの媒体の持つ長所を、とにかく
無理やりにでもいいから生かしたい。

媒体が違うと、伝えうるあるいは掴みうる内容って、
少しずつ異なってきますよね?
ぼくは「ほぼ日」に来る前には、まあ言わば、
純文学的な作り方をする位置で書いていました。
長い時をかけて凝縮して、一つの作品として
完成度の高いものを目指す、みたいなやつです。
当然書き直しに次ぐ書き直しをしまして、
それが一定の効果を上げて、確かにとても
読みうるものを作れるのです。その場所では。
ぼくはそのような仕組みで作られたものを
今でもかなり好きなのですが、
ただ、今「ほぼ日」でぼくのやっていることは、
それとは少し違う種類のものだろうと思っています。
こうして毎日のペースでぐだぐだやっているので、
相当文体が違ってきています(荒れます)し、
読んで下さるみなさんと書き手との
間合いも、ずいぶん違う。
で、ぼくは今ここにいて、
そのとても近い距離感というか、
考えたらすぐに出す臨場感のようなものに、
とても大きな可能性を感じているわけなのです。

みなさんからのメールを読んだり
編集したりしはじめてからしばらくして、
今頃やっと、「ほぼ日」という媒体の
持っている特色をわかりはじめてきました。
「敏感で優しくて、でもけっこう疲れていて
 現状には不満で、何とかしたいけれどわからない」
みたいなのが、ぼくがメールで思う「ほぼ日」読者像。
また、メールを読んでいると、
みなさんがかなり積極的かつ誠実に「ほぼ日」に
入り込もうとしてくれてるというのをひしひしと感じます。
Tシャツを作るその製作過程に興味を示して下さるような、
そういう感じですね。それこそがぼくの思う、
「仕掛ける」「入り込む」動きなのです。

つまりずいぶん遠回りしてしまったけれども、
この「仕掛けて入り込む」動きの可能性が、
今「ほぼ日」周辺にある、何らかの「埋蔵金」であり、
隠れている力みたいなものなんじゃないか?
そんなことを、埋蔵金生中継を前にして思うわけです。
この距離感、いいんじゃない?って。

そしてインターネット上で持ちうる臨場性を
ぼくがとても生かしたいというその生かし方は、
まあ誰でもけっこう喋っている話題の
「リンク」を起点にしますよね。
例えば今の「仕掛ける」「入り込む」という話題は、
darlingやその他いろんな人とくっちゃべってるうちに
すごく頻繁に感じるようになってきたもので、
ぼくが独自に出しているものではないわけです。
つまりぼくの中では、オリジナル重視というよりは、
大切だと思うことをその時々に「リンク」みたいな
形で出す体勢が重んじられているのでしょうね。

まあ、オリジナルではないと言っても、
そのリンクの仕方やつながり方はぼく固有のものなので、
だから何らかの意味が生じてくるのだろうと思います。
まあとにかく「つなげ方」とか「距離の取り方」を
重視しているのが、「ほぼ日」内でのぼくの、
今のやりかたなのです。

前の純文学的市場ならば、
ぼくは必死でオリジナルのものを探しているでしょう。
もちろん今もぼくはオリジナルなものを尊敬していますし、
そういうのを探すのはとてもスリリングだと思います。
ただ、インターネットでは、それ「だけ」ではないやり方で
書き手や読み手が喋ったりできるような気がします。
しかも、ただ単に読み手に媚びる態度から
出てくるようなサイトではないのが「ほぼ日」ですよね?
その読者と読み手の反応がどうなってくるのかが
とっても気になるのです。

「ほぼ日」にいる前にいた場所でのぼくは、
取材やインタビューを加工するということだけに
専念していたので、自分の述べたいというか
わかりたい内容というのを、
なるべく自分を殺したかたちで、誰かの語りや、
何処かの風景かを使って出そうとしていました。
「『個人』やそれの持つポテンシャルや距離感なんて、
 どんなかたちにしてても流れ出てしまうものだろうから、
 わざわざ『俺が、俺が』と出す必要はない」
と思ってた。だけれども、まあ結果として言うと、
ぼくの本を読んでくれたりよかったよと言って下さるのは、
いわゆる文筆業界の人たちだけといってもよいものでした。
玄人受けしたと言えば少しうれしいけれども、
それが自分として持ちたい距離感や現場なのかというと、
非常に疑問を持っていたわけなのです。不満だったのです。
誰にでもわかるように書いたつもりなのだけれど、
結果としては、よかれと思っていた「自分を消す抑制」が、
入りにくい「壁」になっていたのではないか?
狭い業界内での一人相撲になっていたのではないか?

そういうひとつの完成作品を目指す過程では、
一人相撲でもまったく構わないのですけれども、
でも、どうしてもそれ「だけ」をせざるを得ない
というわけでもないような気がしてて、
それなら別の分野や場所でも
何かをやってみたい、と思っていたのです。
それで、今「ほぼ日」に出入りしているわけ。
だから「ほぼ日」での毎日は、ぼくにとって、
ひとつの新しい「仕掛け方」「入り込み方」なのです。
今は完成度よりも、刺激度の高さを求めています。
完成させるための遊びの段階での
書き込みのままでページに出してゆくことで
少し違う風景を見るための試金石にするというか、
その書き込みの断片を連続させて
ネット上で交流を加えて、そんでその先に
何が出てくるかを見たいっつうところなんです。


ああ、なんか長くなって脱線してしまいましたが、
そういうやり方で関わろうという気持ちが高まる意味で、
「徳川埋蔵金」という場所の持つおもしろさが
今のぼくリンクしているなあ、と感じているのです。
で、今度の生中継はそれを解放するいい機会です。

大晦日は祭りだし、とにかくどうなるかが楽しみだぜ。
中継はおそらく31日夜8時過ぎからはじまります。
発掘所でのリアルなレポートとともに、
「高坂剛のサブミッション講座」などの
その場限りの楽しみも求めていきますんで、よろしくー。



(つづく)
*今日はごちゃごちゃしちまったんで、
 たくさんある映像や写真たちは明日にやって来ます。

1999-12-28-TUE

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