TBS徳川埋蔵金ライブに向けて。
ヘルメットをかぶった
経済番組をご一緒に。

第9回 darlingインタビュー(その3)

こんにちは。引っ越しを済ませて
浜田山から「ほぼ日」出勤をはじめたところですが、
とりあえず現在(12月11日)、赤城に潜伏している木村です。
今回のdarlingインタビュー(つづき)は、
「ほぼ日」赤城局からお送りいたします。どうぞ。




いつか使うかもしれないから取っとけ
っていうんじゃなくて、使うっていうことで
仕組みが動いていくっていうことを
それぞれの人がわかっていくような社会が見えたら、
それこそもうユートピア論になっちゃうけれど、
すごいやりがいのある社会になるじゃないですか。
それを「大騒ぎしてぶっ倒してやる」じゃなくて、
わかってることでできないかな、って。
こう言うと白樺派みたいになっちゃうんだけど、
夢としてあるんですよ。
価値の体系を研究したいっていうのが一つと、
もう一つは、若々しすぎるような言い方だけど、
幸福論っていうのがやっぱり確立されてなかったと思う。
誰にも考えうるような幸福論がなかったんで
人の幸福を借りては自分の今の不幸をなげくみたいな、
そういう状態なんで、幸福という言葉を一つ
とっぱらって考えちゃえばと思うくらいで。
俺はこれが幸福なんだっていうのを自前で
見つけるのがそれぞれに要求されてると思うんですね。
僕も「そんなこと考えなきゃもっと幸福だったのに」
って言われるかもしれないですけど、
それを探るためにあがきたいっていう気持ちがあります。

ぼくが今いろいろやっていることは、
もうやりたいからやってるというものなんでしょうね。
単純にやりたいからやっている、そして
その考えに共鳴した人が何かコストを払ったり
インセンティブをもらったり、
それは精神的なことを含めてですね。
共闘っていう言葉が昔あったけど、
今はやっぱり「リンクしましょう」ってことですよね。
それぞれのやりたいことをやるからリンクするって。
で、それをもっと大きいレベルでやってる時には、
やりたいからやってるっていうだけじゃ
済まなくなるときがあるっていう。
それはコンセプトが揺るぐっていうんじゃなくて、
方法が妥協を探していくっていうことですね。
「是々非々」っていう言葉、昔、
やだなー、かったるい言葉だなあって思ってたけど、
今は是々非々って「全部そうじゃねえかよ」って。
何から何まで是々非々だ、って。
自分の命の限界のなかで自分が生きてくために、
是々非々じゃないことなんか何ひとつありゃしない。
そう考えると、そういう言葉のなかに逆に
ヒントがいっぱいあるような気がして。
とにかく、過去にわかってたはずの人がいたとか、
そういう人のことが知りたくてしょうがないですね。
閉塞してるんだったら掘り返してみろよって、
表面でみんなが考えるように考えるんじゃなくて、
地層を、掘り返してみろよっていう気分がすごくあって、
その意味でもポンペイ展みたいなのはまたよかったですね。


(更に、つづくのだった)

1999-12-10-FRI

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