これを知っておくと三木鶏郎がよくわかる。
凡天寮

50年代後半のこと。
「私は四谷三丁目文化放送のそばの
 食料品店の裏に家を借りて文芸部の本拠を置き
 『凡天寮』と名付けた。
 凡人と天才が集まるというイミ。
 実際公募してみると一挙に五十人余りの
 天才と凡人が集まった」
(三木鶏郎著「冗談紳士録」より)(竹松)
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