大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。
1954年3月15日 朝日新聞「三木トリロー雲がくれ」
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タイトル

糸井 大瀧さんは、三木鶏郎について、
それまでは知りませんでした‥‥、
っていうことはないでしょ?
大瀧 もちろん「ワ、ワ、ワとワが三つ」とかの、
その音と、楠トシエ宮城まり子
知ってますよ。
「毒消しゃいらんかね」を歌ってたから。
でも、それが三木鶏郎と関係しているとは
知らなかった。
‥‥三木鮎郎は知っているんだよね、
見ているから。
鶏郎は知らないのよ、
われわれのときには。
糸井 そうですよね。
大瀧 うん。なんたって、「日曜娯楽版」って
俺らが生まれる前から始まっていたから。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『ワ・ワ・ワ・輪が三つ』
【ミツワ石鹸】
作詞・作曲:三木鶏郎
『毒消しゃいらんかね』

作詞・作曲:三木鶏郎
歌:宮城まり子
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
糸井 だけど、聴いてましたでしょう?
大瀧 聴かないよ!
糸井 僕は逗子とんぼとか聴いてましたよ。
大瀧 エーッ!
糸井 ラジオの届く範囲の問題なのかなぁ‥‥?
群馬と岩手で聴けるものが違ったの?
大瀧 いやぁ‥‥NHKラジオは
全国津々浦々、だよ。
糸井 NHKだものね。
僕は、千葉信男、逗子とんぼ、
楠トシエ、中村メイコ‥‥
大瀧 でも、6歳か7歳ぐらいのはずだよ。
糸井 「田舎のバス」なんかは、
もう、歌いまくってましたよ。
大瀧 あ、「田舎のバス」は歌ってたよ。
でも、それって「日曜娯楽版」じゃなくて、
「田舎のバス」は普通に流行ったんですよ。
糸井 流行った、流行った。
あと、「トリローサンドイッチ」という‥‥
竹松 多分、「みんなでやろう冗談音楽」とか、
NHKではなくて、文化放送のラジオ番組を、
糸井さんはお聞きだったんでしょうね。
糸井 そうか! 文化放送時代ですかね。
大瀧 文化放送は北関東は入るんだよ。
糸井 そこで分かれるわけか。
NHKの「日曜娯楽版」に
僕らは間に合わなかったと。
大瀧 そう、そう。そして僕の育ったところは
民放は入らないから。
岩手放送はTBS系だから
「赤銅鈴之助」なんかのTBSのものは入る。
けれど文化放送が入らないんだよ。
糸井 そうか‥‥じゃ、僕は文化放送なんだ。
大瀧 だって、7歳、8歳じゃ、無理だよ、俺たち。
いくらなんでも、あんまり‥‥
内容が大人っぽいもの。
糸井 じゃ、大瀧さんが鶏郎関係の
コントみたいなのを聴いていなかったのは、
民放だったからか。
大瀧 民放だったから、だと思いますよ。
僕は一切、鶏郎さんのラジオは
リアルタイムでは1回も聴いたことがない。
糸井 そうか。
今回、僕がすごいなと思ったのは、
CDにしてもらったやつを全部聴いたら、
親父が言っていた冗談が
山ほど入ってるんです。
大瀧 アハハハ‥‥!
糸井 たとえば漫画家が漫画のネタというのを
どういうふうに作っていたかと考えると、
「とかなんとか言っちゃって」と書けば、
漫画って成り立っちゃうんですよね。
「とかなんとか言っちゃって」と書くと、
それが面白いって、
みんな思っていたわけだよ。
でもそれって、鶏郎さんの影響なんですよ。
大瀧 一般の人はみんな言ってたよ、
そういう種類のことは。会話の中に必ず。
糸井 ‥‥じゃ、大瀧さんは、
親父だとか、大人の冗談として‥‥
大瀧 うん。全般的に。
ただ、母一人子一人で父親がいないので、
男性文化が無いんですよね。
それは、周りから聞いたというようなことで。
糸井 みんなが、そんなことを言ってたんですよね。
大瀧 言ってましたよ、なんでも。
ヒット曲とか流行り言葉とか、
そういうのを会話の中に入れるというのは、
日本人の大衆の基本的な
素養だったんじゃないですか。
糸井 だから当時は、ラジオっていう幹が一つ、
うわーっとでっかい木が1本立っていて、
そこから花粉やら何やらを撒き散らして、
漫画家が流用し、酔っ払いが流用し、
家庭の中の食卓でおもちゃとして使う。
そうやって、大木の陰にみんなが入っていた。
大瀧 戦後、やっぱり、娯楽がなかったから
ラジオに集中したんです。
聴取率が60パーセントになるということは、
あれしかなかったということです。
糸井 そこで80パーセントの
聴取率みたいなものを持っていた鶏郎さんは、
自分が今日思い付いたようなことを言うと、
日本中にそれが流れる‥‥(笑)!
大瀧 ‥‥ねぇ。半年ぐらいでみんなが
知っている存在になったというのは、
やっぱり、そういうことなんじゃないですか。
竹松 コントに書こう、というよりも、
なんでもコントになっちゃう。
食料が配給の時代には、
「スケソウダラ、スケソウダラ、
 スケソウダラ」
と言うだけで、
それがコントになっちゃうと。
コントを書こうと思って書くというよりも、
「すべて、町の中のことがコントなんだよね」
ということなんですよね。
糸井 ‥‥と、言ってましたか!
竹松 言ってましたね。
大瀧 引いて見ているからね。結局、
あの人とロッパさん
よく似ているのは、距離。
自分自身のやっていることを
必ず見ている自分がいる、というのが
よく似ているでしょう。
引いているでしょう。
糸井 クールですよね。
大瀧 それと‥‥みんな、戦後でしょ。
戦後、世の中ががらっと変わったというので、
みんなシニカルになっている。
そこで、引いて見ている。
全部、笑いのモチーフということに
なるんですね。
糸井 曲のタイトルの付け方を
ずーっと見ていっても、
すごくクールですよね。
「夢をみた」というタイトルがあって。
竹松 ありましたね。
糸井 ショックでさぁー!
大瀧 おっ、作品論の解説は
糸井さんのほうが面白いと思うよ。
糸井 とにかく‥‥嫌なのよ。
「夢をみた」というタイトルを付けて
終わりに出来ちゃうという、その心が。
どういうタイトルにしていいかというと、
色々なタイトルがあるんですよ。
だけど、「夢をみた」というタイトルを
付けられるときって、相当忙しいか、
追い込まれて追い込まれて作った、
という実感があるんですよ。
聴いてみたんですけど、
「夢をみた」と付けた人の、
その忙しさが見えてきたんですよ。
大瀧 うん。‥‥何年ぐらいのですか?
竹松 初期ですよね。
糸井 初期ですか。
竹松 でも、この曲はコミックソングでは
ないですよね。リリカルソングに入ります。
「夢をみた、夢をみた、
 遠いあなたの夢をみた」というような、
鶏郎先生の一番メロディアスなタイプの
曲ですよね。
糸井 「夢」って付け直してもいいし、
「夢を見たのはなんとか」とか‥‥
大瀧 「何とかの夢を見た」とか、
「夢を見てなんとかをする」というのは
歌謡曲になるから、切ったんでしょう。
糸井 頭の出だしの一言を
そのままタイトルにしているので、
まるで仮題みたいなものなんですよ。
竹松 鶏郎先生の楽曲は、最初の出だしが
タイトルになることが多いんです。
大瀧 そう。多いんだよね。
糸井 多いんですか!
大瀧 ほとんどだよね。
8割そうだといってもいいよ。
だから、与えられたら、
それを繰り返してモチーフにしていって
曲にするという、
そういうスタイルなんですよ。
糸井 ‥‥8割もある?
大瀧 いや、俺は8割と見ている。
倒置法もあるから。
作るときにはそう作っても、
ひっくり返したりとか、
いろんなものを足したりすることはあるから。
糸井 そうか、そうか。ということは、
作品を作っているという実感は、
あまりなかったんじゃないかな
大瀧 一番、CMに向いている。
タイトルと出だしが合う、というのは。
糸井 やっぱりね。
大瀧 前々からそういう人だったみたいね。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『夢をみた』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:楠トシエ
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
(つづきます!)
2005-12-28- WED
デザイン協力:下山ワタル
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