ヒウおじさんの鳥獣戯話。
さぁ、オトナたち、近くにおいで。

第3回



「亀の甲より年の劫(こう)」ということわざがある。
「劫」は「功」と表記することもあるが、
いずれにしても、人間にとって年を重ねることは大切だ、
だから年長者の経験は大いに敬おうという意味になる。
わかるようなわからないようなことわざである。
問題は前半の「亀の甲より」のくだり。
辞書によると「甲」と「劫」をかけたということらしい。
ようするにダジャレなのである。
ダジャレでよいのであればなにも亀にこだわる必要はない。
事実、「かにの甲よりも年の劫」という言いまわしも、
さらには「いかの甲よりも年の劫」という言葉も存在する。
まさになんでもありである。
でも本当にこのことわざは正しいのだろうか?
ひとつずつ検証していくことにしてみたい。


亀の甲よりも年の劫‥‥まずこれは正しいか?
「鶴は千年、亀は万年」という言葉にも表れているように、
カメは長生きの象徴のような動物である。
実際にどのくらい生きるかというと、
さすがに1万年も生きるわけはないけれども、
ゾウガメで170年以上生きた記録はあるらしい。
あの泉重千代翁でさえ120歳と237日だった。
ゾウガメのほうが人間よりも長生きではないか。
屋台などで売っているミドリガメ
(ミシシッピアカミミガメ)ですら、
飼育下で30年くらいは生きるらしい。
イヌやネコよりは
よほど「飼いで」のあるペットなのである。
そんな長生きなカメをさしおいて、
人間の年の劫のほうがご立派なんて、誰が言えるだろうか?
ゾウガメに笑われることうけあいである。


さらに言えば、カメの甲羅はとても価値が高い。
たとえばべっこうを見てみるとよい。
べっこうはタイマイというウミガメの甲羅を加工したもの。
現在ではワシントン条約で取引が禁止されており、
本物のべっこうの眼鏡なんて高嶺の花なのだ。
なんならスッポンを眺めてみるとよい。
スッポンの甲羅は他のカメと違ってぶよぶよで柔らかい。
鍋料理では甲羅ごと入れて、その周辺部分の肉を食す。
甲羅を乾燥させて粉末にすれば漢方薬にだってなる。
ついでに古代中国の歴史をひもといてみるとよい。
亀の甲羅を焼いて、生じたひび割れで吉凶を占う
亀卜(きぼく)が国事を左右してきたのだ。
古老の言葉よりも亀の甲羅の占いのほうが重視された。
つまり、年の劫より亀の甲だったのだ。


かにの甲より年の劫‥‥次にこれは正しいか?
長寿のカメには負けたけれども、
カニみたいなちんけな動物にかなわぬはずがない。
そう考えたあなたは、カニをあなどりすぎている。
人間なんていい年をして分別もつかずに
老いらくの恋にうつつをぬかしたりするけれど、
カニはそんな無茶などしない。
「かには甲羅にあわせて穴を掘る」と言われるように、
実は身の程をよくわきまえた動物なのである。
人間なんてともすると年をとればとるほど
タヌキのようにずるがしこくなるけれど、
カニはそんな悪事などしない。
サルカニ合戦をよく思い出してもらえばわかるように、
実は正直で一途な性格の動物なのである。


もっと言えば、カニの甲羅もなかなか有用なのだ。
カニの身と魚のすり身を一緒につめて揚げた
甲羅揚げのあの美味さ。
ミソの残った甲羅に日本酒を注いですする
甲羅酒のあの香ばしさ。
カニの甲羅から精製されるキトサンにいたっては
ダイエット食品としての人気もある。
カニの甲羅はこのように役立つばかりではない。
場合によっては人間に畏怖の念を抱かせたりもする。
瀬戸内海に生息するヘイケガニをご存知だろうか?
かのカニの甲羅には人の怒った顔が浮き出ており、
源平の乱で破れた平氏の悲憤をいまの世にも伝えている。
老人の説教よりもカニの甲羅のほうがよほど恐い。
ようは、年の劫よりかにの甲である。

いかの甲より年の劫‥‥しからばこれは正しいか?
長寿のカメや実直なカニには負けたけれども、
いくらなんでもイカに劣るなんてことはあるまい。
そう思ったあなたは、イカを見くびりすぎている。
イカといって、あなたはどんな種類を思い出すだろう?
ヤリイカ、スルメイカ、ケンサキイカ、
アカイカ、アオリイカ、モンゴウイカ‥‥。


日本近海にはおよそ100種類ものイカが生息しており、
なかにはとてつもない能力を持ったイカだっている。
富山湾のホタルイカは名前のとおり発光する。
沖縄のトビイカは空中を50mも飛行する。
深海のダイオウイカの大きいものはクジラを絞め殺す。
こんな多士済々なイカを目の前にして、
人間はイカより優れているなんていばれるのだろうか?

ついでに言えば、イカの甲だって捨てたものではない。
イカの甲とは、コウイカ類に見られる
発泡スチロールのような白い石灰質の骨格のこと。
その形から、舟と呼ばれることもある。
軟体動物のイカは貝の親戚にあたるわけで、
甲というのは貝殻の名残なのだ。
当然カルシウムが豊富なので、飼料として利用される。
粉末にして煎じて飲めば気管支ぜんそくに効くとして、
健康補助食品として売られていたりもする。
黒焼きを粉にしたものは止血・制酸効果があるらしく、
漢方薬として胃潰瘍や胃酸過多の症状に用いられる。
なんと痔にも効くそうである。
長生きしたければイカの甲のお世話になることも必要。
言うまでもなく、年の劫よりもいかの甲であろう。

ということで、
年の劫が勝るものは、さしずめ拙稿くらいのものか。


イラストレーション:石井聖岳
illustration (c) 2003 Kiyotaka Ishii

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2003-10-29-WED


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