TORIGOE
3分間で、
最近のニュースを知る。

鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」

第548回

ほぼ日編集部様
今日は大阪へ来てます。
モバイルギアを持ってこようとしたのですが、
同じ会社の製品なのに携帯が接続できないのです。
なんてことでしょうか。
で、スタッフのパソコンを借りて送信します。
この原稿は鳥越俊太郎の「あのくさこればい」ですので
よろしく・・・・・・・・・・

毎日新聞の1面から2面へと続く特集記事
  
「熟慮の構図 小泉首相と靖国参拝」
が面白い。


なぜ小泉首相があそこまで靖国に拘るのか、
これまでよく分からなかったが、
この記事を読んでなるほどと思った。
こういうふうに読者の疑問に
きちんと応える原稿はいいものだ。
1面の原稿の記事の見出しはこうだ。

「思い入れの『原点』は鹿児島」
「首相は特攻隊に泣いた」


記事には今年2月9日、
小泉さんが鹿児島県知覧町を
訪ねた時のことが書かれている。
知覧町は特攻隊の基地があったところとして
知られているところだ。
ここに「知覧特攻平和会館」という建物がある。
ここで小泉さんは
青年飛行兵が兄にあてた辞世の歌の前で、
展示ケースに両手をついたまま
声を押し殺して泣き続けたそうだ。
そこにあった辞世の歌というのはこういうものだった。
「桜花と散り、九段(靖国神社)に還るを夢に見つ 
 鉄艦屠らん 我は征くなり」
  
これだけだと小泉さんがこの歌だけで思い詰めたようだが、
記事によるとこれにはまだ
父にまで遡る物語があるんだという。
この知覧の基地からは1036人の若い特攻兵が
海の彼方へ飛び立ちそのまま帰らなかった。
その知覧から西に15キロの
旧万世町(現加世田市)に飛行場があったんだそうだ。
実はこの町の生まれ、小泉首相の父、
小泉純也・元防衛庁長官が陸軍に掛け合って
万世飛行場を誘致したんだという。
純也氏は旧姓を鮫島といい、
首相の祖父にあたる小泉又次郎・元逓信相の入り婿となり、
終戦までは鹿児島県を選挙区にしてきたんだそうだ。
この万世飛行場は純也氏が親しかった
万世町長、吉峰喜八郎氏の「町おこし」策だったという。
飛行場は1944年に完成した。
戦況の悪化で沖縄戦の特攻基地となり、
ここから201人が出撃したまま帰らなかった。
喜八郎氏の長男、幸一氏(76)は
「生前父は『すまんかった。死ぬまで責任を取る』と
 飛行場建設を悔やんでいた」
と父親の言葉を伝える。
小泉純也氏も似たような感慨があったんだろう、と
記事は推測している。
なぜなら、松野頼三・元自民党総務会長は
純也氏が
「多くの青年が無謀な戦争のために死んでしまった」
と語ったのを覚えているからだ。
毎日新聞のこの記事はだからこう書く。
「靖国に対する首相のこだわりを解くカギは、
 この辺りにある。
 首相のいとこも25歳の時に特攻隊で戦死し、
 54年に靖国神社に合祀された。
 小泉氏が、特攻兵を描いた自主製作映画
 『人間の翼』(96年公開)の製作費を寄付し、
 上映会で岡本明久監督に握手を求めた
 というエピソードもある」

この後にもまだ小泉さんと靖国神社との
関わりについての話が紹介されているが、
ここまでの話でもなるほどという気はする。
小泉さんが単にこれまでの
単純なタカ派政治家とは違うのは分かる。
それなりに人間的な思いが込められているんですね。
そこは分かった。  
ばってん、小泉さんが一政治家ならそれでいいんだろうが、
今や一国の総理大臣なのだ。
国を代表する立場だ。
国内はもちろん、国外からも
日本の国の考えとして見られる。
そこの所の違いの見極めが今問われているんだろうね。

使い慣れてないパソコンでの草稿はやはり疲れる。
今日はこのぐらいで・・・・・・
また明日・・・・・・

2001-08-10-FRI

TORIGOOE
戻る