徳光 プロレスの初期からいままでのことを
糸井さんの目で見て
分析してくださったら、
かなりおもしろいんじゃないかなぁ。
糸井 そうかなぁ。
徳光 糸井さんがごらんになっていた頃は、
すでにプロレスが
エンターテインメントになってたと思うんですよ。
糸井 力道山、オルテガ、
プリモ・カルネラだの、あの頃です。
徳光 そうですよね。
シャープ兄、シャープ弟は?
糸井 ぎりぎり見たか見なかったか、です。
徳光 あの頃、テレビはやっぱり
騙されてたわけです。
騙されてたっておかしいけど(笑)、
みんな、プロレスがエンターテインメントとは
思わなかったわけですよ。
だから本気で、日本の小男が
アメリカの大男をなぎ倒すと思ってた。
列強大国のアメリカに
敗戦国の日本の男が勝つわけですから、
これはやっぱり、快感なわけです。
糸井 うん、うん。
徳光 いまのように車や車椅子がない時代には、
歩けないお年寄りが、みなさん
リアカーでプロレス会場に駆け込んできて。
糸井 そうなんですか。
徳光 それで、
「これで死ねる」とか、話されてました。
それはつまり、
「アメリカ人を倒した」
ということですから。
糸井 うん。戦争のつづきなんですよね。
徳光 そうなんですよ。
テレビの中継だって、
アナウンサーのテンションが
全然違っていました。
糸井 「前畑がんばれ」と同じように
プロレス中継してた。
徳光 それが、古舘(伊知郎)君以降、
ちょっと変わるんですけども。
糸井 そうですね。
プロレス中継を物語にしたわけですよね。
徳光 あいつはたいしたもんだと思います。
古舘は、実況中継の中に
「an・an」とか「non-no」の
旅行記のようなものをはめ込みました。
それがあいつの功績の大きさで、
今日に結びついているんだと思います。
糸井 徳光さんが編み出されたものも
たくさんあるでしょう。
徳光 ぼくが開発したのは、
「全国3千万の
 プロレスファンの皆さん、
 こんばんは」

です。
糸井 ああ! あの言葉は、
徳光さんなんですね。
徳光 はい。
「十六文キック」っていうのもそう。
糸井 馬場さんの「十六文キック」。
「文(もん)」数だったというのが、
当時っぽいですね。
足袋のサイズですから。
徳光 昭和28年頃のプロレスの実況中継というのは、
まさに、伝え手としての使命感がありました。
列強大国のアメリカに対して
日本の小男ががんばっている。
このことを伝えなければいけない。

「5尺8寸5分、力道山が、6尺4寸のマイク兄、シャープ、マイク兄を抱えあげまして、マットに叩きつけております。ボディスラムという技であります。さぁ、マイクまいったか。国民は泣いております。大衆の目にも涙」

とかね、そういったような中継だったんです。
一同 (拍手)
糸井 それがまた、
出てくるのがすごいですねぇ。
徳光 アナウンサーになりたての頃というのは、
本当に一生懸命でした。
糸井さんもご存知のように、ぼくは
長嶋(長嶋茂雄)狂ですから。
糸井 はい、はい。
徳光 長島さんの熱いプレー、一挙手一投足を、
自分で実況中継したいから、
それでアナウンサーに
なったようなものであります。
糸井 はい。
徳光 先輩のアナウンサーに
「スポーツ中継をやる以上は、
 目に映ったものを
 すぐに描写できなければいけない」
と言われました。
ですからぼくは、
神宮球場の絵画館前の草野球場、
あそこにデンスケを持っていって、
全然知らないチーム同士の試合を
勝手にチーム名つけて、
実況中継して練習したんですよ。
糸井 いいですねぇ、
アナログですねぇ(笑)。
徳光 そうかと思うとね、
やっぱり動くものを中継しなければ、
ということで、
ぼくは家が茅ヶ崎なもんですから、
新橋から電車に乗って
茅ヶ崎に行くまでの
車窓に流れる景色を
中継して通ったことがあります。
糸井 徳光さんは、それは
「努力」と思ってらっしゃいましたか?
徳光 うーん、それはやっぱり
好きでやってましたねぇ(笑顔)。
糸井 うんうん、好きなんですよね。
徳光 もちろん、自分の中では
「努力」というふうに
美化して言ったんでありますけども、
好きじゃなきゃできませんよ。
だって、みんなが電車に
シーンと乗ってる所で
やるわけですから。
一同 (笑)
徳光 そうでしょう?
「ただいま電車は新橋を出ました」
一同 (爆笑)
徳光 「次の品川に向かっております。左手に高架橋が見えてまいりました。これは羽田と浜松町を15分で結ぶモノレールであります。そして、その向こう側には、おそらく東京湾が広がっております。外国航路の汽笛が聞こえてきそうな、そんな秋日和です」

そんなようなことをしゃべるわけですよ。
一同 へえぇー。
徳光 シーンとしてる中で、割合と、
アナウンサーで、複式呼吸ですから、
「いい声」で聞こえるわけです。
糸井 そうですよね(笑)。
徳光 結構聞き入ってくれる
ファンができたりなんかしまして。
糸井 電車の中でしょっちゅう中継されてた、
ということですね。
徳光 はい。しょっちゅうやってました。
だって、とにかく
長嶋さんの熱いプレーを伝えるには、
的確な表現を覚えなければいけない、と
思っていましたから。
糸井 新人アナとしてやってるわけですよね。
徳光 もちろん新人アナです。
新人アナ以外はやりません。
一同 (笑)
徳光 当然、自分で
しゃべりたくない日も
出てきます。
糸井 はい。
徳光 だいたい、通勤電車というのは、
行きも帰りも一緒ですから、
顔なじみの方も
結構いらっしゃるわけです。
そういった人たちにとっては
「あ、またあいつ、乗ってるな」
「しゃべり出すんじゃないかな」
という期待感があったと思うんです。
一同 (笑)
徳光 しゃべらない日があったりなんかしますと、
ちょうど鶴見のあたりを
通りましたらですね、ある人が、
「あのぅ、ここでしゃべるんだったら、
 生麦事件なんかどうですか」
とか、ネタを言ってくれたり。
糸井 提案が(笑)。
徳光 「馬に乗ったハリスが」
とかなんとか
言うといいのでしょうね。

(つづきます)

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2010-12-21-TUE