YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

22
書き直しが成長させてくれた


※長い時間をかけて、
 ひとつの仕事を追求してゆくと、
 こういう感覚や姿勢に達するんだなぁ、
 と思わせるような、仕事についての語り。
 天童荒太さんが、成長してゆく過程の話を、
 ご本人から、じっくりうかがっています。
 今日は、天童さんの独白のかたちでおとどけです。

天童 ミステリーの小説賞の応募のときには、
「本名で新人賞をもらって
 一度単行本も出ているから、
 候補にのぼって落ちたら、
 みっともないだろう」
と思って、仮の名前のつもりで
ペンネームを新たにつけました。

「もし受賞したら、本名に戻せばいいんだし」
という程度で
出した名前が「天童荒太」でした。

「荒太」という名前は、前に小説の主人公に
「荒太」という名前をつけようと
思ったことがあったからです。
結局、その小説は自分でボツにしたのですが、
アラタつまりは新た、
という意味づけもある名前は気に入っていたので、
下の名前は「荒太」にしよう、と思いました。

下が「荒太」だと、
高橋とか鈴木では、合わないんです。
もっと「大きな名字」にしないと釣り合わない。
今はもう亡くなっているけど、
自分の父親は、
字画にうるさい人だったんですよ。

当時のぼくには
「あとで父から
 字画のことで文句を言われるのもイヤだし」
という気分もあったので、
字画の合う字を探していたら、
逆にもう「天童」という名字ぐらいしか、
なかったんですよね。

つけたときは、
「天童荒太って、これは、
 あまりにも大きいというか、
 ごついというか、
 自分の本来の性格とは
 かけ離れすぎの名前だろう」
とは思いました。

まぁ、
「本名がふつうの名前なので、
 ちょっと
 派手めの名前にしておいてもいい」
という軽い遊び気分で、
そのまま出したんですけど。

受賞後に
「あまりにも派手すぎる名前ですけど、
 いいんでしょうか?
 本名のほうがいいんじゃないですか?」
と聞いたら、先に挙げた担当の佐藤さんが
「いや、これがいいんです。
 これで行きましょう」
と押しきられちゃって……
その名前で新聞発表もしてたし……
それで「天童荒太」で、
本当に新たに出発することになったんです。

いまではこの名前にして
本当によかったと思いますよ。
変身できるというのかな、本名の自分から、
天童荒太へ移行することで、
書けなかったこと言えなかったことが、
書けたり言えたり
できるようになったという実感もあるし。


少なくとも
天童荒太でなければ、
『永遠の仔』
以後の作品は書けなかったでしょう。

プライバシーも守れずに、
つらい想いをしたに違いないということも
想像できる。

受賞した『孤独の歌声』は、
単行本になるまでに、
けっこう直させてもらいました。

一か月で書いたものには、
かなりムラがあったからです。
さらに文庫にするときには、
もう一度、ほぼ一年がかりで
最初からぜんぶやらせてもらいました。
いま文庫になっているものと、
最初に応募したものとは、
かなり違うものになっています。

いまのかたちのものを
一か月で書いたなら
大したものだとは思いますけど……
いま、文庫のかたちになっている
『孤独の歌声』については、
ぼくはすごく満足しているんです。

文庫にするために書き直したのは、
九五年版の
『家族狩り』を書いたあとでした。

ぼくにとって、文庫の『孤独の歌声』は、
『永遠の仔』を生むために必要だった、
非常に重要な作品なんですよ。

賞をもらったときの作品には、
しめきりに間に合わせるために、
かなり無理がありました。

さっき経過を話したように、
ぼくの中では、作品の完成度よりも、
とにかく
「小説で食っていく」
ということのほうが大きくて、
食うためには
時間に間に合わせなきゃいけない、
だったらいま
自分のいちばん得意とするものを
持ってこよう、というので
成立したものだったんです。

主人公の少年のような存在は、
ぼくの内側に
思春期の頃からずっと
息づいているのを感じています。

だから、彼になりきって、
その内面の怒りや苛立ちや
救いを求める声を、
こまかく書きとめてゆくことは、
ぼくにとっては
むずかしいことではなかった。

というか、自分を超えて
書けてしまえるところなんです。
『白の家族』の主人公と同じ感覚ですね。
のちの『永遠の仔』や
新『家族狩り』のように、じっくり勉強して、
その人物になりきれるよう努力しなくても、
意外に自然となりきれる人物像でした。

そのうえテーマが
「孤独はほんとうに悪いものなのか?
 孤独が人を救うことだって、
 あるんじゃないのか?」

と、自分がずっと抱えつづけていたことを、
物語の中心において
問い掛けることができたので、だから、
多少荒くても
読んでくださった方々の心にも
届きやすかったのかなと思います。

そこでとりあえず五百万円の賞金をいただいて、
それからはじめて
「次の作品も書いてください」
という注文が来るわけです。

『孤独の歌声』を単行本化するときに
まず、担当の佐藤さんをはじめ、
新潮社の編集者たちに指導というか、
いろいろ指摘されたり、うながされたり、
話し合いを進めるなかで、
プロとしてやっていくというのは
こういうことなんだ、と
感じるような出来事が、
いくつか、あったんです。

彼らは、本を売るということはもちろん、
作家を育てるということを
ちゃんと考えている人たちだった。
それに対してぼくができるのは、
「ゲラにきっちり赤を入れて、
 作品をよりよいものにして返すということ」
でした。

ずっと前に話したように、
ぼくはゲラにとても筆を入れます。
比喩でなく、まっ赤になる。
どんな作品のときでも
各社の編集者に驚かれるし、呆れられる。
その萠芽はこのときにあります。

でも、
「これぐらい赤を入れる人のほうが、
 絶対に大きくなるよ」
と、このとき編集の人たちに
褒められたのが、すごくうれしかった。

つけ上がらせて、
その後のゲラ地獄も加速させてしまったとも
言えるんですけどね。

ただし、
当時から一貫してるのは、
決して言われたとおりには
直さないという気概です。

ふつうは、編集者からの指摘を、
そのまま直すことになるのでしょうけど、
「既に一度デビューしている」
という意地もあったし、
作り手としての誇りはゆずれない、
さらには
「自分の作品として
 責任のとれるものを出したい」
と思って、
いただいた指摘やアイデア以上のものを
つねに返そうとしていたんです。

どう考え悩んでも、
編集者の出した案が
最もよい場合もあります。
そのときもとことん頭をしぼって、
自分で納得して、
自分の言葉として採用するようにしました。

そのときの気持ちが、
いまのゲラチェックにも、
つながっています。
自分は誰かに師事したことはないのですが、
このゲラのやりとりを通じて、
成長してきたように
感じることが大いにありますね。

※明日掲載の次回に、つづきます。
 明日は、最終回……。
 特別に、かなりたっぷりめでおとどけします。


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第2部
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第3部
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第4部
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第5部
「まだ遠い光」

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2004-06-29-TUE

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