YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

「若気の至り」が育ててくれた


※今回は、天童荒太さんのモノローグでおとどけします。
 高校生の頃に、映画に熱中するうちに成長した感覚とは?
 現在までのライフストーリーを聞くインタビューです。
 どの年齢の話も、真剣に、語ってくれているんですよ!
愛媛にはかつて有名な造船王がいて、
映画などの興行も手がけていたせいか、
映画館が一時はとても多く、
ありがたいことに、
東京でロードショーされるような映画は
ほとんどやってきていたんです。

ぼくの場合は、更に、
その方の関連のコンピュータ会社に勤めたあと、
その方が新たに作った新聞社の
手伝いをすることになっていたおかげで、
よく、券をもらうことができました。

券がもらえない映画館もあるのだけど、
あたらしくできた新聞は
読者開拓のために毎週のように
試写会招待をしていて、応募すれば、
だいたい、かならず当たったんです。

むろん、自分のこづかいを払って
見にいく場合もあるわけで、
運よく、県内に入ってくる
ぜんぶの映画を観れたんですね。

地元の映画サークルが開く、
自主上映会などにも必ず参加して、
小難しい映画も見たし、
一時間近くかかる
場末の映画館へも自転車飛ばして
本来青春はじける高校生が、
狭苦しい暗闇の中で、
古い仁侠映画を観たりもしてました。
それで、ザーッと
吸収していったようなことがありました。

映画の合間には、
二〇枚シナリオみたいなのを書いたり、
アイデアノートを書くとか、
漢文の授業で始皇帝の暗殺者の話が出たんで
面白そうだと思って、授業の勉強じゃなく、
その暗殺者の視点のプロットを
考えたりもしていましたね。

四、五年前かな、
『始皇帝暗殺』って映画が入ってきたとき、
ああ、そういえばって、
なんだか懐かしい気もしましたよ。
まあともかく
映画映画って……そういう毎日になってくる。

目標が映画界にあるもんだから、
大学の進路としては、
やっぱり東京、ということになるんです。

アメリカ南西部の田舎者が、
ニューヨークかハリウッドに
憧れるようなもんですよね。

『キネ旬』とか『シナリオ』を見ていると、
もう、ぼくの知らない東京の映画の話ばっかり
載ってるわけですからね(笑)。

雑誌のいちばん後ろのほうを見ると、
「深作欣二作品を四本特集!」とか
「池袋文芸座ではオールナイト!」とか、
いちいち、すごいこと
やってるらしいじゃないですか。

こっちでは決して観られない
ヨーロッパの古典・名作もやってるし。
もう、ワクワクするんです。

「これに行きたいよ!」
「観たいよ!」

だけど、ぼくの年代からは、
共通一次というものが、はじまっています。
国立大学に行くには、
七教科も試験を受けなければならない。

まぁ、東京にある国立ったら東大で、
とてもじゃないが入れるような頭もなければ
勉強もはなからしてない。

大体、七教科もまんべんなく
いい点数を上げるって、なんだそれって。
十代ですよ、いろんなことやりたいのに、
そんなことはできるわけがないと
思ってたんです。

七教科もクリアする気なら、
自分の時間を削らなきゃいけないし、
何かをゆっくり考えたりする余裕もない。

たぶん当時の財界人とか行政担当者としては、
深く物事を考えない人間が育ってくれた方が
万事やりやすかったんでしょうね。

ともかく自分としては頭もよくないし、
非人間的な気がしたんで、
やりたいことをやりたいから、
まぁ私立文系だ、と。

高校二年の頃からは、
理数系はいっさい勉強しないで、
数学や生物のノートに
シナリオを書いているような学生になりました。
数学の点は、もう、十点ぐらい。
ずっと赤点ばかりつづけてた。

「人間じゃねぇよ、おまえは」
と言われたりもしたけど、
頭の中では映画の表現家になると
思っているもんだから、生意気だけど
「まぁ別にオレは
 あんたが願うような
 人間じゃなくてもいいよ」と……。

その頃の時間の使い方っていうのは、
国語と英語と日本史だけの勉強をやって、
あとは、シナリオを書いて映画を観て、
ほかには、裏山に行って、
親友と煙草吸ったり、ギターを弾いたり、
いわゆる受験生の緊張感っていうのは
あまりなかったですよね。

目標はその先だから、
アホなことだって
身につくと思ってましたし。

そのくせ、当時の親友たちは
とてもまじめな一面もあって、
人生とか進路とか恋とかの悩みを、
それぞれエッセイに書いて、
回したりしてましたよ。

たぶん古文のノートをつぶして、そういう
エッセイ・ノートを作ったんじゃないかな。
悩んだり迷ったりする時間を
自分たちで作って、
すぱっと物事を決めない自分たちを肯定してた。

むしろ足を止めて迷うことを
勧めてたところがある。
彼らとはもちろんいまもつきあいがあります。

もちろん、
映画や創作関係については真剣で
よく創作メモも取ったし、
近松とか外国の戯曲も読んだり、
映画も同じものを二回観るわけですよ。

「一回目はストーリーを観て、
 次は画面の四隅に映っているものを観るんだ」

雑誌や本の受け売りを、
そのまま友だちにうそぶくようなガキで。
まぁ、二回観たって
わからないんですけどね(笑)。

でも、そうやって背伸びをしていた時期に、
自然にすりこまれていったものも
あるんじゃないかなぁとは思います。

例えば、映画の語り口なんかは、
無理に勉強しなくても、
しみこんでいるようなところがありますから。

例えば長い小説を書くときでも、
『家族狩り』では、ここでもう次に移ったほうが
読者は読みやすいんじゃないかな、とか。

話の流れからはやや外れた人物の視点の物語を
いきなりはさみ込むことで、
物語が重層的になるとか。

『永遠の仔』でも、
火事がワーッとなるところで、
第一部は終了になるけど、そこで
<つづく>みたいに、いったん終わるほうが
観客というか、この場合読者の興味をひいて、
次の展開へつなげてゆけるんじゃないか、とか。

そういう感覚は、映画を観ている中から
自然に学んだことのような気がします。

※次回は、来週の月曜日におとどけします。
 大学に入って以降の、長い雌伏の期間を聞きました
 将来について悩む人に、読んでもらいたい内容ですよ。
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第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-05-07-FRI

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