YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

少年時代


天童 小さい頃、漫画を好きだった人なら、
当然、誰でもするんでしょうけど、
漫画の登場人物を使って
別の物語を考えたりすることは、
ぼくもけっこうしていました。

前に、坂本龍一さんとの対談でも
言ったんですが、ぼくは
妄想するのがすごく好きな子どもだったんです。

もちろん、その手の妄想なら、
誰もがすることだから、それが確実に
今の表現に結びついてきたとは言えないですけどね。
「目覚め」みたいなものがあるとすると、
そういうものかもしれません。

もうすこし大きくなってからは……
兄たちや友人たちと一緒に映画に行くわけです。

別に変わったところなく、ふつうに
『ゴジラ』や『ガメラ』を観たり、
東映まんが祭りに行ったり。

父の仕事の関係で、
無料招待券をときどきもらえていたので、
それでも同世代の友人よりは、比較的多めに、
映画は観てたろうとは思うけれど、といって、
映画づけのようなことではまったくなく、
基本的には外で遊ぶほうが好きでしたね。

おそらく、しばらくは、ハリウッド的な、
「起承転結があってハッピーエンド」
という作品ばかりを観ていたのでしょうが、
小学校五年生や六年生ごろに、
兄が観ていたので一緒にテレビで観た
『大脱走』は、それまで観ていたものとは
違っていて、ものすごく新鮮でした。

ともかくヒーローが一人じゃないのに驚いた。
視点もどんどん変わる。
それぞれの登場人物には背景があって、
いい面もあれば悪い面もあるし、
必ずしも立派なやつが逃げ切れるわけでもなく、
ビビリのやつが最後まで逃げきれたり……。

小学生の現実ってけっこう厳しくて、
勉強のできる奴は教師にほめられ、
スポーツのできる奴は友人たちに一目置かれる。
けっこうヒーロー優遇の世界なんですよね。
でもこの映画は、だめな奴もちゃんと救ってゆく。

きっとそれもあって
おもしろかったんじゃないかな、
ツボにはまったというか。
いま思えばだけど。
自分自身、大した特徴もない子どもだったから。

これ以後ですよ、
意識して映画にハマっていったのは。

以後、小学校高学年から中学にかけては、
漫画と映画と野球の日々でしたね。
ぼくがあんまり映画ばかり観ているもんだから、
友だちには、
「評論家になるんだろう」と言われていました。
まぁ、誰も創作者になるなんて思っていない、
自分自身も含めてね。
そのぐらいのレベルですよ、中学生ですし。

「評論家なんて、
 食えないらしいから、ダメだよ」
そういうことを、松山弁で話してたのは覚えてる。
相手は幼なじみで、いまもつきあいがある。
彼とはけっこう映画を一緒に行ったというか、
つきあわせてましたからね。
映画のポスターや看板を一緒に盗んだり……。

住んでいるところから
ずっと上の山のほうにあがっていくと、
温泉を中心にした
大型のレジャー施設があったんです。

いまは少しさびれてしまったけれど、
ぼくが子どもの頃は、
動物園も遊園地もホテルも
映画館も四つぐらいスクリーンがあって
すごい人気だった。

人気が陰って動物園や遊園地がなくなってからも
映画館は残っていて、ともかく
その温泉レジャーセンターみたいなところに行けば、
当時の映画が一度にいっぱい観れたんです。

その施設のタダ券がよく手に入ってたのと、
もう時効だと思うけど、敷地が広いので、
こっそり中に入れる場所があったんですよ。
だから、休みの日はもちろん、
学校が終わってからでも
自転車で山の上へと必死にのぼっていって、
終映までずっと映画を観るという。

ぼくが育ったのは愛媛の松山で、
東京や大阪に比べたら
ちいさな都市(まち)ではあるんですけど、
道後温泉もあるし、四国のなかでは、一応いちばん
大きい繁華街もあるように言われてました。

だからか、名画座もあったんですね、一軒だけど。

映画を好きになるほど、どんどん観たくなるし、
そうなると、ふだん観ないようなものも
観るようになるし……だから当然、
名画座に通いつめるようになって、
古典的な名作や秀作、ときには
珍品と言われるようなものも含め、
多様な作品を毎週のように観るようになりました。

この名画座での体験も、
今思うと、大きかったなぁと思います。
授業が何かの行事で早く終わったりとか、
雨でクラブ活動が流れたとか、
わずかでも時間ができたときには、
必ず行って三本立てのうち、
一本でも二本でも観ていたから……。

中学の頃は、
ぼくは野球部に入ったんですけど、
そんな風ですから、
うまくなるはずがないんです(笑)。

当時のキャプテンはぼくの親友で、
才能のある本当にうまいヤツだった。
もともとぼくより格段にうまいのに、
たとえば夜中、テスト勉強とかに疲れて、
十分ぐらい休憩をとるとき、
「おまえ、素振りとかやってんじゃないの」
って冷やかし半分で聞いてみると、やっぱり
「うん、やってるよ」
なんて、当然のように答えたりする。

ぼくはそうした十分間に嬉々として
『ロードショー』とかを開いているわけで、
あれも観たいこれも観たいって
「マルチェロ・マストロヤンニ」
なんて言葉は憶えるんだけど、
野球の技術としては、
そいつらとの差が開く一方なんです。

※明日に、つづきます。
 天童さんの言葉への感想やメッセージなどは、
 postman@1101.com
 こちらまで、件名を「天童さん」としてお送りください!
 明日は、さらに映画にハマっていった天童さんが、
 高校時代に考えたことを、語ってくれるんですよ。





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第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて、
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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-04-23-FRI

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