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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第26回  センチメンタルで多感なだけではなくて、
      社会的に有効なのだろうか?という軸があった



[今日の内容]
NHKのETV特集の番組制作に絡めて、
クリエイティブとはどういうことかを考えるページです。
今回は、前回にひきつづき、番組第1夜に登場した
見城徹さんについての、糸井重里の談話になります。










----インターネットの表現の可能性を
  『自己満足も含めて、いいんじゃないか』
  と言っているのは、なんででしょうか?


「今は、作品は表現者のものみたいにされているけど、
 かつては、作品という概念そのものが、
 歌をうたうように、踊るように、
 みんなのものであった時代があったかもしれない。
 例えば、人間がまだ『おさる』だった時だとか。
 更に言うと、遠い未来に、ぼくたちは、
 かつて自分が『おさる』であった時のように
 踊れて楽しめるように、ついになるのかもしれない。
 そういうような、すごい過去と未来との
 両端のイメージが、ぼくの中にはあって、
 『その踊り、うまいねえ!』って言われたら、
 うまいやつがもう一回踊りだすような・・・
 そういうのって、
 メディアを使う権利のある人たちだけが
 表現をしている時代に比べたら、いいなあと思います。

 ある水準以上のものをまとめた本は、
 表現の中では、聖堂でありお城であるかもしれない。
 だとしたら、ぼくたちが今、
 インターネットで作っているのは、民家だよね。
 でも、民家の中にも芸術家は住んでいるかもしれない。
 円空の彫ったむちゃくちゃ粗い木彫も、
 オッケーじゃないですか。
 ぼくが自分を超平凡だと言っているように、
 平凡も超が出てくると可能性があるんだろうなあ、と。

 普通に生まれてこどもを生んで死ぬ、みたいな暮らしに
 ぼくは最高にあこがれているようなところがあります。
 そこからしょうがなく逸脱してしまうから
 今みたいになってしまうんですけど、でも、
 『俺って、どこまで行っても、
  な〜んにもしなかったよなあ・・・』
 と思うような人間が、実はいちばん上品だと思うし、
 かっこいいなあとも思うんですよね。
 そういう何もしないで過ごす人に対して、
 ぼくなんかは尊敬しているんです。
 尊敬できないと、事実として存在している
 おおぜいの「現実の人々」を
 否定しなきゃいけなくなるでしょう。

 ぼくがこういう風に思うようになったのは、
 吉本隆明さんという人がいてくれたからかもしれない。
 見城さんとの対談でも、
 吉本さんの詩についての話をしました。
 見城さんとの対談のそれ以外ところでも、
 具体的に『吉本さん』と名前を出してはいないけど、
 実際は、吉本さんが考えてきているような内容に、
 とても触れていくような話になったんだと思います。
 ベストセラーをどうやって生むのか?
 なぜ、生みたいのか?・・・そういう話題は
 大衆論でもあるし、人間論にもさわるし、
 『あなたは人間というものをどう捉えるの?』
 という視点がなければ、何もはじまらないでしょ。 

 ぼくは、吉本さんという人に会わなければ、
 おおぜいの人について何か考えることを、
 どこかのところで落胆して、あきらめていたと思う。
 あきらめていれば、乱暴な方向に走っちゃったり、
 しゃれたふりをしていくか、しかなかったでしょう。
 やっぱり、ああいうおじさんがいて
 いろいろと考えつづけていた、というのは、
 ぼくにとって、今のありかたの源と言うか・・・。

 ベストセラーということで言えば、
 見城さんは自分の方法を持っているけど、
 それは『これだけの努力を、人は運と言う』と
 ちゃんと言えるぐらいのもので、聞いたからって
 すぐに実行できるようなものでは、ないんですよね。
 みんなは、そのヒットを生む手法を知りたがるけど、
 ほんとうにおおぜいの人に伝えたかったら、方法を
 自分で探さないと何の力もついてこないでしょうから、
 見城さんが、ベストセラーを生む方法を、
 番組で具体的に言っても言わなくても、
 それはほとんどおんなじなんだと思います。

 『売れなかったものは、忘れたいですよ。
  売れなかったら、ぼくがいる意味がない』って、
 できた物質をただ売るだけの気持ちでやっていたら、
 ここまでは、言いきれないですよね。
 もっとドライなはずなんです。
 だから、何でもかんでも売るという以上の
 思い入れが、見城さんにはきっとあるわけで。
 だから、あのように言うぐらいの努力をできる。

 しかも、その努力と言っても、見城さんの場合は、
 ただただ、汗水をたらしているというよりは、
 世界を組み立てていくような作業になっています。
 『路地裏の犬にもこんにちわ』というような、
 ひろい世界のなかに細かいものもあることを見て、
 どうしたいのかを常に考えながら進もうとしている。
 そんな風に、ただ走りまわるだけじゃない努力を
 意識的にやれるのかどうかが、
 これからのいろいろな人の課題になると思います。

 自称『努力』の人は、いっぱいいて、
 みんなが『俺こそ努力をしている』と言い張るけど、
 でも、『努力』と言われていることは、たぶん、
 そのほとんどが、ただ『我慢』しているだけのことで。
 だったらそれはやめたほうがいいだろう、
 というような努力を、みんながしている。
 それ、苦行ですよね?」

----見城徹さんと話していて、
  面白かったのは、どういうところですか?


「見城さんは、社長になりたいと思うような
 子どもだったわけでは、全然ないでしょう?
 そんな人が、どこからどういう風にして、
 社長にならざるをえなくなったのかが、面白いと思う。

 ベストセラーにならなければ意味がない、
 とまでおっしゃっている反面で、
 『100匹の羊がいるとして、
  その100匹の羊の生活や安全を考えるのが
  政治や経済や倫理や法律の仕事だと思うけど、
  その群れからすべりおちる一匹の羊の
  内面を照らし出すのが、表現の仕事だと思う』
 なんて、見城さんはときどき、
 表現者の側に自分を重ねてセリフを発している。
 売ってサポートする側としてのセリフと、
 そのほとんど表現者としてのセリフの間を、
 もう、交流電流のように、揺れているんですよ。

 『大きな傷があって、それがひりひりして、
  それを表現しなければ生きられないのが表現者』
 とおっしゃる見城さんは、ほとんど表現者そのもので。
 そこがたぶん作家の人たちと共振する部分だろうけど、
 作家としての言葉をしゃべりながらも、一方で
 『それをサポートするのは酋長の俺の役だ・・・
  垢にまみれようが、泥の中を転がろうが、
  俺が売ってみせてやる』とおっしゃるのは、
 もう、ものすごい交流電源みたいなものですから、
 それは、きっと、苦労が絶えないでしょうね。

 表現者としての見城さんと、
 それをサポートする側としての見城さんと、
 どちらが後天的に作られたのかと言えば、たぶん、
 『俺が売ってみせてやる』という部分でしょう。
 もともと、センチメンタルで多感な少年だったわけで、
 その多感さを守るためには、泥棒でメシを獲るのか?
 悪いおとなが来た時に、斧を振りまわすのか?
 そこでどうするのかは、まだ、わからないけれど、
 『そういう役を俺はやらなければいけないなあ』と、
 多感な少年の誰かが立ちあがらなければならない、
 ・・・見城さんは、そういう構造の中にいますよね。
 つまり『売ってやる』という気持ちが後天的なだけに、
 思いっきり、悪いことでもいいことでも
 引き受けてやる、というような。

 『表現者をサポートしたい』というのは、
 子どもの時には、持っていないはずの欲望ですから、
 さかのぼって考えると、
 表現者であったはずの見城さんが、
 表現者を覚醒させる側、表現を伝達させる仕事に、
 欲望を転換させる時期が、いつかあったのでしょう。
 それが、文学青年が編集者になって、それから
 更に社長にならざるをえなかった歩みだと思うんです。

 文学青年であることをまともに追及していったら
 社長になっていたというのは、成熟とも関係がある。
 若い頃の美意識だったら、自分が表現をしたいという
 その才能を理解してくれるいい女がいたりだとか、
 大昔だったらパトロンがいたりとか、
 必ずサポートする現実の側の代表者がいるわけです。
 でも、そういう人をあてにしていると、
 だんだん、さみしくなってきますよね?

 そういう、サポートしてくれる誰かを
 『あてにしたい』という考えは、
 見城さんの話には、絶対にないんですよ。
 文学をとても好きな人間なんだけど、見城さんは、
 『俺は小説を書いて生きていくんだ』とは思わない。
 誰かをあてにするようなことを絶対にしないで、
 ひとりで歩いていたら、編集者になっていたんです。

 80歳になっても作家である人もいるんだし、
 借金をしながら『まだ俺はかける』と言う人もいる。
 ・・・だけど、見城さんの美意識には、
 そういう『何が何でも、作家』というのはなかった。
 センチメンタルで多感な青年であるだけではなくて、
 社会的に有効なのかどうかということを、もうひとつ
 考える軸として、持っている人だったのでしょうね。
 独立して、責任のある残酷な人間になることが、
 成熟でもあるし、父親になることでもあるわけで。
 
 ぼくも昔だったら、こういう番組をやる時に、
 誰かディレクターに『作ってよ』と言って
 それに乗っかってやりたいようなタイプでした。
 だけど、最近は、この番組でも、自分から
 『こういう番組にしたいんだけど』と言いますよね。
 ぼくがやります、と手を挙げて立候補しないと、
 票も入ってこないんだなあということは、
 今になって、ようやく、よくわかりましたから。
 でも、以前のぼくは、立候補をしないままに、
 責任もとらないけど、人気だけが欲しかった。

 見城さんが文学青年から成熟していった過程も、
 おそらく、多感な青年が立候補をしてゆく、
 というようなものだったのだろうなあと思います」





★「今は、作品は表現者のものみたいにされているけど、
  かつては作品がみんなのものであったかもしれない。
  メディアを使う権利のある人たちだけが
  表現をしている時代に比べたら、それはいいなあ」
 という談話と関係のあるところで、この番組を見て
 「ほぼ日」にアクセスしてくれた人の中に、

 
 『WEBの出現により、だれもが
  読者を意識できる状況が創出されたことも、
  また事実でしょう。原稿出版の生殺与奪を
  出版社から市井のだれにでも移管できたことは
  画期的な変態といえましょう。
  出版編集者とよく話すことですが、
  いま読者の「理解力」が大きく後退しています。
  細部は読者の想像力に委ねる・・・
  これは小説作法のイロハのようなものですが、
  これが通用しにくくなっています。

  すべてを突き当りまで表現しないことには
  理解が得られない・・・と編集者はいいます。
  果たしてそうなのか?
  例えば、時代小説は、
  とりわけ余韻の必要な分野です。
  明け透けにすべてを書き連ねては
  読者が、たとえば江戸の町に、
  自由に入り込めないこともあるばずです。

  WEBで自由に文章を書き、
  それを多くのひとの目にさらすことで、
  若い世代に筆力と読解力とが養われることを
  期待してやみません』

 
 というコメントをくださった方がいらっしゃいました。
 「そういう可能性だよな!」と感じ、嬉しかったので、
 ここに紹介をいたします。ありがとうございました。


(つづく)

この番組への激励や感想などを、
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2000-08-23-WED

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