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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第24回  効率的なだけの行動をしていると、
      偶然とは出会えないような気がする



[今回の内容]
こちらは、NHK・ETV特集に絡めて、
「クリエイティブとは何か?」
を考えてみようかなあ、というページです。
抽象的で難しいとも言えるテーマなので、
「もしかしたら、こんなことも
 クリエイティブに関係あるのかなあ?」
くらいの気持ちも含めて何を創造的と思うのかを、
制作に関わった人たちに、静かにたずねています。

プロデューサーやディレクターや、
この番組をナビゲートしている糸井重里に対して、
脱線をしながらもまじめに話をきいていたところ、
現在、消費の豊かさについての話題になっています。
前回にひきつづき、糸井重里の談話をお届けします。








「インターネットでは、
 どの人にどういう情報を投げれば、より効率よく
 お金を取れるかのシステムも作られているんだけど、
 それだと、今までのメディアの使い方から
 1歩も外に出ていないように、ぼくは感じています。

 トライアル&エラーができるんだとしたら、
 『要らないかもしれない楽しみを、
  インターネットでは追求できるんだ』
 という、豊かさのようなものが欲しい。
 『犬も歩けば棒にあたる』と言うか・・・。
 知らないことに偶然に接触をすると、
 自分に、急に今までと違う感覚が生まれたり、
 これまでとは違う興味が生まれていくような
 不確実でそのつど楽しいものがあるじゃないですか。
 効率的なだけの行動をしていると、
 偶然とは出会えないような気がするから、
 だから・・・ぼくにはそれが貧しく見えます。

 ただ、そんな不確実なことも含めて
 仕事として誰かに提示していけるのかと言うと、
 これはもう、ビジネスマンの人間観に関わってくる。
 でも、行くところ行くところに
 セールスマンが待ち構えているような
 今のインターネットの現状は、
 『それってお前、自分がやられたら嫌じゃない?』
 という、そういうことをやっているわけだから、
 作っている側の人間観が、出てしまいます。

 第3次産業に関わる人が、
 もう、7割を超えていて、
 つまり、すでに工業社会ではなくて、
 サービス業が中心の世の中になっていますよね?
 そういうところで仕事をしている時には、
 社長が何を考えていてどんな哲学を持つか、
 どのような趣味をしているのか、ということすらも、
 とても重要になっていくのだろうと思います。
 サービス業の商品を買う側としては、
 その会社の方針を好きと言えるかどうかを、
 ものを買う時の基準にしているからです。
 『あの人の会社だから、いいなあ』
 というような見られ方を、これからは、
 大企業でさえもされていくような気がします」

----例えば?

「スティーブ・ジョブスが
 アップル社のトップに返り咲いて、
 『飛行機はもらったから乗るよ。給料はいらないよ』
 と言っているということすらもぼくたちは見て、
 アップルって、そういう会社だったよなあ!と、
 思い出していますよね。
 そんなことまで含めて会社の価値観になるんだから、
 いろんな業種が混交しているのとおんなじ意味で、
 これから政治も経済も、宗教さえも混交していく・・・
 ものすごく複雑で、ものすごく面白い社会が、
 できていくんだろうなあ、とぼくは思います。

 そうなった時に作り手が生き残る方法は、
 『いちばんいいひとである』というような気がする。
 ま、ぼくはかなり雑な考え方をしているんですけど。
 『いちばん利口でいちばんいいひとだ』という像を、
 ビジネスマンは、持てるようになるんじゃない?と、
 ぼくは、そんな雑なユートピアを描いてて・・・。
 でも、かっこいい社長のもとで働きたい、
 という考えは、もう表に出てきていると思います。

 ぼくがアップルを妙に好きなのも、やっぱり、
 今のアップル日本の社長が好きだからでしょう。
 新製品の展示会をする前日に、
 社員と見わけのつかない格好をしてさあ、
 みんなと一緒に翌日のための準備の手伝いをしながら、
 発表の練習をしている社長のいる会社って、いいよね?
 当日に、誰かが書いた台本を持って
 黒塗りの車で乗りつける社長のいる会社と、
 どっちの株を買うのかというと、利益がおんなじなら、
 やっぱり展示会の準備している社長の株だと思います。
 
 会社の魅力だとかブランドというのは、
 人格だとか性格だとか、すごく偶然の部分の多い
 『人間』の部分に入っていくんだろうなあと感じます。
 流行りの言葉で言うと『属人的』なものこそ重要で、
 ある個人の性格が出てしまうものに魅力があると思う。

 芸術作品も、最後の仕上げはそういうもので、
 ピカソの絵の描き方をいくら勉強してみても、
 ピカソの絵には、ならないでしょう?
 最終的に決めるのは、ピカソ個人のパトスであり、
 彼の個人的な思いであり、彼の変態性欲であり・・・
 そういう『彼の』というような部分で、
 いろいろなものは、輝いていくんじゃないかなあ。
 例えば、いい商品のあるところには、
 必ず変な奴がいるというのがぼくの持論で。
 いい商品の近くには、だいたいそういうやつがいる。
 異様に熱いやつだとか、逆に異常に冷静だとか。
 そういう人たちが、もう、乗りに乗りきって、
 個人の『彼の』というところまで出しているから、
 なんかいいなあ!となっているような気がします。

 そういう個人の部分を出せるのが、
 今の『インターネット的』な社会なんだと思います。
 だから、ぼくは、インターネットという道具を、
 インターネット的な考えで動いていく社会の
 単なる一ジャンルに過ぎないと考えているんです。
 だから『インターネットを使って何をする?』と
 自分たちの仕事の手段を考えることよりも、
 ぼくたちがこれからやろうとしていることが
 『インターネット的』であるだろうと意識して
 いろいろなことを考えるほうが、ずっと面白い」



(静岡の海でのdarlingと見城徹さん)



----インターネット的であることと、豊かさの関係を、
  今のところ、どういう風に、とらえていますか?


「どことつながっているのか?は、
 『インターネットの中でのリンク』
 という用語以上の意味がありますよね。
 ネットの中のみに無限の可能性があるわけがないので、
 ぼくが、ネットを使うようになってから 
 ふだん会わないような人とも会う機会ができたように、
 メールやリンクのしかたなどの、
 人とのつきあい方が変わってきている事実のほうが、
 インターネットという道具自体よりも、
 ぼくにとっては、ずっと重要なんです。

 『時間をおかずに人と通信できる』
 『原料費をあまりかけずに生産をすることができる』
 『生産者と消費者が一緒になってきている』
 『たくさん実験をすることができる』
 ・・・そういうインターネット的な社会は、
 例えば、若い人たちが簡単に会社を作って
 資本を調達できているところに、見えていますよね。
 
 『トライアル&エラーなんだ』と言われつつも、
 エラーが許されなかった今までに比べれば、
 それこそ負ける権利が与えられているわけで、
 勝ち負けよりも何をしたいのかの欲望が要るんです。
 『ネジがあるから、AとBをつなぎとめよう』
 というような工業社会のやりかたでは、生ききれない。
 仮につなぎとめることが必要だとしても、
 そのための道具はネジでなくても何でもいい社会です。

 ルールや定義を決めるところからではなくて、
 定義できなくても、定義しきれなくても、
 『Aを組みこみたいなら、組みこみたいと思え!』
 というのが、これからの出発点になると思います。
 『どうありたいか?』という目標の曖昧さと
 熱情や夢のようなものとの掛け算になったものが、
 インターネット的なはじまり方で。
 そこでは、欲望を考えついたやつが偉いんだし、
 いちばんやりたかった奴が実行するんだし、
 発想と実行さえあれば、はじめられる。
 だから、生産の前に市場があるのかもしれないし、
 『まだできてないけど、見えないけど、欲しいか?』
 の時点でも、買いたいと思う人がいるのかもしれない。

 生産に特化したような
 役に立たせるためのクリエイティブではなくて、
 消費する側のクリエイティブがないかぎり
 豊かではないんじゃないだろうか、と
 ぼくが思っているのは、そういう事情からです。
 何をしたいのかが、特に問題になるのだからで。
 バブル期でも、消費がさかんになったかに見えて、
 『高いお金を出せばいいんだ』という
 考えることをやめてしまった消費だったでしょう?
 つまり、消費にクリエイティブはなかったんです。
 だから何も思わないでハワイに行っていたわけで。

 たぶん日本人には、
 『こういうものが、欲しいんだ』
 という声を生むための、長い熟成が必要だと思う。
 例えばぼくが仮に『家を欲しい』と言ったとしても、
 自分がどんな家を欲しいのかはわからないんですよ。
 そういうような意味で、消費を豊かにするための
 何かがなければ、楽しんでものを買うことができない。
 ・・・決定的に足りないのは、
 『働いている時間以外』の人間像を、
 今まで持ってこられなかった、というところですよね。

 『欲しい』と言うためには、
 欲望がなければいけない。その欲望も、
 生産手段を欲しがるというのではなくて、
 暮らしだとか、豊かに生きるだとか、
 そういうところを思う人が、いなかった。
 その状態のままで、消費を企業が先導したので、
 そこのところが一番の問題で・・・。
 だから、ぼくは遊びと休みの解釈について、
 ほんとに真剣に考えていきたいと思っているんです。
 『真剣に』っていうのも矛盾しているのですが、
 長い時間をかけた何かが、必要だなあと感じます。

 楽しいことをやって遊びなさい、と言われても、
 みんなが、楽しいことって何だろう?と思っている。
 だからまだ、
 『こういうことが楽しいのね』
 という枠にはまって、
 楽しいぞという演技をした時に
 楽しかったあと言っているようなものです。
 ・・・でも、時々には楽しい瞬間があるわけで、
 温泉につかって、『あぁ〜〜〜』と言った時、
 あれは『楽しい』とは言っていないけど、
 本当に思った何かがありますよね。
 このあたりをどれだけヒントにできるかだよなあ。
 人の生理と、とても関係していることだと思う。

 ただ、このままだと、
 遊びのための自由な枠があっても、
 何をしたらいいのかわからなくて、
 遊べるのに、ただ呆然と立っていて・・・
 中にはそこで勉強しはじめる奴までいる、
 みたいなことに、なっているでしょう?
 これを、どこまでひっくりかえせるかですよね。

 今の世の中が、なんで
 こんなに凍ってしまっているのかと言うと、
 怖くてしょうがないからですよね。
 安心が欲しくて仕方がなくなっている。
 『こうなっちゃったら、どうしよう?』
 と、ちっちゃいことで悩んでるんだけど、
 でも、震災であんなになっちゃったのに、
 神戸の人たちは生きているじゃない? 

 神戸の復興のスピードって、ものすごいと思う。
 もしあそこにぼくが自分で住んでいたら、きっと、
 『もう、人生おしまいだなあ』と考えたと思います。
 だけど今、神戸は普通の都市として語られますよね。
 この速度って、素晴らしいと思います。
 ドイツの統一についてもそう思うし、
 朝鮮半島についてもそうなんだけど、
 いったん身を切った社会が、
 それからどういうふうにゼロレベルに直して、
 さらにその上にいくのかに、とても興味がありますね。

 神戸の震災のあとに、
 動いた人は動いただろうし、残る人は残っただろうし、
 それに、新しく入った人もいるだろうし・・・
 この人間のエネルギーを信じろ、って言ったら、
 もう『大学に落ちたら、どうしよう?』だとか
 そんなこわさは、ぽーんと飛ぶと思いますけど」





★「たぶん日本人には、
  『こういうものが欲しいんだ』
  という声を生むための、長い熟成が必要だと思う。
  消費を豊かにするための何かがなければ、
  楽しんでものを買うことができない。
  ・・・決定的に足りないのは、
  『働いている時間以外』の人間像を、
  今まで持ってこられなかったことですよね」

 この考えのもとになる話が、
 https://www.1101.com/saisin/2_0821.html
 ↑の<遊ぶ・遊べ・遊ぼう・遊び>のコラムに
 書かれています。興味のあるかたは、どうぞ。


(つづく)

この番組への激励や感想などを、
postman@1101.comに送ろう。


2000-08-21-MON

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