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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第14回  自己満足で終わっている人は、
     他の人たちの作ったものを見ない



[今日の内容]
ひきつづき、この番組のプロデューサーである
長嶋甲兵さんに、話をうかがっています。
番組内の見城徹さん&darlingの対論での、
表現とはどの水準のものなのだろうか?
という問いについて、長嶋さんの思うことを聞きました。
インターネット上での膨大なページの数々は、
果たして、クリエイティブと言えるのだろうか?
「どこに勝負をおくのか?」
「マイノリティであることの意味について」
などの角度から展開する今回の長嶋さんの話は、
本人のクリエイティブ観と絡まり、刺激的だと思います。




(長嶋甲兵さんとdarling)


「糸井さんと見城さんとの対談は、
 『クリエイティブ』が人に何を与えるかについて
 表現と伝達は違うのではないか?という角度で、
 きちんとした議論になっていました。
 だから、とても面白かったと思います。
 そういうところを一緒くたにして話してしまえば
 論旨があやふやになってしまうし、
 特にこの『クリエイティブ』なんて話題は、
 ものすごく抽象的だから、
 いくらでも拡大解釈ができてしまうでしょう?
 だからこの場合、扱う内容をあまりにも広げすぎると、
 わからなくなってしまうような気がしています。

 日産のカルロス・ゴーン氏が会議をやる時、
 『まず、自分たちの使う言葉の定義からはじめよう』
 と言って、はじめたそうです。
 それはほんとに正しいことだと思います。
 話しあう内容というのは、それこそもう、
 言葉の定義に尽きるところもあるんですから。
 『クリエイティブ』という言葉ならば、
 『あなたの定義するクリエイティブって、何?』
 というところから、それぞれの人が逃れられない・・・
 この番組の対論では、その面白さを見たかったですし。

 クリエイティブの意味ということで言うと、
 『全員がクリエイティブになる時代』というのは、
 かなり厳しいものではないか?と僕は思います。
 つまり、人が最終的に自分を信じられるのは、
 そういうところになるからです。
 背が低いだとか足が速いとかいうものは
 明らかに納得のいく評価だから、
 それで劣るからといって、
 そんなに大きなストレスを感じないでしょう?
 ・・・だけど、クリエイティブで
 勝負をするような時代になってしまったら、
 どこで、人との差を納得できるのでしょうか?

 インターネットを使えば、
 誰でもが表現者になれる世の中になったとして、
 そこでみんなが表現をするようになっても、
 やはり相変わらず、墓場のような、
 捨てられていくホームページは増えるだろうし、
 ものすごい人気サイトが出てくるでしょうし・・・。
 例えば、オリンピックや受験戦争のような
 答えをひとつに決める競争に負けたとしたら、
 『それだけじゃないんだよ』と言えるんだけど、
 自己表現のように、自分の最後の砦での勝負になると、
 そこで負けた人は、どこにいけばいいのだろう?
 そこは、とても危険なものも含んでいると思います。

 心配しすぎなのかもしれないけど、
 すごい表現をする人は少数だろうから、
 表現をする場があったことで、
 『最終的に負けてしまった』
 という行き場のないストレスが、逆に
 増えてゆくのではないかという気もするのです。
 そういう意味で、インターネットというのは
 とんでもない最終兵器だとも言えるわけです。
 そこからどんどん自己破壊もはじまるだろうから、
 全員がクリエイティブであることを強要されたら、
 たいへんな社会になってしまう、と僕は感じます。
 糸井さんは、そうだとは言わないだろうけど。
 
 糸井さんはすごく優しいから、
 インターネットの中にある日記のような、
 自己満足のようなものの中の面白い領域でさえも、
 『クリエイティブだ』と掬いとってあげるでしょう?
 だけど、自己満足と表現の差というのは、むつかしい。
 自己満足の先に行かないと実は面白くないので・・・」

----インターネットは、危険なのですか?

「いや、インターネットがあることそのものは、
 とてもいいとは思うんですよ。
 僕は、ある表現が商品化されたり
 メジャーになったりビジネスになる前提として、
 まず、マイノリティであることを
 確保しなければいけないと考えているからです。

 つまり、今まで表に出ていないという
 マイノリティの状態を確保していなければ、
 突然メジャーにはなるはずがないと思うのです。
 資本主義のサイクルが速くなっているから、
 最初からマジョリティにいると消費されるだけですし、
 マイノリティですらも、ものすごい速度で、
 しかも大量に消費をされていくでしょう?
 だからこそ、消費されてしまわないように、
 いかにマイノリティであるかを確保することが
 とても重要になっていると感じるんです。
 ・・・しかし、マイノリティの側は、
 その大切な状態にい続けることに、耐えられない。
 『こんなことをしていて、どうなるんだろう?』
 とすごく簡単に逃げてしまおうとするし、
 周りも、マイノリティから離れることを勧めます。

 僕たちのテレビの世界でも、そうです。
 若い人たちが企画を書くでしょう?
 相当強い営業ルートがあったり、
 プロデューサーとの関係があれば違うけれども、
 ただ企画性だけが勝負のところになったら、
 企画を100個書いて1個通るか、ぐらいになります。
 だけど、若い人は、100個書くことに耐えられない。
 10個ぐらい書くと、
 『普通の放送ではだめかもしれないけどCSなら作れる』
 というふうに思ってしまうんです。
 CSのようなものが既に存在してしまっているから。
 これから多チャンネルになると、もっと
 そのようになっていくだろうけど、そうなると
 すぐに『あれがある』と考えてしまいがちです。
 多チャンネルになったことで、
 制限されない放送が可能だという良さはありますが、
 そうやって可能な逃げ道があることで、逆に
 メジャーの表現が弱くなることがあると思います。
 実際に、放送できる機会が増えることで、
 若い人の企画が甘くなっていますから」

----自己満足と表現の差は、確かにあるかもしれません。
  表現をしはじめた頃から、そう思っていたのですか?
  経歴を教えてもらったら、長嶋さんは、
  大学在学中に演劇の賞を受賞してるみたいですけど。


「学生時代に芝居をやったことは大きいと思います。
 芝居って、とんでもない世界なんです。
 自分でやっていたほうが面白いところがあるから、
 自己満足でやっているような人たちが
 ほとんどのような世界です。
 大学の演劇サークルなんて、
 『あなたたちは、テニスする感覚でやってるの?』
 みたいなのが、たくさんありました。
 自己満足で終わっている人たちに特徴的なことが
 一つあって、そういう人は、他の舞台を見ないんです。
 
 インターネットの世界にも
 それに似たようなものがあると思うけど、
 自分たちの芝居を一生懸命やっているんだけど、
 『人のものを観たりして自分のものをよくしよう』
 という気持ちが、そういう人たちには、さらさらない。
 舞台の上で明かりがあって、自分がいて・・・
 それだけが楽しいという自己満足に陥っているから、
 見ている人には恐ろしくつまらないものになっちゃってる。

 でも、僕や、当時僕と一緒にやっていた人たちは、
 そこが違っていたから面白いものができた。
 芝居をやっていることが楽しくない、むしろ怖いんです。
 自分たちが他の芝居を見るような感覚で見られていたら、
 ものすごく嫌だなあと感じているわけですから。
 ・・・その頃は時間もあり余っていたし、
 芝居のことばかりを考えていました。
 お金はないけど、何しろ暇だったから、
 音楽もよく聴いたし、芝居も三日に一本ぐらい観て、
 映画も一生懸命観ていたし、本もたくさん読んでいた。
 同世代で感覚が似たそういう奴が集まっていたから、
 面白くなって、当たり前だったんですよ。
 今でも、そんな奴が5人くらい集まれば、
 ものすごく面白いものができちゃうんじゃないか?
 という思いが、実は拭えないんです。
 ・・・やっぱり、仕事になるとそうではなくて、
 自由にやっていた時の方が、
 面白いものをできていたような気もします。

 その頃に読んだ『カラマーゾフの兄弟』は、
 とんでもなく面白かった。
 あれは本当に、とてつもないものでしょう?
 エンターテインメントでもあるし、
 謎があって解決できないことがたくさんあるし、
 思想さえもつまっていて・・・すごく打たれました。
 あれは、すごいクリエイティブなものだと感じます。
 人それぞれに、そういう、
 心を動かされたものがあるんだと思う。
 ディレクターの根岸にも宇野にもそれぞれにとっての
 『これはすごい』というのがあるのでしょう。
 クリエイティビティへの意見は、
 個人的に生きてきたことに重なってくるわけで、
 今まで、自分がどういう風にものごとに向かって、
 何をしていたのかというようなものが出てくる。
 だから、やっぱりこれは、番組の企画として
 とても面白いものだったと思います」




★この話は、率直に言っておもしろかった。

「表現をする場があったことで、
 最終的に負けた、行き場のなくなるストレスが、
 増えるのではないかという気もするのです。
 インターネットは最終兵器だとも言えるわけです」

「だけど、若い人は、100個書くことに耐えられない。
 多チャンネルになったことで、
 制限されない放送が可能だという良さはありますが、
 そうやって可能な逃げ道があることで、逆に
 メジャーの部分が弱くなることがあると思います」

「仕事になるとそうではなくて、
 自由にやっていた時の方が、
 面白いものをできていたような気もします」

 表現への怖れがあるのかないのか、という話をはじめ、
 上記のような言葉が、非常に印象に残りました。
 クリエイティブへのアプローチの仕方が
 いかにそれぞれの人生観に関係しているかが、
 よくわかるような気がしました。


(つづく)

2000-08-10-THU

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