TV
テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

クリエイティブというものを考えようという番組が、
この夏「45分×3夜連続」で、NHK教育テレビの
ETV2000という枠で8月21日〜23日に放送されます。
糸井重里、汗かきべそかき、夏の大仕事中です。

くそまじめに、けっこう必死でつくってます。
もしかしたら、読み物としてヘビーかもしれませんが、
時々は、こういうものも読んでほしいわけで。
とにかく、現場は七転八倒の七転び八起き。
これも何かの因果と諦め、どうぞ、おつきあいください。

第12回 語りにくいのだけども、多数決や終身雇用は、
     クリエイティブと、どう関係してるのだろうか?



[今回の内容]
この番組のプロデューサーである長嶋甲兵さん、
ディレクターの根岸弓さん、そしてdarlingの対談です。
何かを作るための土壌は、あるのだろうか?
あるとすれば、どのようなものなのだろうか?
ディレクターの根岸さんが以前に作った番組の中で
キーワードになった「閉塞」から、話がはじまります。




(井上陽水さんのレコードをかけながら)

長嶋 「閉塞感」という言葉は、
番組を作る上ではキーワードになるけど、
自分本人に立ち返ってみて、
閉塞感を感じることは、あまりない。

「エヴァンゲリオン」を作った
庵野秀明に話を聞いていて感じるのは、
彼がほんとに閉塞感を持っている、ということ。
それを、すごくうらやましいと思います。
あの人は閉塞を持っていて、
「ほんとにやりたいことがあって、
 そこを埋めないと自分は生きていけない」
というようなところが、あるわけじゃない?
おんなじクリエイターとして、
表現に関わっている人としては、
そういうのを見て「負けか」と思う時があります。
そういう閉塞感を持つような状況を、
自ら作りださなきゃいけないのかもしれない、
と思ったりもしますけど・・・。

糸井さんには、そういう閉塞感が、ありますか?
糸井 今の話は、ものすごくわかりやすいと思う。
と言うのは、閉塞感というのは、
「時代の閉塞感」というものとしてよりも、
まずは「自分の閉塞感」として訪れるんです。
「この閉塞感を打ち破るためには、
 どうすればいいんだろう?」
と思って動いてみると、実はこの閉塞感は
時代そのものが持っている閉塞感なんだと気づく。
長嶋さんは、いま順調に
仕事から仕事に移り変わっていけて、
生活手段は、給料から来ているでしょう?
給料の仕組みのなかでは、まだ見えないんです。

自分および自分の周囲を養っていくための
給料を「払う」ための経済基盤。
という問題があって、庵野さんも、
投げ出してしまったように作ったはずの
エヴァンゲリオンが当たってしまったことがあって、
「次を求めるな」と言いたいはずなんです。
だけど、次を作らざるを得ない構造を感じる。
それをしないと、自分の抱えているチームに、
給料を払えないという問題がありまして・・・。

そういう意味で、
庵野さんが閉塞感を持つのはわかるけど、
長嶋さんには、いま閉塞感はありえないと思います。
閉塞感は、独立した仕事をする中で感じるものだから。
仮に、ある日突然に窓際にまわされたり、
「おまえはもう番組を一本も作るな」
と言われたとしたら、長嶋さんにも
そこから急にはじまってくるだろうけど。
まずは個人の閉塞感ですよ。
根岸 そういう意味で言えば、
私の年齢(20代)の方が閉塞感はあります。
まだ「ぺーぺー」なわけで、
この番組で失敗したら、もう、
次のチャンスはないだろうなと思うから。

1月の番組で出した「閉塞」という言葉は、
おなじくらいの歳の人たちには、
すごく受け入れられやすかったと思います。
ただ、それは去年の終わりから
今年のはじめだからで、
少し時間が経った今になると、
また違ってくるかなあ、とも思います。

私の身辺で友達と遊びに行っても
みんなが楽しそうになってきているし、
今はいろいろな人が、何かをはじめなきゃ、
と、ただぼんやり思っているだけではなくて、
もうそろそろ、実際にはじめているんですよね。
「自分でやりはじめるしかないんだ」
と思っている人たち、ちょうど今の
新入社員くらいの年代が育ってきていて、
「お前たちが『閉塞感』だとか
 ぼけぼけ言っている間に、俺は行くぜ」
みたいな若い子が増えているような気がします。
だから今になると「閉塞」という言葉が
届かないのかな?と思うんです。
ただ、今はみんなが何かを
やりはじめてはいるんだけど、
その何かを選ぶときのビジョンって、
ほんとに、得ることが難しいと感じます。
長嶋 僕はEU統合のプロセスがとても好きで、
統合のビジョンを推し進めた人は、
ほんとにすごいと思います。
様々な面で、例えば国民国家という枠の面でも、
「こんなことが、本当にできるのか?」
というようなものを実現させたわけじゃない?

ドイツ統合も、国家予算の何割かを
東ドイツ復興のためにつぎ込むという、
ものすごいプロジェクトなわけです。
ビジネスとして論理的に考えながらも
東ドイツに税金を投入していく決断をした人がいて、
その決断についての国会での演説が残っています。
すごく感動的で、素晴らしいんだ。
・・・ここで演説をすることが
自分の転換点になると知っているし、
もちろんドイツ国民にとっても
ヨーロッパ国民にも世界の人にとっても
歴史の転換点になるということをわかっている。
リンカーンの演説のようです。
だって、西ドイツが税金の30数パーセントを
東ドイツ復興にまわすなんて、どう考えても
西側からすれば面白くないはずなのに
そこを説得したわけだから、すごいですよ。

数量的に定式化して考えた結果の
ビジネスに絡む数量的な話と、
人を感動させるような「思い」が、
リンクするこんなような瞬間って、
歴史の転換点のどこかにあるんですよね。
「数量」と「思い」が一緒に出ないと、
絶対にものは変わらないと思うし。
糸井 そういうの、憧れ!
その演説、きっと統一の動機を続かせるような
ナイスアイデアが、あったんだろうなあ。
そのナイスアイディアが
クリエイティブだよね〜。
長嶋 文学と理科系の才能を両方持った人が、
たまたまいたんでしょうね。

竹中平蔵さんと佐藤雅彦さんの対談を読んだら、
竹中さんが、政治や経済の問題を、
みんなにわかるようにイメージ化した人が、
今までの日本にはいないと言っていたんです。
そこの部分は、面白いと思いました。
今まで日本人はいろいろなことを知らなくても
何とかやってくれると思っていたんだけど、
今みたいにどうもそうじゃないという時に、
誰かがもう少しわかりやすく、政治経済について
イメージ化してくれたらいいなと感じたの。

実際には案としては、なくなりましたが、
政治経済の人を今回の対談相手にするのは、
だから、すごくいいなと思っていたんです。
広告というと商品に密着しているとされますが、
政治や経済がどうなっているのかを
伝えるものも、広い意味で広告の役割でしょう?
公共広告だとか限定されたものではない意味で。
だから、最近、糸井さんだとか表現者たちが
実際のマテリアルを把握しようする動きを見ると、
それはすごくいいと思う・・・というか、
それが必然の動きなんじゃないかと感じますね。
根岸 糸井さんみたいなことをやる人が出てくると、
テレビも変わらざるを得ないと思います。
インターネットで、できちゃってることを、
テレビができないのはやばいじゃないですか?
糸井 何で、できないと思う?
・・・たぶん、テレビが大勢の人に見られる
大きなメディアだから、というのが、僕は、
その理由になっているんじゃないかと思います。
力を持っちゃった既得権の巨体を維持するために
今の構造になっているんじゃない?
多くの人間が見るメディアだから、
言ってはいけないことも出てきてしまう。
だから、インターネットもこれから数が増えれば
言えないことが出る方に向かう危険があると思う。

多数のものが何かを決めるという発想が
「誰かに文句を言われることをしゃべれない」
という制約を生むんですよ。
クリエイティブというものは、
たぶん、その逆から生まれるものなんです。
「みんな、猫の絵が欲しい?・・・でも俺は犬っ」
そういうものが、クリエイティブだと思う。
ただ何かを選んでいるだけの大勢の人に
文句を言わせているのは、
だから、おそらくだめなのでしょう。
文句を大声で言われてしまうと、
祭りが終わっちゃうんです。
祭りの最中で喧嘩がはじまったら、嫌でしょう?

マイクを持たされている側にいる人は、
絶えずそういう多数の圧力にさらされている。
さっきのドイツ統一の人たちだって、きっと、
隠れてしていたことが多いはずだと想像します。
全部民意を聞いてやっていたら、
彼は何もできなかったんじゃない?
そういうところに、大切なことがあると思います。

政治家は、エンディングのあることを
言えないからこそ、とてもつらいんだと思う。
でも、ビートルズは解散があったから美しいわけで。
長嶋 ある集団の中のビジョンを出そう、という話は
よくされてはいるけど、ゴールが見えていないと、
ビジョンが打ち出せるはずがなくて・・・。
そうなると、終身雇用って何だろう?と思います。
糸井 エンディングがないと、
スポーツの試合も、永久に終わらないですし、
エターナルに対しての定義は、できない。
「ほぼ日」のページに、専門家に
地球がいつ滅ぶのか?と聞いた記事を
いつまでも出しているのは、だからなんです。
永遠をみこして何かを語ることは、
いったい、どうなんだろうなあと思います。
時間が永遠に続くような幻想を持つ限りは、
何もできないんですよ。

仕事にしても、まず数年働いてみる、
というように時間を切って考えれば、
「じゃあ俺はあそこで無理をできるな」と
その時間までの芝居を自分で作れるんです。
終演後お客さんがどうなるかはわからないけど。
長嶋 集団の中を能力主義で通すためには、
「どれだけ能力のある人を入れるか?」
ということを大切にするよりも、
「集団内の能力のない人の未来を考えながら
 その人とどれだけ平和的にお別れできるか?」
という問題を解決する方が重要だと僕は思います。
だから、クリエイティブな集団の中では、
数年先のゴールを自分で決定させるような
土壌があるといいように考えています。
そのゴールに向かっていく動機を
集団の中でどこまで理解させられるかには、
すごく文学の成分が要ると思うんですけど。

表現をすることって、
頭がおかしくなければできないかもしれない。
例えばテレビなら800万もの人間に見てもらう、
そんな多くの人に見てもらえる面白いものを、
どうして作る根拠があるの?
と考えてみても、そうじゃないですか。

産業基盤がしっかりしていて
お金をたくさん稼げる職種は、
表現以外にも、たくさんあるんですから、
しょうがないけどここで生きるしかないような人が
表現の集団にやって来ているはずなんだけど、
実際にちゃんと集まるかどうかは、わからない。
だから、表現の分野で
集団のメンバーを選ぶためには、
能力の選別というよりは、生き方の選別が
必要になってくるように思います。
選ぶのはこの世かあの世か、
どちらかにしてくださいね、と。
糸井 うん、そうだよね。




★「そうなると、終身雇用って何だろう?」

 「エンディングがないと、
  スポーツの試合も、永久に終わらない」

 「能力の選別というよりは、生き方の選別が
  必要になってくるように思います」

 ここが、とても気になりました。



(つづく)

2000-08-08-TUE

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