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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第9回  自分のことだけしか考えていないのなら、
     その人の人生以外には何も拓けないと思う


[今日の内容]
現在、この番組は編集中です。
かなりの部分ができあがってきています。
3人目の対論参加者である
八谷和彦さんの対談を撮り終えた直後に、
再びディレクターの根岸弓さんに伺いました。
まずは、番組にするための対論収録後の時点で
クリエイティブをどう思うのか、訊ねています。




(darlingと、根岸弓さん)


「周辺取材は、まだ続いていますが、
 3人と糸井さんとの対談が終わって思うのは、
 『何か、もっとわかんなくなったなあ』・・・。

 もともと、対談を収録する前には、
 『クリエイティブというようなものがあれば、
  何だか、やっていけるんじゃないですか?』
 というようなことを問いかけたかったんだと思います。
 新しく何かを生み出すクリエイティブというものが
 経済をいい方向に導くという、それが出発点でした。
 ビートルズが出てきたら、それに関わる商品で、
 経済的に潤うというようなものです。
 例えば八谷さんがポストペットを作ると、
 今はキャラクターグッズが300点もあるそうですが、
 それを作ることで仕事をもらえる人がいるし、
 買うほうも嬉しい気持ちになるという、
 そういうものをクリエイティブだと、私は
 最初とりあえずの定義をそうしていました。
 『ひとつ、価値のあるものが生み出されれば、
  いろいろなことがうまくいくのではないだろうか?』
 そういう気持ちを出発点にして、今その『価値』が
 いったい何かを見ればいいと思っていたんだけど、
 実は、全然そういうことじゃなかったなあって。

 クリエイティブというのは、もっと、何だか、
 生きるということとすごくつながっていて・・・。
 特に見城徹さんは、クリエイティブについて、
 自分自身の生き方の問題として話してくれたから、
 経済効果みたいな話ではなくなったと思うんです。
 だからわからなくなってきているのですが、
 これから編集をしながら、
 この番組でいったい何を伝えるのかを
 もう一度きちんと考えてみたいと思います。

 私はもともと、クリエイティブを考える上での答えを
 自分の中には用意しないでやろうと感じていました。
 私は取材者でしかないのだから、
 『わからない』とだけ強く思うべきで、
 事前に答えを持たないほうがいいと感じるんです。
 クリエイティブで番組をつくる今回は、特に、
 『私は徹底的にわからない』
 という立場から、はじめようと思いました。
 だから、ほんとに糸井さんや見城さんたちに、
 『クリエイティブ』について教えてもらいたかった。
 人に頼った無責任な態度に見えるかもしれないけど、
 自分の中に答えを用意しないでいることで、
 逆に、人の喋っている内容は見えてきますよね?

 マキャベリの『君主論』の中では、人間が、
 『自分でものを考えられる人間』
 『自分でものを考えることはできないけど、
  考えられたものを理解することはできる人間』
 『ものを考えることも理解することももできない人間』
 の3種類に分類されていて、それを大学の頃に読んで、
 『私はたぶん2番目の人間だろうな』と思いました。
 大学にいた時はアート系のサークルに入っていたので、
 まわりには自己表現をしたい人がたくさんいて・・・。

 だけど、私はそのサークルにいたけど、
 1枚も絵を描かないままで、終わりました。
 『私の中には、ほんとに、何にもないな』
 と、その時に、本当に思いました。
 マキャベリの言う『自分で考える』ことはできなくて、
 だけど・・・だからこそなのかもしれないけど、
 生み出せないから、逆にそうなるのかもしれないけど、
 なんだか、わかりたいなあ、みたいに思っています。
 わかりたいという気持ちだけは人一倍ある。

 乙武洋匡君が、『number』で
 スポーツライターをやっているでしょう?
 こないだそのことについて、彼が、
 『自分に一番わからないことだからこそ、逆に
  僕はスポーツというものにこだわるのだろう』
 と言っているインタビュー記事を読みました。
 その気持ちに似ています。
 自分では何かを生み出せないから、
 何かが生み出されることに
 これだけ興味があるんだろうと思う。
 
 私もわかんないなと思いながらですが、糸井さんも、
 『クリエイティブの番組をやろう』と言いながら、
 基本的にはわからない、というスタンスですよね。
 『懐中電灯ひとつがあれば何かを照らすことはできる。
  それで、それぞれが何かを照らして進むしかない』
 糸井さんは、そんなことを『ほぼ日』に
 ずっと前に書いていたんだけど、それに似ていて
 この番組、ほんっと手探りだよ(笑)と思ってるけど」

----「クリエイティブ」という言葉をどう思いますか?

「ニュートラルな立場にいたいとは思っているのですが、
 私は、『クリエイティブ』という言葉を、
 実はあんまり好きではないんですよね。
 取材をしている中だとか、友達だとか、
 ただ単に偶然知りあった人たちとも、いろいろな場で
 この番組に関わるような話をしているのですけど、
 ある『気持ち悪さ』を感じる時があるんです。

 『クリエイティブに生きたい』というように言ったり、
 やりたいことをやりたいという気持ちのある人の中に、
 気持ちのいい人と気持ちの悪い人がいるなあと感じて、
 それは何だろう?と前からずっと思っていたんです。
 それで、私がわかったことは・・・
 『自分のことしか考えてない人の話は、気持ち悪い』。
 その場合『自分のやりたいことをやるんだ』
 というだけで、もう、何かが
 終わってしまうような気がするし、
 会っていても『・・・そうすれば?』みたいに感じる。
 話を聞いていて気持ちのいい人は、
 もっと違うことを考えているんです。
 自分がクリエイティブに生きるなんてどうでもよくて、
 そうじゃなくて、自分以外のことも考えている・・・
 それは大きな違いだと思いました。

 高度経済成長を支えてきたおじさんたちは、
 そういう風にして生きてきたから、今さら
 『自分のことだけを考えている』
 というような話をする必要はないんですよ。
 あの人たちは、日本をよくしようと頑張ったから。
 だけど、私たちの世代とか、もっと下の人の中には、
 自分のことにしか関心のない人が、
 ほんとに一杯いるんだなあと思っていて・・・。
 それが悪いと言っているわけではないんです。
 自分の好きに生きることはいいと思うんだけど、
 ただ、それはたぶん、
 『クリエイティブ』ではないような気がしますね。
 うーん、その人そのものには頑張って欲しいし、
 『もう、自分のことばっか考えて!』とか
 そんな風には全然思わないんだけど、
 『自分だけ』の中では、
 その人の人生だけしか拓けない、とすごく思うんです。

 宮台真司さんが、
 今の社会は、資本主義の競争から
 みんながどんどん降りていくようになって、
 『別に資本主義のゲームに参加しなくてもいいや』
 と、それでそれぞれが小さなサークルを作っている、
 だけど、それぞれが孤立したそのサークルが、これから
 つながっていくのかそうではないのかが気になる、
 というようなことを書いていました。

 私の関心も似たところにあります。
 その小さいサークルがたくさんある今の状態は、
 ほんとにそれでいいのかなあ?と思う。
 わかるひと同志だけが集まって、
 『わかるわかる』と言いあっている
 小さい社会がたくさんあるのは、それでいいのかな?
 まわりを見ると、やっぱりそういう
 小さなサークルになってきていると感じますし」

----それは感じます。
  自分だけについて書いている文を見ると、
  そこに伝える意味があるのかを考えてしまいます。


「何のために伝えるかっていうのを考えると、
 ほんとのところは、別に『自分』を
 伝えたいわけじゃないでしょう?」




★何を、何のために伝えるのだろう?
 簡単に有名になってしまうことを求めている時は、
 おそらく『自分』を伝えたがるのでしょうけども、
 そんなの、どうでもよくなる時期が
 すぐに来るだろうから、とてもむつかしいです。


(つづく)

2000-08-05-SAT

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