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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第3回 対論の切り口とトーン


ディレクターの長嶋甲兵さんと根岸弓さんに
制作の動機を聞く話が、しばらく続いてゆきます。
今回は、対論に水を向けてゆく切り口や、
番組全体のトーンはどういうものにするのか?
撮影前の状態での想定を伺っています。どうぞ。



(撮影風景@静岡の海)


---- 井上陽水さん、八谷和彦さん、見城徹さんという
それぞれの対論での切り口やキーワードは何ですか?
長嶋 陽水さんに関しては今のところ「疑問」です。
例えば人が「〜だよ」と言っていることに対して、
あの人は簡単にOKとは言わないで、
「それは、どうなの?」と問いつづけている。
「こんなに売れている自分って、何なの?」
だとか自分自身にも問い掛けているわけで、
急にそれまでとは全然違ったサウンドをつくったり、
詩でもそういうことがありますし・・・。
根岸 八谷さんの場合、
「ほぼ日」の対談を読み返してみると、
今の段階でもいろいろな発見があるんですよね。
一人でものを作らずに友達と作っているだとか。
八谷さんが何かを作る時の発想のしかたが、
「自分から何かを作ろう」というのではなくて、
例えば、ベルが電話システムを発明する以前に、
いろんな通信をみんなでまだ考えあぐねている
ような段階を仮に想定してから発想していて。
そういうところに、今までのクリエイティブについての
考えを破壊してくれるようなヒントがあると思う。

「破壊するぞ」とも気負っていなくて、生き方も
「ま、かたいこと言わないで」という感じなんだけど、
でも意思はしっかり持っている人だから、
そのことをキーワードにしたいと思いますね。
今仮に出したのは「発明」という言葉なんですけど、
これは昔から使われている言葉で、
クリエイティブとも相性がよすぎるから
ちょっと違うなと思いながらの状態です。

八谷さんは「一人でものを生まない」というか。
エアボードにしてみても、コンセプトは八谷さんでも、
最後の絵をつけている人は全然関係のない人で、
それでも八谷さんがつくったものとして世に出ている。
自分一人のものではないと考えて作ることに
私は一番共感をしているし、何かそこに
ヒントがあるような気がするんです。
もちろんそれは「みんな仲良く」というようなのとは
全然違うことだと思うんですけど。
長嶋 見城さんのキーワードにと考えている
「ひんしゅく」も、いい言葉だと思います。
だって今日見城さんに会ったら、
本人が幻冬舎のコピーで書いたにも関わらず、
「お前、ひんしゅくばっかり買っていても、
 信頼なんか得られるわけないじゃないか」
と取材で言われたという話があるわけですから。
これはほんとで、人にひんしゅくばかり買っていたら、
作家にものなんて書いてもらえないわけでしょう?
根底には、人と人との信頼関係というか、
作家と見城さんの間にはソフトに対する信頼があるから、
そこまで戦略的にひんしゅくを買うことができるわけで、
そこがなければただの嫌な奴じゃん?
その辺のことを浮かびあがらせるには、
ひんしゅくは、いい言葉だな、と思います。
根岸 「ひんしゅくはお金を出しても買え、
 というのがモットーだ」
と見城さん本人が言っているのにも関わらず、
こっちが「ひんしゅくなんですよね?」と聞いたら
「俺はひんしゅくだけじゃあない」と言う、
そこは面白かった。
長嶋 今、番組の全体のトーンを考えたりするんです。
トーンというのはなかなか説明しにくいけど、
番組の色とか絵の感じだの大体の感じを言って、
ストーリーとかテーマでなくて、むしろ形式なんですが。

そういう意味では、僕はこの番組のトーンは、
対論で「論が対峙する」わけですから、
「対談ウエスタン」というか。
西部劇で決闘すると、そこでは全存在をかけて、
生きるか死ぬかの撃ち合いをしているわけでしょう?
今回は、クリエイティブというワードが
ある種ライフルみたいなものじゃない?
・・・そこまで盛り上がってくれたら、
すごくいいなあと思っています。

どの語り手もクリエイティブと生き方が
リンクしていると思うし、
小賢しいうわべだけの工夫だとか
アイデアだけでは、
この決闘には勝てないと思うんですよね。
それに、それだけの強者たちが今回は揃ったとも思う。
その意味では糸井さんはそんな
強者たちの待つ決闘の場に
向かうということになるから、
そりゃたいへんだろうなあと思います。
対談の場での「勝ち負け」もあるだろうし。
僕はプロデューサーとしては、
「みんな、がんばって切り刻んで欲しいな」
と勝手に思っているけど。
根岸 「対談ウエスタン」というのが、
どうもわかんないんだけど。
何ですか?それは(笑)。
長嶋 自分の存在をかけて臨むというか。
つまり、自分自身がテーマになってしまうわけです。
例えば糸井さんが語るのも、村上春樹氏の話だとか、
「広告表現について」「マーケッティングとは」
というような題材ではないわけだから、ごまかせない。
根岸 存在と存在のぶつかりあいであって欲しいのか。
その点ではすごく悩んでいて、
「どうして袋小路に入っているんだろう?」と思ったら、
私は見城さんと糸井さんの立場を曖昧にしていたんです。
それは糸井さんがわかりにくいというのが主な原因で。

見城さんは「俺は編集者として生きていく」と
はっきりおっしゃっているけど、糸井さんは
今日の取材でもおっしゃっているように、
生み出すところまでは作家で、生んだあとは
編集者というか届けることを考えている人で、
「糸井さんは今どの立場でものを言っているの?」
というのが、混乱するんですよね。
「俺はほぼ日刊イトイ新聞の編集長として喋りたい」
と完全に言うのなら、
編集者対編集者のガチンコになるんだけど、
「俺は作家だもーん」と逃げることもできる。
そうすると一つの案としては、
糸井さんは、作家・表現者の立場から
見城さんにもの申すということをしてもらいたい。
長嶋 僕は、編集者対編集者だと思うんだよね。
根岸 一貫してそうですか?
長嶋 現在のメディアの編集者のキングと、
新しいメディアの編集者のキングとして対峙してもらう。
糸井さんの立場がわかりにくいというのは、
それが糸井さんがこの3夜をナビゲートできることの
一番の理由だと思います。3つのそれぞれの人に
ちゃんとぶつかれる引き出しを持っているという。

だからつまり、陽水さんの時には
糸井さんは表現者として対談するんでしょう?
実際作詞したり文章を書いたりしているからね。
表現者としての立場は陽水さんとの時でいいと思う。
やっぱり、どうして歌を生み出すのか?という
本質的な問いかけをしたいだろうし。
陽水さんに編集の仕組みをきこうとも思わないし、
インターネットについてきこうとも思わない。

見城さんが編集者で糸井さんが表現者となると、
ピストルと刀で戦っているようなものになる。
だから編集者として、日刊イトイ新聞という
メディアを持っている立場として会って欲しい。
根岸 糸井さんがほぼ日をはじめたのって、
編集者としてはじめたわけじゃないでしょう?
糸井さんは確実に、表現者として・・・。
長嶋 自分のやりたいことのメディアを持ちたいというのは、
編集者としてでしょ?
根岸 いや、表現者としてでしょう?
長嶋 そうかなあ?


★クリエイティブについて話すことは、
 自分のふだんの生き方と関わるから
 小手先の口のうまさではできない、というのは
 その通りだなあと思いながら話を聞いていました。
 だからこそ、対談撮影前のこの時、
 長嶋さんにも根岸さんにも緊張感があったよ〜。
 最後に、自分達の論を曲げないで話しあっているのも、
 普段のミーティングの様子が想像できるようでした。

(つづく)


2000-07-27-THU

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