赤ん坊が、最初にしゃべることばって、
ママだったり、まんまだったり、パパだったり、
いろいろあるのでしょうが、
その「たったひとこと」が、とても貴重なものに思えます。
本人が、「おれが生れてはじめてしゃべったのは‥‥」
なんて憶えているわけもないのですが、
知ることができたら、いいものですよね。
ぼくは、残念ながら、知りません。

はじめて生えた「歯」というのも、
下の歯茎のまんなかあたりに、白っぽく見えたくらいから
ずっと注目されていて、とても大事なものに見えます。
「はじめて泳げた」瞬間というものもあって、
これは、笑いが出ちゃうほどの感動がありました。
「いま自転車に乗れた」、という瞬間もありますよね。

はじめての何やら、というのは、
どれも決してうまくやれてないはずなのですが、
とても大事なものです。
「ほんのちょっと」だけできた、というだけなのですが、
その「ほんのちょっと」の大事さを、みんながわかります。

やがて、いろんな「はじめて」を経験して、
いろんなことがなにかと上手になってくると、
「ほんのちょっと」よくなったことが、
見えにくくなってきます。
「ほんのちょっと」の大事さが、わからなくなります。
「ちょっぴりだったら、要らないくらいだ」などと、
思ったりもするものです。
でもねー、この「ほんのちょっぴり」が、ほんとに大事。
本でも、1ページだけでも読みはじめると、読めるし、
仕事も、3分でもその仕事を考えると、はじめられる。

ぼくが親しい人に、『ほぼ日手帳』をすすめる理由は、
ほんの数文字だけでも、何かについて書き留める‥‥
ということが、後でとてもいいことを
連れてきてくれるからだったりします。
あと、「腹七分目」の食事をこころがけるときも、
「ほんのちょっと」が、ポイントなんですよね。

(2007年6月29日「今日のダーリン」より)

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