新春スペシャル大放談!  タモリ先生の午後 2009 「惜しい」の発見。



糸井 それじゃ、タモリさんが
いちばんモテてた時期って、いつですか?
タモリ だいたいはモテない歴史なんですけど‥‥、
強いていえば
たぶん30代ぐらいじゃないでしょうか。
糸井 もう、こちらの業界で。
タモリ ええ、こちらの業界で。
糸井 タモリさん、すごく忙しかった時期でしょう?
やっぱり、
そういうときのほうが、モテるんですかね?
タモリ あんときは、命かけてたからな‥‥。
糸井 イグアナのマネに。
タモリ ほら、あんときはさ、
スタントマンみたいなスケジュール
だったからね、オレ。
糸井 そうですか‥‥。
タモリ いやいや「そうですか」って。

スケジュールはふつうでしょう。
スタントマンは。

糸井 そうか、危ないだけで(笑)。
タモリ でも、いまでも覚えてるんですけど、
金曜日の朝、家を出て
『笑っていいとも!』だなんだかんだあって、
で、結局、仕事終わったのが
「日曜日の朝」っていう日がありまして。
糸井 はぁー‥‥。
タモリ たしか朝の5時過ぎに終わったんだけど、
いったん家に帰って、
風呂に入って、したくをして、
またすぐ札幌へ行かなきゃならなかったり。
糸井 「イヤだ!」と思ってるヒマもなく。
タモリ とにかく、スケジュールが目に入ると
「今月は生きていけるんだろうか‥‥」と、
命の危険すら感じてましたね、あの時期は。
糸井 でも、逃げ出したりもせず。
タモリ ‥‥出てたよね、オレ。
糸井 だからモテたんでしょうね。
タモリ ガッキーでさえも、オレんとこ来てたね。
糸井 「干した布団のにおいがする」と。
タモリ 「ずっと顔をうずめていたい」と。
糸井 でも、そういう「出てる自分」に
勘違いしちゃうケースも、
きっと、いっぱいあるでしょうね。
タモリ うん、それで負けてく人は多いよね。
糸井 たぶん、そこでタモリさんは、
なんていうのかな‥‥「いい気になる」ことが
できなかった人なんでしょうね。
タモリ うーん。
糸井 そんなに売れちゃったら、
「いい気」になれるじゃないですか。
タモリ なれますね。
糸井 ぼくは、そのころ、タモリさんのことを
テレビでしか知らなかったけど、
「いい気になってる姿」は見たことないと思う。
タモリ それはたぶん、
30歳までサラリーマンやってたからでしょう。
糸井 ボーリング場の支配人‥‥でしたっけ。
タモリ そのせいなのか、
どうしても「こっちの世界」だけの感覚には
なりきれないんですよね。いまだに。
糸井 ああー‥‥「いつか見てろよ」という感じが
薄かったのかもしれないですね。
タモリ もともと赤塚さんとこの居候の出ですから。
糸井 そうか、そうか‥‥。そこは重要ですね。
タモリ たぶん、大きいと思うんですよね。

だって、30歳までサラリーマンやってたら、
そのころの感覚って、消えませんから。
糸井 うん、うん。
タモリ まだ「博多でテレビを見ていた人」の感覚が
残ってるんですよ。奥のほうに。
糸井 視聴者が「どう見てるかな?」というのが
わかるわけですね、つまり。
タモリ たぶん。
糸井 でも、タモリさんのその「訓練」って
30代の時期に、
やっとかなきゃならないものだったかも
しれないですね。
タモリ うん、この業界って、「場数」というのが
どうしても、あるていどは必要ですからね。
糸井 息止めてでも
できるくらいにならないと。
タモリ そう。
糸井 きっとダメなんでしょうね。
タモリ まぁ、とにかく12月なんかは、
「オレ、正月迎えられるのかなぁ」なんて
思うぐらいなんですね、毎年。

だから、山と積まれた仕事を前にして
とにかく、やんないと次の日が迎えられない
というような状況なんです。
糸井 うん。
タモリ でも、極端に疲れた果てたときに、
なんかひとつ、
「‥‥ん?」と思うことが、あるんですよ。
糸井 はぁー‥‥。
タモリ こういうふうな気持ちでやったから
よかったんだなとか、
今回は、こうやって、うまくいったな‥‥
みたいなことに気づくんですけど、
それがね、
のちのち、役に立つっちゃ立つんです。
糸井 なんか、ひとつ抜けたときに見えるものが。
タモリ ありますね。
糸井 息を止めても、目をつむってても
できるぐらいになったとき、
はじめてわかることっていうのが。
タモリ ある。
糸井 はからずも。
タモリ イイ話に(笑)。
<つづきます>

2009-01-08-THU



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