翻訳前のアメリカ。
そのあたりのこと、現地ではどんな感じ?

第六十二回 『クラッシュ』のあるある感


2005年度のアカデミー賞を争った映画二本
『ブロークバックマウンテン』と『クラッシュ』
両方とも公開中でGW後も
まだ上映されているようですね。

『ブロークバック・マウンテン』は米国公開時、
“愛というものが、
 今まさに発明されたかのように感じられた映画”
とまで絶賛されました。
それも気取った高級紙でもなければゲイ雑誌でもない
ファン向け映画雑誌
エンタテインメント・ウイークリーの映画評です。

この大本命をひっくり返して『クラッシュ』が
アカデミー賞作品賞をサプライズ受賞したわけですが、
その原因については、
“この映画が、大半がロサンゼルス近郊にすんでいる
 アカデミー会員の実感を捉えたから”
というふうに説明されました。
確かにこの映画、
ハリウッド・バーバンク・ロサンゼルスという
映画業界の人達が特にたくさん住んでいる地域が
舞台になっています。
ただ、それだけでアカデミー賞がとれるなら、
『ハリウッド的殺人事件』だって
アカデミー賞がとれてしまいます。

『クラッシュ』が描くロサンゼルスの
どこにそこまでの説得力があったのでしょう?

映画の冒頭、
ドン・チードルとジェニファー・エスポジートの二人が、
マルホランド・ドライブと思われる山道で
乗っていたクルマがぶつけられてしまうシーン。
ジェニファーがクルマを降りてみると
事故の相手はブレーキ(Brake)の発音が
Blakeになっちゃう中国系のおばさん。
「急にBlakeかけすぎだよ、メキシコ人!」
とおばさんが叫ぶと
「Blakeってなんのことよ! Blake?」と
いきなり両方ともキレて口論になってしまいます‥‥
すずきちはLAでクルマを二度ぶつけられていますが、
いちどめはイラン人のおじいさん、
二度目は何人かもわからない長ーい綴りの名前の
南アジア系ぽいおばさんでした。
どちらのときも、もともと英語に訛りがある相手。
それが事故で気が動転して早口になって
おまけに自分に落ち度がないことを言い張ります。
こちらはまともに話をする気すらなくなってしまい
本当にイライラした覚えがあります。
二回ともなんとかキレないで済ませましたけど。

イラン人といえば、イラン人のお父さんが
娘を通訳にしながらハリウッドの銃砲店で
拳銃を買うのが二番目のシーンです。
二人がまごまごとペルシャ語で相談していると
「ジハードの相談は家でしてくれよ」
英語がわからないとたかをくくった
銃砲店の親父が呟きます。
すると、とたんにイラン人のお父さん
が英語で怒り出します。
「私を“を”侮辱しようってのか?」
「あんたを“を”侮辱するなだってぇ?(insult“at”you)
 それで英語を話してるつもりか?」
‥‥。
これはなかなか身につまされるところです。
自動詞と他動詞があやふやになって
余計な前置詞をいれてしゃべるなんて
すずきちはしょっちゅうです。
そのおかげで、
例えば詐欺まがいの電話セールスの連中に
足元をみられて
不愉快な思いをさせられることもしばしば。
いんちき電話セールスなんか理詰めで問い詰めて
相手をしどろもどろにさせて
からかって終わりなのですが、
それでも微妙な悔しさは残ります。

さらにあるある感が高かったのが、
黒人二人組のチンピラに
高級SUVリンカーン・ナビゲーターを
カージャックされた
地方検事(ブレンダン・フレイザー)が
かっこ悪さを取り繕うための対策をねるシーン。
事件後も黒人に偏見をもっていないというポーズを
大衆にみせるために補佐官たちと画策します。

検事 「こないだ活躍した黒人の消防士がいただろ、
    私が彼に勲章をあげたら、いい画になるよね」
補佐官「彼は、イラク人ですよ。サダムって名前の‥‥」
検事 「あいつ黒人にみえるぜ。
    “イラク人サダム”だって?
    勘弁してくれよぉ…」

“イラク人サダム”って名前、
いかにも脚本の都合でひねりだしたように思えます。
でもここですずきちは、
いつも使っている銀行の窓口にいる
アラブ系の若い行員のことを思い出しました。
彼の名前はあろうことかオサマ君。
9−11の後に銀行にいったら、
決まりがあるらしくOsamaの名札はそのままでしたが、
彼の同僚は聞こえよがしに彼のことを
Samと、慌ててつけたような英語名で呼んでいました。
この手の間の悪さって、サム(オサマ)君本人も
まわりの人たちもかなり大変だろうと思います。

もとはといえばこの映画、
監督・脚本家のポール・ハギス当人が
黒人二人組によるカージャックに遭い、
その実体験をふくらまして脚本を完成させたものです。
なるほど、映画の冒頭のほんの10分間くらいだけで、
ロサンゼルス近郊に住んでいる人間には
思い当たる、
身につまされるフシがざくざくでてきました。

“サベツはいけない”と頭でわかっていても
人種や文化の違いでストレスを溜め込んでしまい、
イライラし、場合によっては感情が爆発してしまう‥‥
そんなロサンゼルス生活の断面を
シーンごとにいろんな角度から切り取っています。
しかもそのあるある要素のひとつひとつの断片が
巨大なジグソーパズルのように組み合わさって
大きなストーリーを形作っているのが
『クラッシュ』でした。

アカデミー賞は会員の投票によって決まります。
ただし作品賞をのぞくとそれぞれのカテゴリーは
俳優なら俳優、音響なら音響のそれぞれの部門の
プロフェッショナルだけに投票資格がある。

作品賞だけ、会員全員に投票資格があるのですが
アカデミーの会員は総数をみても
6000人にとどきません。
ロサンゼルスタイムズによると
会員の78%がカリフォルニア州民で
その大部分がロサンゼルス近郊に住んでいます。
また当たり前ですが州民でなくても
ロサンゼルスに頻繁に逗留しないと
仕事にならない人たちばかりです。

『クラッシュ』は、
そんなハリウッド・ジモティたちの実感に
強く訴えた一方で
ハリウッド映画の観客のマジョリティに
受け入れられやすい設定を踏み外していませんでした。
映画に登場する対立の構図は
基本的にはヨーロッパ系白人対それ以外です。
そして映画の冒頭で黒人夫婦に嫌がらせした
マット・ディロンの警官が職業倫理にしたがって、
人種も何も超えて命がけの
ヒロイックな活躍をすることで
観客に希望をみせるというのが
ストーリーの骨格になっています。

一方で、
中国人と黒人/イラン人とラティーノ/
ラティーノと中国人
というヨーロッパ系白人でない人たちの関係や軋轢は、
描かれてはいるもののいろどりのひとつに過ぎません。
そして、黒人とラティーノとの関係にいたっては、
ドン・チードルとジェニファー・エスポジートとが
恋人同志という設定になっています。
ですから対立・軋轢といっても
黒人対ラティーノのそれは
二人の痴話げんかにまでトーンダウンしています。

広いアメリカ、州によってはラティーノの人口は
まだまだそんなに多くないですから
全米マーケットをねらう映画のテーマとしては
ヨーロッパ系白人対それ以外が中心になるのは
むしろ必要なことだったといえます。
そうはいっても現実のロサンゼルスで
いちばん頻繁にニュースになる最も深刻な人種対立は、
黒人とラティーノ間のものなのです。

昨年の秋には、
ロサンゼルス近郊にあるいくつかの高校で
ささいな喧嘩から全校あげての大乱闘になり
警官が出動するという事件が頻発しました。
ラティーノと黒人のギャングが
高校に入り込んで喧嘩するのが発端なのですが、
騒ぎが大きくなって授業がチャラになるのをみこして
付和雷同する生徒たちが続出。
それで毎回騒ぎが大きくなったようです。

また今年2月には、
LA近郊の刑務所で黒人とラティーノの囚人同士の
いざこざに端を発して刑務所で暴動が発生しました。
2万人以上が収容されている刑務所で
2000人が暴動に加わり死亡者まででる騒ぎです。

なぜ黒人とラティーノがことさらに
対立するのかについては、
いろんな理由があります。
まず頭数。
ラティーノが移民として
どんどんカリフォルニアにはいってくることと、
彼らはおしなべて子だくさんという事情があり、
マイノリティでもっとも数が多い層が
黒人にかわりラティーノになっているという
事情があります。

そして学校。
ラティーノが多い地域では外国語として
スペイン語がカリキュラムにはいっています。
そうなると、
普通にしていてもおちこぼれそうな貧しい家庭出身で、
でも英語しかできない移民でない生徒は
当然不利になります。

さらに、なによりお仕事の現場では、
低熟練労働の仕事を取り合うことになります。
不法移民たちは
法定賃金以下で働くことも多いわけですが
そうなると、せっかく公民権運動や労働組合の活動で
黒人の労働者が勝ち取ってきたいろんな権利が
いとも簡単に
おびやかされてしまうということにもなります。

つまりアメリカ社会のなかで
立ち位置が一番似通っているのが
黒人とラティーノなのですが、
マイノリティなりに生活の基盤があった黒人層の生活を
結果的に脅かしているのがラティーノなのです。

ところがアカデミーの会員たちは、
おおむね高収入のヨーロッパ系白人層。
『クラッシュ』をみて
「あるある、あるある、LAってこうだよね」
と頷きながら
この映画に投票したひとたちは、
足元のロサンゼルス社会の人種対立の現実について
意外と大きな見落としがあったことに
気づいてなかったかもしれませんね。

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2006-05-09-TUE

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