翻訳前のアメリカ。
そのあたりのこと、現地ではどんな感じ?

 

第四十二回配信 
スプリングスティーンの絶対音感 その2


同名のアルバムを2002年7月末に発表直後、
すぐにはじまった『ザ・ライジング』ツアーは、
観客が人生をかけて大合唱した
2000年のリユニオン・ツアーとは趣がすこし違いました。

『ザ・ライジング』(2002)は
『ボーン・イン・ザUSA』(1984)以来
18年ぶりにEストリート・バンドと組んだアルバム、
ニューヨークの隣、
ニュージャージー州フリーホールド(Freehold)という、
一歩間違えれば米軍の作戦名にされそうな名前の町出身の
スプリングスティーンが
正面から9-11をテーマにしたアルバムです。

ちなみにフリーホールドのある
ニュージャージー州マンモス郡出身者だけで、
ワールドトレードセンターへのテロの際、
150人以上もの人たちが犠牲になっています。
ボスのファンだったある犠牲者の葬儀では
"涙のサンダーロード"が流されたそうです。
スプリングスティーンの曲が
スタジアムでの大合唱のかわりに
故人の追悼というきわめて個人的な場面で流される一方で、
スプリングスティーンのライブに出かけるまでもなく、
アメリカ人は"テロとの戦い"とやらのために
様々な異論をすべて排除するような形で
一致団結してしまっていました。

そんなあれやこれやがはじまってから1年近く経ち、
このアルバムは2002年7月末に発表されました。
収録された曲の多くは、
愛する人を失った、残された人たちの喪失感、
テロの現場に飛び込む消防士の姿、廃墟と化した街、
などを描いた、9-11の現実を前にして
祈りと癒しと連帯を志向するものでした。
アメリカの夢と繁栄の陰で、
厳しい現実と向き合う普通の人たちの姿が
ボスの大半の曲のテーマですから、
これには素直に共感することができます。

ただ、アメリカ以外の世界に目が向けられた途端、
戸惑いのようなものが曲に滲み出てきます。

なんだか収まりがわるい曲の代表は
パキスタンのアシフ・アリ・ハーンの詠唱をとりいれた、
"ワールズ・アパート"でしょうか。
ボスはポール・サイモンでもなければ
ましてやデビッド・バーンでもないわけで
エキゾティックな音楽を世界のどこかからもってきて、
目新しいポップミュージックに仕立てなおす
なんて芸当はできませんでした。
イントロではいる詠唱は印象的であるものの、
曲自体はミドルテンポの凡庸なロックです。
フィーチャーされている詠唱は、
アメリカではニューエイジ風の宗教として
紹介されることもあるイスラム教神秘主義の一派
スーフィの音楽とのことなのですが、
同じイスラムでも原理主義の一派には、
音楽自体を否定する考え方の人たちすらいるそうです。
イスラム音楽へのボスのアプローチは、
潜在的な矛盾を含むメッセージになってしまいました。

また『明日なき暴走』の頃の曲を
軽快にしたようなアレンジの
"メアリーズ・プレイス"では
「仏陀の絵を七つをもっていて、舌の上には預言者」
「慈悲の七天使が太陽のブラックホールで歌う」
とイメージを並べた後、
「雨よ降れ、雨よ降れ、雨よ降れ..・」
とリフレインがはいります。
聖書の七天使の長は、慈悲の天使とも呼ばれるミカエル、
イスラムのミカエル(Mika'il)は雨の天使ですから、
この大天使のシンボリズムを軸に
慈雨がさまざまな信仰の違いを洗い流してゆくような
イメージが膨らむリフです。
そして「メアリーの家で会おう、パーティがあるんだ」
と呼びかけるのですが結局、
「どうやってこれ(パーティ)を始めたらいいのか
教えてくれ」
と歌のナレーターは戸惑ってしまいます。

結局このアルバム、何が画期的だったといえば
保守的なファンの立場からすると、
ボスがEストリートバンドと再び組んで、
試行錯誤ではない、本格的なアルバムを制作したという
事実がもっとも大きかったのです。

リユニオン・ツアーでは、
レコーディングにジェフ・ポーカロなど豪華メンバーが
参加した90年代の曲
"ヒューマン・タッチ"(1992)も演奏されましたが、
マックス・ワインバーグのパンクチュアルなドラムと
クラレンス・クレモンズのワイルドなサックス、
そしてロイ・ビタンとダニー・フェデリチの
多彩なキーボードが入った
Eストリートバンド・バージョンでこの曲を聴いてみて、
はじめてボスの曲として納得できた気がします。
多くの保守的なファンにとっては、
スタジオでもライブでもEストリートバンドあっての
スプリングスティーンなのです。

8月にドジャースタジアムでみた
ライジング・ツアー・コンサートでは、
そんなスプリングスティーンの戸惑いと
ファンの思いとが融合した瞬間がありました。

すずきちの席は、
ステージ向かって左のスタジアム席の最前列。
野球の席でいうと、レフト線沿い外野席の最前列です。
幅広の通路が目の前にあるものの、
感覚的にはほとんどアリーナ席で、
アリーナ席換算でいうと以前から50列目くらいの位置。
実は、開演3時間前に
近所のタワーレコードの中にある
チケットマスターというチケット扱いチェーンのブースで
正規金額約85ドルで購入したのですが、
何かの理由で最後までキープされていた席が
ライブ当日になって発売されたもののようでした。
ちなみに各種のチケットブローカーでは、
最前列が5200ドル、アリーナ席は軒並み500ドル前後、
スタジアム席でも150ドルの値段がついていました。
野球ですら最前列では見たことがなかったのに、
それを定価で買うことができたのですから幸運です。

とにかくアリーナに面した席で、
アリーナ席とスタジアム全体を観察することができました。

アリーナ席の一角には車椅子観客用のスペースがあり、
50席分ほどの椅子が取り払われて
他の客席より一段高い平坦なステージになっていました。
車椅子の観客が車椅子のまま見ることが出来るだけでなく、
ライブが盛り上がって前の席の観客が立ち上がっても、
車椅子のままでステージを見ることが出来るように
目線の高さを確保しているのです。
また、車椅子の人の付き添いの人がいる場合も
そのスペースに陣取ってライブをみるという仕組みでした。
実際の観客は車椅子の人が20人に
付添い人が10人くらいだったようです。
それをみて東京国際フォーラムの貧弱だった
車椅子席のことを思い出したのですが、
数が少ないのもそうだけど、
付添い人の扱いってどうなってるんでしょうね。
空間的に余裕があるスタジアムコンサートと比べたら
もちろんかわいそうだけど。

それから気になったのは客層です。
ここは本当にロサンゼルスかと思うほど、
白人ばっかり。
20代後半〜50代の白人男女が
観客の9割がたを占めていたとおもいます。

ドジャーズの試合でも、エンジェルズの試合でも、
レイカーズの試合でも、
スタジアムの観客の人種・年齢構成は
本当に多様だっただけに、
9割がた白人の大人という観客構成のスタジアムは
なんだか居心地が悪いものでした。
普段、特にカリフォルニアでは視覚化されることのない、
アメリカの意志決定におけるマジョリティを
スタジアム一杯分目の当たりにしたような感じです。
つまりアメリカ市民でありかつ、納税者でありかつ、
消費者でありかつ、有権者であるような人達です。

それでもライブがはじまるとそんな居心地のわるさは
どこへやら、一曲目"ザ・プロミスト・ランド"(1978)
では、スタジアムの観客が総立ちとなっての
大合唱がはじまりました。
様子が違ったのは二曲目以降です。
『ザ・ライジング』からの曲
"ザ・ライジング"と"ロンサム・デイ"が演奏されましたが、
みんな楽しんでいたものの
客が歌ったのはサビのとこくらい。
問題の"ワールズ・アパート"にいたっては、
お手洗いや売店にでかける人が増えて
アリーナの通路がこむという現象すらおきました。
曲に滲みでた戸惑いや矛盾を、
退屈さと感ずる観客も多かったのです。
一方"暗闇へ走れ""闇に吠える街"(いずれも1978)
になると大合唱...
なんだか二種類の別の種類の音楽を
一つのライブでかわるがわるきいているような
気分になりました。

でも、それで終わらないのがスプリングスティーンです。
第一部の終盤、"バッドランド"(1978)
"表通りにとびだして"(1980)とロックンロールが続いて
観客が歌えや踊れと盛り上がりきったところで、
戸惑いソング"メアリーズ・プレイス"。
この曲自体はEストリートバンド調ということもあり
うまく盛り上がりがつながり、観客も大合唱でした。

ボスの戸惑いはついに観客に共有されたのです。

この瞬間はじめて、
すずきちはこの曲を理解できた気がしました。
ボスは戸惑いを肯定しているのです。

9-11以来アメリカ人は自分たちの感覚が
あたかも絶対音感であるかのように振舞ってきました。
絶対音感を持った人たちは、
音程がほんの数ヘルツでもずれた音楽を聴かされると
気分がわるくなったりするらしいですが、
過去二年間のマジョリティのアメリカ人は
まさにそんな感じでした。
アフガニスタンでの戦争からイラクでの戦争に続く、
アメリカの"テロとの戦い"に関して
わずかでも異論をとなえる国内外の声はすべて、
不快で誤った意見として退けてきたのです。

それがここへきてアメリカ人は戸惑っています。
先が見えないままに米兵の犠牲者が増え続けるイラク、
景気回復の兆しはみえるものの
空前の規模で減り続けている雇用、
納税者は減税を享受したものの
教育をはじめとして財政難でガタガタになりつつある
公共サービス...

「どうやってこれを始めたらいいのか教えてくれ」と
あえて戸惑ってみせるボスは、
車椅子の観客の目線を確保するような誠実さで、
そんなアメリカ人のマジョリティにとっての
正しい目線の高さで歌っているのです。

なんてことを考えているうちにコンサートはすすみ、
アンコールでボスの代表曲中の代表曲
"明日なき暴走"(1975)がはじまりました。
スタジアムの観客は、
がちゃがちゃの音程・ばらばらのテンポで、
一言一句もらさず、人生をかけて全部歌います。
そんな観客をEストリートバンドとともに
正しい音階へむけてリードし続けるボスの姿は
最後までタフでした。

ボスはアメリカをリードし続けているのです。

そりゃあ、一緒に歌いましたとも。

鈴木すずきちさんへ激励や感想などは、
メールの表題に「鈴木すずきちさんへ」と書いて、
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2003-08-11-THU

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