翻訳前のアメリカ。
そのあたりのこと、現地ではどんな感じ?

 

第三十八回配信 愛国心 その1


先回の配信でアメリカの世論についてご紹介した際、
ひとつ重要な要素にふれませんでした。
アメリカ人の愛国心です。
愛国心なんてものを星条旗と一緒に
気軽に振りまわしているアメリカ人の姿は、
今や世界中から不気味がられています。
とくに、日本人は愛国心というとつらい思いでしかなく、
嫌悪感を募らせている方も多いんじゃないでしょうか。
果たして、本当のところはどうなんでしょうか。

アメリカ人の愛国心を特徴づけているポイントは、
アメリカという国が 豊かであること、
比較的若い国であること、移民国家であること、
そして独立のために戦争を経ていることの
四点だと思います。

豊かさ:
消費文化の成熟という尺度でいったら、
日本の方が上だったりするのかもしれませんが、
国土の広大さ、資源の豊かさ、農産物の豊かさなど、
消費の土台や骨格をなす部分に関してはアメリカの方が
ずっと上です。
一方で、国土の広さからかゴミ処理などの
大量消費文明の矛盾に今のところ直面せずにすんでいます。
結果、アメリカ人はなんのてらいもなく
国の豊かさを誇りに思っており、
その豊かさは、
彼等の先祖や今日の国民の努力と創意工夫の
結果であると多くの場合考えています。

若い国
次に理念の部分ですが、
アメリカという国が、歴史的にみたら比較的最近、
自由とか人権とか民主主義とか、
私たちが当たり前と考えている
いろんな価値や社会の仕組みが確立し始めた頃、
まさにその価値や仕組みを実現するという理想をもって
建国されたという事情があります。
つまりアメリカを愛することと、
自由・人権・民主主義を信望することは、
理屈の上では全く捩れなくつながるのです

移民国家
さらに移民国家であるという事情が加わります。
日本だと、民族と国の領土の広がりがほぼ一致していて、
国民の大多数がある程度の文化的そして遺伝学的な
共通性をもっていると、なんとなくみんな信じています。
そうなると、愛国心はその"なんとなく一緒"な集団への
帰属意識という性質がつよくなります。
一方、アメリカという国を国民が愛する場合には、
"アメリカ民族"というものがとにかく存在せず、
またてんでんばらばらにいろんな人がいますから、
アメリカがもつ普遍的な理念とか、国の豊かさとか、
その理念や豊かさに希望を抱いて移住してきた人々の志とか
そんなものを称揚するしかないということになります。

独立戦争
そして最後に、独立革命(戦争)によって、
独立と自由を勝ち取ったという歴史があります。
さらに南北戦争によってより平等な国家を実現した、
という歴史もありますね。
歴史的に有名な愛国者としても、
ボストン茶会事件の首謀者サミュエル・アダムスとか、
イギリス軍の進軍をボストンへいち早く伝えた
ポール・リビエとか独立戦争関連の人になります。
つまり"自由や平等のために戦争する"ことがなかったら
今あるようなアメリカという国自体が存在しないのですから
自分たちの理念を実現するために戦争することは、
正しいことになってしまいます。


こういう考え方が端的に現れているのが
国歌『星条旗(Star Spangled Banner)』です。
この歌はアメリカが独立してまもなく
再びイギリスと戦った「1812年戦争」の最中の
1814年につくられたそうですが、
歌詞は随分勇ましいものです。

いつも歌われる一番の歌詞には
"(イギリス軍の)ロケット弾が赤く光り、
爆弾が空中で破裂する、
それは(アメリカ軍の砦が降伏しておらず)
我々の旗がまだそこにあることの証…"
とか
"自由なものたちの地、勇敢なるものの故郷の上に
あの星条旗は、まだはためいているか。"
とか戦闘で苦戦してる様子が歌われています。

プロスポーツをはじめ
あらたまったスポーツの試合の前には
必ず演奏される『星条旗』ですが、
イベントによっては歌詞が"ロケット弾が赤く光り"に
きたとこで花火を打ち上げるような演出まで行われます。

青空の下、開放感のある広いメジャーの球場で
山盛りのナッチョスにたくさんハラペーニョをのせた
チーズディップをたっぷり乗せて齧り、
辛くなった口に冷えたビールを含みながら
年俸数百万ドルとか数千万ドルとかの
野球選手達のプレーを眺めていると、
アメリカでの生活は自由で、
豊かだとあらためて実感します。
(ちなみにスタジアムで売ってる食べ物のうち、
 ピザだけは 高いくせに小さいやつが多いので、
 豊かさを実感したい人はピザだけは
 よした方がいいです。つまんない忠告だけど)

そんな風にまったりとしはじめたとこへ、
かしこまって『星条旗』が演奏され、
さらに花火だので演出される…
なんて経験を何度も繰り返していくうちに
単なる日常的な感覚であるアメリカの自由さや豊かさが
実感としての愛国心と
不可分のものになってゆくのでしょう。
アメリカの愛国心は、
民主主義やそれを実現するために戦った人たちへの尊敬と
結びついていて、かつ日常的な感覚なのです。

日常的といえば、
わざわざスポーツイベントで
ビールをぐびぐび飲まなくても、
アメリカの公立学校に通う子供であれば
毎朝、星条旗へ忠誠を誓うことになっていました。

宣誓の文句は決まっていて、
"私はアメリカ合衆国の国旗と、それが象徴している共和国、
すべての人に自由と正義があり、
神のもと分かつことができないひとつの国への
忠誠を誓います"
てな内容です。

愛国心なんてことを学校で教えて、
今のアメリカの子供たちがどこまで真に受けるものなのか、
怪しいもんだとは思います。
また、"神のもと"の部分が政教分離に反すると主張して
訴訟をおこした無神論者のお医者さんがいて、
最高裁まで争って昨年一応違憲判決が出ていますので、
今後この宣誓の扱いが
アメリカの教育現場でどうなるかは分かりません。
でも"日の丸を卒業式だか入学式だかに掲げる/
掲げないでもめた心労がもとで自殺する校長先生"が
数年にひとりでてしまうような日本の学校教育の
陰惨な歪み方と比べると、随分呑気ですよね。

そんな風に呑気に育まれるアメリカ人の愛国心が
目に見える形で発揮されるのは、
この国がさまざまな混乱や危機に直面したときです。

この連載でも、何度かそんな様子をご紹介しました。
2000年の大統領選挙の開票でさんざんもめたわりに、
ブッシュが大統領に決まった瞬間に
彼のリーダーシップを認めようという
雰囲気がマスコミを中心に形成されたこと(第一回配信)、
9-11の危機に直面し、絶望的な外交音痴を心配されていた
ブッシュ大統領の支持率がきちんと上がった事実
(第二十二回配信)…残念ながら、
最近とみに、リーダーを支持する目的でリーダーを支持する
機会が多いようですね。

多くの場合、愛国心というと国のまとまりを実現するために
国民に我慢を強いる側が鼓舞するものですが、
アメリカの場合、順番が逆の印象があります。
国家にさまざまな困難や危機が発生し、
リーダーシップが必要とされる状況になったとき、
アメリカ人は、ある種自然に政権に対する批判を控え、
国民の代表がリーダーシップを発揮しやすい
状況をつくる文化があるようなのです。
『ブッシュ妄言録』みたいな本が日本でも
次々と出版されているようですが、
"こんな馬鹿な男を70%ものアメリカ人が支持している"
という事実を不気味だと思っていませんか?

その実、何がおきているかといえば、
ジョージ・W・ブッシュという
頼りない個人の能力を支持するというよりも、
民主的な意思決定プロセスそのものや、
民主的に決定された結果として戦地に送られた
兵士達を支持するのだ、という思いを抱いている
アメリカ人が増えてしまっている、
という部分が大きいのです。

それを彼らは愛国的な態度とよんでいるわけです。

2003-05-06-TUE

BACK
戻る