翻訳前のアメリカ。
そのあたりのこと、現地ではどんな感じ?

 

第十一回配信 ボルボ

「クルマがないと、人生むかつく」
(”Life sucks without a car.”)
というのは大手中古車販売チェーン
アグリーダックリング社のキャッチフレーズです。

中古車販売と自動車ローンをメインのビジネスとする、
NASDAQにも上場している同社のTV CMは、
風采の上がらない中年女性が、
バス停でバスを待っている間に
通りがかりのクルマが撥ね上げた
車道の泥水をかぶっちゃうとか、
とにかくクルマのない生活の惨めさ悲惨さを
強調したものです。
クルマを購入・維持できない貧乏人を
ものすごく馬鹿にしたCMだし、
怒り出す人がいるんじゃないかな、
と思ってしまうのですが、
同じ傾向のCMが数パターンあるみたいだし、
そうでもないみたいです。

“最初は誰でも中古車だけど、いつまでもじゃない”
という企業のメッセージが
「醜いアヒルの子」という社名から
ある程度は伝わってくるのも、
きつい内容のCMのフォローになっているかもしれません。

また、アメリカ社会においてクルマは
個人の生活の自由を保証し拡大してくれるもの、
という理解がわりと一般的なようですし、
アメリカ人のくせに「自由」をほしがらないひとは、
泥水ひっかけられて当然なのかもしれません。

たとえばニューヨークみたいに
地下鉄など公共交通機関を
それなりにみんなが利用する都市では、
まだまだ服装で人となりを判断するようですが、
クルマがないと事実上まともな社会生活が送れない
アメリカの多くの地域では
その人がどんなクルマに乗っているかで
人となりを判断することが割と多いようです。
服装に気を使う伝統がもともとゆるい
ロサンゼルスなんかでは、
その人の人となりを判断する外見上の手がかりは
ほとんどクルマだけとすらいえます。


アメリカの自動車のナンバープレートが
名前になっていたり、メッセージになっていたり
というのを映画なんかで見かけたことがあると
思いますが、
あれは何がしかの追加料金を
DMV(Department of Motor Vehicle:
陸運局と運転免許試験場をかねたようなお役所)
に支払って入手します。
すずきちの知り合いのクルマのナンバープレートに
NOTGUILTというのがありました。
当然オーナーは、ある事件の容疑者…
のはずはなく弁護士さんです。
「無罪! ”Not Guilty”」というわけです。

お気に入りのナンバープレートを購入できるこの制度、
第一に税収増になるし、
ナンバープレートが悪目立ちするクルマでは
交通違反もしにくいでしょうし、
ほんの少しは盗難もされにくくなるでしょうし、
なにより楽しいですね。


オーナーの個性を表現するのは、
もちろんナンバープレートだけではありません。
もっとも重要な要素である車種のほうは
だいたい日本で考えるブランドイメージと近い感じです。

フリーウェイでスイスイと車線変更を繰り返し
追い越しながら走り去っていくことが多いのはBMW。

BMWほど飛ばすドライバーは少ないのですが、
一般道でいろいろ強引なのがメルセデス。

BMWのCMで
「BMWのオーナーの平均年齢は
 メルセデスより5歳低いのです。
 運転してみれば理由がわかります」
というのがありましたが、なるほどという感じです。

ちなみにメルセデスも完全なスポーツタイプSLの
ドライバーになるとBMWのドライバーが
不必要な自信をもった感じになります。

4年連続アメリカでの販売台数一位を記録している
トヨタカムリは、
日本における一時期のカローラみたい。

とろとろふらふら走行してることが多いのが、
各種ミニバンを運転するお母さん。
携帯でお話しながら運転しているわけです。
子どもの学校の送り迎えに、日々のお買い物など、
クルマでいろいろ活動するアメリカのお母さんには
荷物がたくさんつめる上に
アイポイントが高くて運転しやすいミニバンが人気です。
同じ理由でSUVを運転する女性も多いですね。


ただ、一般的なブランドイメージに
収まらないクルマもあります。
ボルボは、とても保守的で、
でもそれなりに教育のある人が乗るクルマ
というイメージですよね。
新しいモデルのボルボには
確かにそんな感じのオーナーが多いのですが、
路上で出くわす分には、乱暴な運転のドライバーが、
旧いボルボにはとても多いように思います。
BMWほど速くないので乱暴さのみが目立つ感じです。

なんとなく気になって旧いボルボを観察してみると
ドライバーが貧乏そうな若者だったりします。
あとはランニングシャツ姿のおじさんが運転してたり。
クーラーが壊れたままなのか
真夏でも窓を開けて走っていたり、
ヘッドライトが片方つぶれたまま走ってたり、
従来のボルボのイメージを
根底から覆すような発見がありました。

考えてみると、
ボルボの最大のセールスポイントは、堅牢さです。
昔のボルボの雑誌広告には、
大人気ないことにボルボのルーフに本物の戦車を載せて、
「戦車を載せても大丈夫なボルボ」
というのもあったように記憶しています。

クルマがないと生き残れないアメリカ社会では、
その丈夫さが災いし、旧い旧いボルボが
低所得者層の日常の足として
いつまでも走り続けているのでしょう。


映画『シックス・センス』は、
そんなアメリカ社会におけるボルボのキャラクターを
クライマックスに上手に利用しています。

少年(ハーレイ・ジョエル・オズメンド)は、
幽霊を見てしまう能力を持っているがために、
恐怖のあまり心を閉じてしまいます。
仕事をふたつかけもちして家計を支えている
シングルマザーの母親(トニ・コレット)は、
少年に対する愛情は揺るぎ無いものの
そんな彼が理解できません。
しかし少年は精神病医(ブルース・ウィリス)の
カウンセリングにより自分の能力と向き合うことを学び、
今まで黙っていた自分の能力を
母親に打ち明けることにします。

母親が運転する、渋滞に巻き込まれた
ボルボの車内です。
ボディはもとの塗装の色もわからないほど
ふるぼけて傷んでいます。

少年「お話してもいいかな」

母親「いいわよ」

少年「僕、幽霊をみるんだ。
   …僕のこと異常者だと思う?」

母親(少年のほうをむいて、真剣に)
  「いい? 私はあなたのことを異常者だと
   思ったことなんか、一度もないわ。わかった?」

少年「時々、おばあちゃんとおはなしするの」

母親(少年のほうをむいて、真剣に)
  「そんなこというもんじゃないわ。
  おばあちゃんは死んだの。わかってるでしょ!」

母親はまだ少年のいうことが理解できません。
愛する息子を理解できないジレンマに陥った彼女に、
悔しそうな表情が浮かびます。

少年「…お母さんが子どもの頃、踊りの発表会の日の朝、 
   おばあちゃんと喧嘩したことがあったでしょ?
   それで、おばあちゃんは踊りを見にこなかったと
   思ってるでしょ?
   本当はね、影にかくれてみてたんだよ。
   『天使みたいだったよ』っていってた。
   
   いつかおばあちゃんのお墓で
   おばあちゃんに聞いたことがあるでしょ、
   答えはね、『毎日』だって。
   
   ・・・何をきいたの?」

母親 (嗚咽しながら)
  「『私のことを一度でも自慢に思ったことが
   あった?』 って」

少年に対しては絶対の愛情をもっている母親でしたが、
彼女自信は自分の母親が自分をどう思っていたのか
ずっと煩悶し続けていたのです。
少年は、亡くなったおばあちゃんの母親に対する愛情を
証明してみせることで、
死者と話す自分自信の能力をも証明して見せます。

まさに戦車にも押しつぶされないような
母親の愛情の堅牢さ、
それも世代を超えた母親の愛情の堅牢さを
証明して見せるこのシーンの舞台として、
旧いボルボの車内以上に
ふさわしい場所はあり得ません。


旧いボルボの乱暴なドライバーのみなさんも、
『シックス・センス』でもみてやさしい気持ちで
運転してほしいものだと思います。



*豆知識:イギリス英語の自動車関連の表現で
Ugly Ducklingというとシトロエン2CV
(いわゆるニ馬力)のニックネームになります。
アグリーダックリング社とは特に関係ないと思われます。

2001-05-06-SUN

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