「広告サミット2005 糸井重里×佐藤可士和」佐藤可士和くんから、
「ほぼ日」の「デザイン論」の対談が
おもしろかったから、そのつづきを話しませんか?
とさそわれて実現した企画を、
広告サミット運営委員会さんのご厚意により、
「ほぼ日」で、ほとんどまるごと、おとどけしますね。

第10回 人間には、向いてないんじゃないか



糸井 おでんを食べているときには
消費者だけど、
テレビを売っているときには
生産者でもある。

そんなふうに、
みんなが両方を経験しているのだから、
ヘタなクレームをつける人は、
たぶん、生産者としても
ヘタなんですよね。

自分の立場を
押しとおそうとだけする人は、
売り手として、雑になるでしょうから。

相手の立場を、真剣におもんぱかって、
「自分としては言いたいことがあるけど、
 今、この人に言っても仕方がないよな」
というときにはガマンするとか……
そういうところまで含めてできて、
優れた消費者になるわけですよね。
もちろん、生産者として、送り手としても
優秀な人になるわけですけど。
佐藤 送り手と受け手が
入れかわるというところも、
「商品と広告がほぼ一致する」
につながっているんだと思います。
プラダも、ギャルソンも、
建築自体が広告ですよね。

建築というパッケージに
包まれた広告であり、売場であり、
おまけに、売っているものが、
プラダの商品のひとつで……
そういうところが変わってきていて、
これからたのしそうだなと思うんです。



糸井 おもしろいですよね。
ただ、もうひとつは、
情報のサイクルの短さに、どれだけ
真剣にとりくむのかになるんですよね。

昔は、
雑誌のサイクルでものが動いていたから、
2週間に1回で、
若者が変わっていったわけです。

当時も、立花ハジメは、
ポパイの60年代特集を見たときに、

「こういうことやられちゃうと、
 せっかく長いこと遊ぼうと思ってたのに、
 終わっちゃうんだよ」

って言っていたんです。

だらだら遊ぼうと思っていたことが、
「知っている量の多いもん勝ち」
みたいな中に入っていってしまう……。

それのさらに短いサイクルが、
今、ブログで
やられているような気がするんです。

でも、そういう短いサイクルは、
あんまり、
人間には向いていないんじゃないか。

暗記ができたり、
歌がうまかったり、
ものすごい二枚目だったり、
そういう価値観は、
すばらしいかと言えば、
どうなのかなぁと。

一緒に旅にいってたのしいか、
とかのほうが、ずっと、
価値があるんじゃないかと思うんです。

……まぁ、
なにかができるということで言えば、
「ものまね」と「手品」は、
すごいなと思いますけど。
佐藤 (笑)
(明日に、つづきます)

2006-02-06-MON