「広告サミット2005 糸井重里×佐藤可士和」佐藤可士和くんから、
「ほぼ日」の「デザイン論」の対談が
おもしろかったから、そのつづきを話しませんか?
とさそわれて実現した企画を、
広告サミット運営委員会さんのご厚意により、
「ほぼ日」で、ほとんどまるごと、おとどけしますね。


第2回 距離のこと、どう考えてますか?



佐藤 この前の対談でも、
ちゃんとお話をしたのが最初なのに、
糸井さんは、突然、
「可士和くん、
 距離のことをどう考えてますか?」
と言ったじゃないですか、いきなり。
糸井 (笑)イヤだよね、そんな質問。
佐藤 「距離」って……
ほんとのことを言うと
「どうとも考えていなかったはず」
なんですけど、話をしているうちに、
やっぱり、どこかで、
距離のことを考えていたんだと気づいて。

それ以来、
距離のことが気になっちゃうという、
会話には、
そういうところがあるなと思います。

あのときは、だいたい、どうして、
突然そんなことをきいたんですか?
糸井 なんでだろうねぇ。
距離のことを
考えている人に見えたんでしょうね。
佐藤 (笑)



糸井 「隣にいる人に語りかけること」と
「マイクで人に語りかけること」は
やっぱりちがうことだと思うんです。

マスメディアでは、いっぺんに
1000万人の人に
語りかけることができるけど、
それに慣れすぎてしまったら、
近くの人に語りかける方法が
わからなくなるんじゃないでしょうか。

可士和くんの広告の仕事は
「距離のすごく近いもの」を提示して
人とコミュニケーションを考えていて、
人と人の間で、噂になっていくときに、
「距離の近いコミュニケーション」が、
遠くに飛んでいくように見えたんです。

だから、
距離のこととかを
いつも考えているんじゃないか、
と思って、きいてみたんですよ。
佐藤 「距離」という言葉ではなくても、
たしかに、考えていたんですよね。
そのことは、きかれて気づきました。

どういうサジ加減でモノを言うと、
ピタッとくるのかを考えることは、
「距離感」を考えることですからね。

コミュニケーションが
強すぎてもダメだし、
弱すぎてもまたダメだし、
絶妙な距離感をとると、
商品とか企業が、いい感じに見えてくる。

ぼくはもともと
空間とか建築とかが
すごく好きで、そういう要素を、
コミュニケーションに
利用したいと思ってましたから。
糸井 吉村順三という建築家特集を、
このあいだ
『新日曜美術館』で見たんだけど、
戦後まもなくの時代の建築で、彼が、
「今まで3尺だった単位を2尺に変える」
ということをしたらしいんです。
「このぐらいのおおきさの扉にした方が、
 人間の生理の感覚にあうんじゃないか」
ということで家を作ったりしていて……。
ものさしのとりかたを変えるだけで、
急に親密になれることって、ありますよね。
佐藤 はい。
糸井 格闘家の
チェ・ホンマンっていう
2メートル13センチの人に
会ったことがあるんだけど、
距離感はわからないし、
デカくて、親しくなれないんですよ。

バスケットボールの岡山選手に会ったときも、
なかなか近づいてこないように思えたんです。
遠くにいるときから、近くに見えていたから。
……って、何の話をしてたんだ?
ま、そんなふうに、距離というのは、人間は、
ものすごく気にしているんだと思うんですよ。

「どこからどこまで何時間」
と、時間が距離におきかえられてしまうと、
距離が、効率の中におしこめられてしまう。
でも、いくら飛行機や新幹線がはやくても、
前に、遠かったものは、今も遠いですよね?

「アラスカから生中継です」と言われても、
今は、なかなか、驚きがないものだけど、
遠くのものが、近く見えるような感覚は、
かならずしもいいことばかりじゃないですし。

ただの、
「ひとりの人間」としての距離感を
持っているかどうかというのは、
すごく重要なことだと思うんです。
(明日に、つづきます)

2006-01-25-WED