「広告サミット2005 糸井重里×佐藤可士和」佐藤可士和くんから、
「ほぼ日」の「デザイン論」の対談が
おもしろかったから、そのつづきを話しませんか?
とさそわれて実現した企画を、
広告サミット運営委員会さんのご厚意により、
「ほぼ日」で、ほとんどまるごと、おとどけしますね。


第1回 人と話をするということ



糸井 広告の世界の人が
一般の人に話をきいてもらうときは
「どんな仕事をしてきたのか」を見せて、
解説をするとか自慢をするとかいうのが、
よくあるプレゼンのやりかた、ですよね。
佐藤 (笑)「自慢をする」……そうですね。

今日は、そんな感じではなく、
やりたいと思います。

なにから、話しましょうかね……。
糸井 どこから、しゃべるかなぁ。
佐藤 ええ。
糸井 ……あ、この間隔は、
もう、 可士和くんが
「ぼくに、話をふった」
ということですか?
佐藤 (笑)そうです。
糸井 そうだなぁ……
このあいだ、お会いしたときも、
ずいぶん話しましたよね。

まだ、可士和くんとは、
4回目ぐらいだと思うんだけど、
会うたびに、
これがまぁ、おたがい、よくしゃべる。
佐藤 (笑)
糸井 ただ、よく考えてみると、
「あたらしい人に会ってしゃべる」
ということは、ふつうの日常の中には、
意外とないことですよね。

すこしだけ、仕事の話をしただとか、
すれちがって話をしたぐらいのことなら
あるでしょうけど、
30分以上しゃべる関係が
あたらしくできることって、
そんなにたくさんはないと思うんです。

ぼくも、もしも仕事じゃないと、
こんなにたくさん、あたらしく
人と話さなかったんじゃないかと思います。
だから、あたらしい人と長く話すというのは、
もうぼくには、引っ越しとかに
近いくらいの、おおきな事件で……
前に、可士和くんと話したときもそうでした。
佐藤 はい。
ぼくもはじめて
糸井さんと長く話したのですが、
あれが、ものすごく
おもしろかったんです。



糸井 ぼくもそうでした。
でも、そもそもは、
「おまえ、誰だよ?」と警戒しあうのが、
人間としての本性ですもんね。
いいやつだな、と思ったとしても、
「……ところで、きみは何を考えてるの」
とは、言いにくいじゃないですか。
長い話には、なかなかなりにくい。
だけど、仕事にした途端に
「今、何を考えているの?」
と、言えるじゃないですか。
恋人どうしでもないのに、
それを平気で言いあえるのが不思議で。
佐藤 (笑)
糸井 今日も、ふたりで楽屋にいるときには
敢えて、しゃべらないようにしてたんですけど、
公開の場所に出てきて「仕事」にしたとたんに、
おたがい、何をきいてもいいというのが
スゴイですよね。
そういう機会をたくさん持てて、しあわせです。

会ったことのない人たちから、
あたらしい情報をまとめていただけるし、
こちらも、なにかをプレゼントできるし、
そういう関係をくりかえしていることが
すばらしいなと思っているんです。

放っておくと家から出ないし、
あたらしい人に会おうともしないし……
でも、なにか話すテーマがあったら
本来、しゃべるのが苦手なぼくでも、
よろこんで、しゃべりだすわけでして。

しゃべるということが
自分を作ってきたんだなぁと思うんです。
だって、本を読んでも、基本的には、
「わかんない人用」
の言葉は、ないじゃないですか。
テレビを見ても、素通りしたらそのまま。
だけど、対話は、もうすこしききたい部分を
すぐに、きけるでしょう?
対話の構造が、人を進化させたのかもしれない。
そんなことを、痛切に感じるようになりました。
(明日に、つづきます)

2006-01-24-TUE