経済はミステリー。
末永徹が経済記事の謎を解く。

第35回 公共財

 
道路は、通行する人に
「スムーズな移動」というサービスを提供するが、
その代金をいちいち徴収するのは非常に難しい。
だから、地域の住人はみんな同じ程度に
道路を利用している、と仮定して税金で造ってしまう。
 
「心の安らぎ」
というサービスを提供する公園も、そう。
「周囲を柵で囲み、出入り口に人を置いて料金を取る」
費用がもったいないから、
みんながサービスを享受していると仮定して、
税金で造ってしまう。
 
道路や公園のように、
「課金コスト」がかかり過ぎて
商売になりにくいモノやサービスを
経済学の用語で「公共財」という。
「何となくみんなの役に立つ」から
「公共財」なのではない。

ものすごく大事なことなので何度も繰返して言うが、
およそ人の役に立つモノやサービスであれば、
わざわざ政府が提供しなくても、
誰かが商売で提供する。
役に立つモノやサービスは、
みんなが喜んでお金を払って手にいれようとするから。
「商売にはならないが、みんなの役に立つ」
公共財は、例外中の例外。

私たちは、政府がやっていることは
「何となく公共性がある」と思ってしまう。
「公共性」を
「あったほうが、便利」くらいに考えているから。
しかし、「あったほうが便利」くらいでは、
税金を使う経済的な合理性はない。
政府が提供すべき「公共財」は、
「課金コストがかかり過ぎて商売になりにくい」
モノやサービスに限られる。

誤解を招きやすいので、これも繰返して言うが、
政府の目的は経済合理性だけではない。
豊かな人のお金を貧しい人のために使う
「所得の再分配」も政府の役割である。
たとえば、図書館(貸し本サービス)
は課金は容易であって「公共財」とは言えないが、
「所得の再分配」と考えれば、
税金で提供する意義はある。

さて、公共財は、
「みんなが同じように利用する」という
強引な仮定に基づいている。
実際は、
「税金は納めているが、
 道路も公園も使わない、ほとんど出歩かない人」
もいるだろう。不公平な仮定である。

今、問題になっている「道路特定財源」は、
道路の建設、維持にかかる費用を
「実際に道路を利用する人」に負担させるという
「受益者負担」の考え方に基づいている。
使われ方はともかく、考え方としては、
公平で、合理的な税制である。
 
もし、道路特定財源が余っているのなら、
税率を下げるか、高速道路の料金を減らすのが筋。
「特定財源の一般化」は
、税金の使い道を決める権限が
国土交通省から財務省に移るということ。
お役所の縄張り争いに過ぎない。

そもそも、道路を税金で造るのは、
いちいち料金を徴収すると
「スムーズな移動」を妨げるから。
ところが、日本の高速道路は
料金所が多くて渋滞している。
本当は、高速道路は
「特定財源で建設して、料金所は置かない」
のが、一番、合理的なのだが・・・

2001-07-02-MON

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