経済はミステリー。
末永徹が経済記事の謎を解く。

第29回 成長期は終わっても


日本は、現在、アメリカに次ぐ
「世界第二位の経済大国」である。
だから、日本で偉くなれば、
サミットやG7などの重要な国際会議に呼ばれる。
小さい国では、いくら出世しても、
そういう場所には呼ばれない。
 
「経済大国」って、結局、その程度のこと。
呼ばれた本人は、そりゃ、嬉しいだろう。
でも、友達でもなんでもない「自分の国の偉い人」が
サミットに呼ばれて、あなたは、嬉しいですか?
あの人たち、一泊何十万円もするホテルに
税金で泊まるんだよ。
 
実は、私たちも、
「経済大国」のおこぼれにはありついている。
日本のパスポートを持っていれば、
どこの国の空港でもスムーズに入国できる。
入国審査官は、大金を落としに来た大切な観光客に
「入国の目的」をうるさく訊いたりしない。
 
でも、入国審査官にいじめられている
「貧しい国のパスポートを持つ大家族」を追い越す時に、
優越感に浸るような人間にはなりたくない、と僕は思う。
小役人に丁重に扱われて喜ぶのは、
小役人と同じくらい卑しい心の持ち主だ。
 
「経済大国の国民である」こと自体に満足する
空虚なナショナリズムのほかに、
「経済大国に暮らすこと」に
現実的な価値はあるだろうか? 
 
あるには、あります。
「世界中から珍しいモノが集まってくる」ことですね。
ベネチアには、イタリア料理のレストランしかない。
絶対にない、と根拠のない断言はしないが、
僕は見なかった。
 
ベネチアに限らず、イタリアでは、
東京やニューヨークのように
世界中の料理を楽しむことはできない。
イタリアは、サミットには辛うじて呼ばれるけど、
世界中からモノを引き寄せるだけのカネはないのだ。
 
しかし、イタリアの人たちはそれを嘆きはしないだろう。
アドリア海の魚介とトスカーナの牛肉が
世界一うまい食い物だと信じ込めれば、
「世界中の料理を楽しめる」ことに価値はない。
 
むしろ、私たちのほうこそ、
「世界中の料理を楽しまなければならない」
というプレッシャーに悩まされていないか。
「もっとうまい料理がどこかにある」という焦燥感。
 
「料理」は比喩。
だけど、「経済は成長しなければならない」って、
何となく思い込んでいるでしょう? 
こんなに豊かになったのに、どうして、
ゼロ成長(=来年が今年と同じ)はダメなんだろうか? 
 
成長が止まって、子供は大人になる。
今の日本は、もう背が伸びなくなった
高校生のように不安なんだろう。
でも、それは受け入れるしかない。
日本の成長期はもう終わった。
人口が減少すれば、
ひとりひとりの生活レベルは変わらなくても、
その合計である
経済の規模は縮小する(=マイナス成長)。
 
悲しむことはない。背が伸びなくなったって、
この世には楽しいことはいくらである。
会社や国が衰えても、個人は幸せでいられるのだ。

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2001-06-10-SUN

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